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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年4月号

文学にみる障害者像

キャロル・カリック著
『とっても小さな姉妹(Two Very Little Sisters)』
誇り高く美しく

細田満和子

『とっても小さな姉妹』は、パステルカラーのかわいらしい挿絵がふんだんに盛り込まれた絵本である。主人公は、ルーシー・アダムスとサラ・アダムスという、大人になっても小さいまま(小人症)のふたりの姉妹だ。

この物語は実話に基づいていて、ルーシーは1861年、サラは1863年に生まれている。ちなみに彼女たちは、アメリカ独立の父といわれるサミュエル・アダムズや、第6代大統領ジョン・クィンシー・アダムズを配した家系に属している。

物語は、こんな風に始まる。

「昔、あるところにふたりの小さな姉妹がいました。ルーシーが先に生まれて、2年後にサラがやってきました。ふたりともすべてにおいて完璧でした。とっても小さかったけれど。」

小さいけれど完璧。障害をもつからといって、人として何ら欠けることはないのだという作者の障害者観が、冒頭からストレートに伝わってくる。

以下、この絵本のあらすじを簡単に述べてみよう。

ふたりには、他にも4人のきょうだいがいた。みんな家族の大きな愛の中で育っていった。みんな同じように、着替えやお風呂など自分のことは自分でしていた。ただ、ちょっと違うのは、お父さんがふたりのために、小さな靴と小さな椅子を特別に作ってくれたことだった。

ふたりは学校でもみんなに好かれていた。勉強もできたし、休み時間にはたくさんの友達に囲まれて楽しんだ。教会では、素敵な声で聖歌を歌い、クリスマスの劇では天使を演じた。

ある時、そんなふたりにサーカス興行師が目をつけた。サーカス興行師は言葉巧みにふたりを誘った。ふたりも「有名にしてあげるよ」という言葉に惹かれ、両親の心配をよそに、サーカス団に入ることにした。

ふたりはサーカスで、着飾ってポニーにまたがるパレードをした。これは人気となったが、「小人(ミジェット)」と呼ばれたり、小さいことだけでちやほやされたりするのがだんだん嫌になって、ふたりはサーカス団を辞めた。そして、ダンスの学校に入って、本格的に歌や踊りを学んだ。やがてふたりは、大きな劇場の舞台を踏むまでになった。

ふたりの公演は、アメリカ中どこへ行ってもたいそうな人気だった。ところが、公演のため、町から町へ移動するのはとても大変だった。それに、ここでも、いつまでも子どもとして扱われるので、嫌気がさしてきた。そこでふたりは故郷の町に帰ることにした。

故郷では、年老いた両親が温かく迎えてくれた。ただ、悲しいことに家は古くてぼろぼろになっていた。ふたりはこの家が大好きだったので、窓を磨き、床を掃除し、ピカピカにきれいにして、ティー・ルーム(喫茶店)を開いた。昼間は美味しいケーキとお茶を出し、夜はふたりがオルガンを弾き、歌を歌う、素敵なお店だった。このお店には、どんな人でも座れるようにと、たくさんの大きい椅子と小さい椅子が置かれていた。

ここまでが本の内容である。作者の解説によると、ふたりはこのティー・ルームを長く続け、サラは75歳で、ルーシーは93歳で亡くなったということだ。

この本の中に、ルーシーとサラがサーカス団に誘われるくだりがあるが、当時のアメリカ社会で小人症の人たちは、見世物として扱われる事が少なくなかった。もっとも、小人症の人々を見世物として扱うことは、当時のアメリカに限ったことではなく、歴史的にも古く、また地域も広範に渡っている。たとえば、古代エジプトの壁画にも見出せるし、ベラスケスの宮廷絵画にも、道化風に着飾った小人がしばしば描かれている。

文学作品の中にも、何人もの小さい人たちが登場している。たとえば、ギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』のオスカル、ジョン・アーヴィングの『ホテル・ニュー・ハンプシャー』のリリー、フランク・バウムの『オズの魔法使い』のムンチキン・ランドの住人などである。これらの中で小さい人たちは、どこか物悲しく、異様な存在として描かれているように思われる。

絵画や文学での描かれ方が、ある程度戯画的であることはさておいても、小人症の人々は、普通に生活をしている間も社会の人々から見世物として扱われ、「小人(ミジェット)」と呼ばれて侮蔑されたり、からかわれたりされてきた。ルーシーとサラもまさにこうした歴史の中の登場人物だった。

しかし、ルーシーとサラは、その状況に疑問を持ち、そのように扱われることを拒否して、誇り高く美しく生きてきた。

ふたりは、ひとたびは甘い言葉に誘われてサーカスで見世物となるが、そこからの生活を抜け出した。そして、決して温かく受け入れてくれるだけではない社会の中で、歌やダンスという自分たちが大好きな分野で、それぞれ才能を磨いてきた。やがて、観客の心をつかむ演技や歌唱力を身に付け、舞台を踏んできた。華やかなショー・ビジネスの世界は、彼女たちにとってどんなに楽しかっただろう。

しかしそれでも、社会の人たちから「小さい」というレッテルを貼られ続けた時、ふたりはショー・ビジネスの世界にきっぱりと別れを告げた。その後、自分たちにとって懐かしい場所で、親しい人に囲まれた心地よい生活をつくっていった。

障害者運動などなかった時代、障害をもつ人々を利用したり蔑(さげす)んだりしようとする人たちの思惑から逃れて、自由に生き生きと、そして美しく楽しく生きたふたりの描かれ方は、なんとなく暗さの漂う他の物語と比べて明るい気持ちにしてくれる。

作者が、障害があることをなんらマイナスと考えていないことは、冒頭の一文から明らかだが、その後の展開でも、ふたりの姉妹が自分たちで道を選択し、たとえうまくいかなかったとしても、自分たちの力で別の道を切り開いているさまを描いている。それは、障害があっても人として何ら欠けることはない、失敗しても大丈夫だから自分を信じていろいろやってみてというメッセージとして、本を読むすべての人たちに希望と勇気を与えてくれる。

ここまでで終えても良いのだが、少し付言しておく。

「リトル・ピープル・オブ・アメリカ」という1957年に設立された当事者団体がある。「リトル・ピープル・オブ・アメリカ」は、「小人(ミジェット)」という呼ばれ方を嫌い、自分たちのことを「リトル・ピープル」と主張している。そして、差別を糾弾したり、不利益を告発したりする権利擁護活動や、養育や医療ケア、教育や就職に関する相談活動を行っている。

その創始者のビリー・バーティ(1924―2000)は、自身も小人症である有名俳優である。こんなバーティの言葉がある。「世間の人たちは、リトル・ピープルは、サーカスか道端の見世物小屋にしかいないと思っている。しかし我々の中には医師や看護師もいるし、どんなところにだっている」。

これは確かであり、小さいということにとらわれず、さまざまな分野で活躍している人がたくさんいる。ただ、何人もの小人症の人々が、映画や演劇の出演者という職業に就いているという事実も一方にある。先に挙げた『ブリキの太鼓』や『ホテル・ニュー・ハンプシャー』や『オズの魔法使い』といった文学作品はすべて映画化されていて、そこでは小人症の人たちが小さい人の役を演じている。そもそもバーティ自身、映画やテレビ・ショーで活躍してきた人である。

小さいということに限らず、外見がどこか異なるという1点で、多くの障害をもつ人たちが人権を守られずに見世物とされてきた歴史がある。それに対して、当事者団体や障害者の権利を守るという立場から、こうした態度は改められるべきと言われている。では、映画や演劇で生活を成り立たせている人々はその中でどのように位置づけられるのだろう。

おそらく小さい人々の側は、自分たちは見世物としてではなく、作品を成り立たせる俳優として出演していると主張するだろう。だから問題は、彼らを見る観客の側に委ねられている、あるいは突きつけられていると言えるだろう。

(ほそだみわこ 米コロンビア大学)