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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年4月号

列島縦断ネットワーキング【東京】

「手足の不自由な子どものキャンプ」の50年

飯笹義彦

自分たちの手で創り上げるキャンプの誕生

1957(昭和32)年、日本肢体不自由児協会・日本キリスト教奉仕団が東京大学整形外科学教室の協力を得て、千葉県富津海岸において夏休み中の中学校を借り、9泊10日の「手足の不自由な子どもの海浜キャンプ」を開催しました。これが、今回ご紹介する「手足の不自由な子どものキャンプ」の始まりです。毎年、継続して開催され、昨年には第50回を迎えることができ、今までの参加者による記念大思い出会も開催されました。

この間に参加したキャンパー数は3,200人を超え、関わったリーダー・スタッフは2,600人におよびます。キャンプで育った多くの人々が障害児・者の福祉の第一線で活躍し、また草の根で子どもたちを支える働きをし、福祉の種となって多くの実を結んできました。

初回キャンパーの父母の「親の会」を作りたいという願いと話し合いから、1958年に「手足の不自由な子どもを育てる父母の集い」が開催され、それをきっかけに各地で父母の会が作られ、1961年には「全国肢体不自由児・者父母の会連合会」が結成されました。また初回のリーダーを中心に結成された「エスペーロ会」は、まだボランティアという言葉さえ耳慣れない時代に活発な奉仕活動を行い、日本のボランティアのパイオニアとして、大きな役割を果たしました。さらに参加したキャンパーの中からも積極的な活動が見られ、日本障害者協議会(JD)や全国自立生活センター協議会(JIL)のメンバーになるなど障害者の自立へ向けての大きな力となっています。

キャンプの広がり

このキャンプを「幹」にいくつかのキャンプが生まれ、現在も行われています。1969年「重度肢体不自由児母子キャンプ」が都下、秋川にて開催され、翌年より静岡県の高木記念日本平ロッジをキャンプ場として、現在の「高木記念山中キャンプ」となりました。1972年には、宮城県「きぼっこキャンプ」が始められ、現在も夏と冬にキャンプがもたれています。1977年には、健常児との統合キャンプ「フレンドシップキャンプ」が創出されました。この間、東大整形外科学教室を通じてアジア諸国の医師たちもキャンプに参加し、帰国してから後に台湾や韓国でも同じようなキャンプを開催するなど、国際的な貢献も果たしてきました。

初期のキャンプは先駆的なものであり、何ごとも手探りではありましたが、

  1. 美しい自然に親しみながら、楽しいプログラムを通してグループ生活を体験させ、手足の不自由な子どもたちがともすれば陥りやすい保護過剰や劣等感を打ち破り、明るく強い社会人として伸びる機会を与える。(社会教育的側面)
  2. 専門医が、子どもたちと生活を共にしつつ日常動作を観察し、診断を行い、治療の可能性を発見し、個別的に指導する。(医学的側面)
  3. 教育学、心理学の立場から専門的に観察し、必要に応じて各種心理テストも実施し、対象者の心の問題や教育指導に関する診断を行い、個別に相談に応じる。(教育的側面)
  4. 肢体不自由児に対する、社会の関心を高める。(社会啓発的側面)

の4項目を目標に掲げ、レクリエーション活動のあいまに新進気鋭の教育・心理・医学専門家の手で診察・心理テスト・カウンセリングなども行われ、キャンプの効果を検証しつつ、毎年新しい試みがなされてきました。

当初は定員分のキャンパーを集めるのに苦労していましたが、養護学校が増え、障害のある子どもたちの就学が広がるにつれて参加希望者も増え、キャンパーを選考してお断りもしなければならないようになってきています。

キャンパーの変化と共に、キャンプの質も変化

次第にキャンパーの中心がポリオから脳性マヒの子どもたちに変わり、障害の重度化・重複化が進んできました。第10回のキャンプでは、記念事業として車いす使用児童・生徒の受け入れの試みがなされましたが、その後、年々増加し、現在はほぼ全員が車いすを使用するキャンパーとなっています。しかしながら「キャンパー自身の手で創り上げるキャンプ」の理想は子どもたちの自主性涵養(かんよう)の視点からも続けられており、障害の軽重にかかわらず積極的に話し合いに加わり、仲間と共にキャンプを創り上げてきています。

1981年の国際障害者年にキャンプサイト(場)は障害者のための野外活動センターとなり、アクセス面において車いすの子どもたちにも使いやすい新しいメインホールが建てられました。施設はより使いやすくなりましたが、全員就学義務制の実施もあり、キャンパーの重度化はますます進み、一方、介助量の増加がリーダーの負担となり始めました。

1986年には第30回を記念して全国肢体不自由児・者父母の会連合会と協力して海外からもキャンパーを迎え、「国際親善キャンプ」がもたれました。

年を経るごとに、より重度の子どもたちからの参加希望が多くなり、知的障害や重複障害の子どもたちも増え、キャンプの質も変化を余儀なくされてきました。リーダーの負担は年々大きくなり、結果、複数リーダーで一つのグループを担当する組織に変更しています。キャンパーの数は変わらないものの、リーダー数が増え、それに応じてスタッフの充実も図られ、キャンプの組織は拡大化してきました。第39回のキャンプから、生活の単位を3~4人のキャンパーとリーダー3~4人として「デン」と呼び、第40回キャンプからは、それまで続いていたユニット制を廃止し、デンを独立した最小単位とし、小グループ活動の独自性を高め、その集合体としてのキャンプコミュニティを築いてきています。

2001年の第45回キャンプでは、オープン参加のキャンプ開放活動が、開催期間中毎日行われ、多くのOB・OGたちがキャンプ地である山中湖センターにて再会する機会が設けられました。

オフシーズンにもキャンプの活動は盛んです。2003年春に「手足の不自由な子どものキャンプ~その未来」と題して歴代キャンプディレクターによるシンポジウムが開催されました。元キャンパーやリーダーも参加し、キャンプを振り返り、50回に向けての活発な議論がなされました。

これからも続くキャンプ

そして2006年8月、6日間の第50回キャンプを盛会のうちに終了し、11月には400人もの参加をもって50回記念の大思い出会を開催することができました。

キャンプの参加者の中より自発的に、ボランティアとして実行委員会を組織し、大思い出会の開催と「CAMP WORLD」と銘打った記念誌の刊行がなされています。

「自分たちの手で創り上げる」実行委員会の活動は、50回のキャンプが築き上げてきた「キャンパー自身が、リーダーと共に創り上げるキャンプ」の精神そのものであり、キャンプのねらいとするものなのです。キャンプはこれからも続いていきます。

(いいささよしひこ 社会福祉法人日本肢体不自由児協会中央療育相談所)