音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年10月号

障害者の表現活動

桐山直人

障害者をめぐる歴史的な話題、著作をもとに、表現活動の流れとその特徴を、代表する人物等を紹介することで整理してみよう。表現活動を5つの側面から紹介するが、それらは分けられるものではなく、どれも関連し合うものである。

芸術・芸能の世界

障害をもちながら障害者の枠を超えて、能力と芸術性によって、文化に貢献した人。

1929
宮城道雄(箏曲、盲)「春の海」
1963
和波孝禧(バイオリニスト、盲)日本フィルのソリスト
1969
長谷川きよし(シンガー・ソングライター、盲)「別れのサンバ」
1992
大村典子(ピアノ、脊椎カリエス)「お母さん、ノリコ平気よ!」草思社
2000
忍足亜希子(女優、ろう)映画「アイ・ラブ・ユー」主演
梯剛之(ピアニスト、盲)ショパン国際コンクール、ワルシャワ市長賞
2002
村上功(和太鼓奏者、強度難聴)「いのちの太鼓」学陽書房
2007
米良美一(声楽、先天性骨形成不全)「天使の声 生きながら生まれ変わる」大和書房

宮城は、箏曲の名手・作曲家として世界的に有名な人物である。8歳で失明し、箏を習い、演奏会・ラジオ出演で活躍し、東京音楽学校の教授となる。視覚障害者の聴力=プラス面を伸ばして、障害のある音楽家としてではなく、邦楽の第一人者として知られる存在となった。

新しい芸術・芸能の世界

障害をもつことが既成概念を破り、これまでにないパワーや感性、新しい表現方法を生み出した人。

1928
ろうあ者を主体とする劇団「車座」が大阪で発足
1938
山下清(貼り絵、知的障害)「特異児童作品集」春鳥会みずゑ社
1983
金満里(演劇、ポリオ)劇団「態変」旗揚げ公演
1992
大江光(作曲、脳ヘルニア後遺症)「大江光の音楽」日本ゴールドディスク大賞
1999
ホーキング青山(お笑い芸人、先天性多発性関節拘縮症)「笑え! 五体不満足」星雲社

山下は八幡学園(知的障害児施設)で貼り絵と出会った。何をしても満足にできないので、色紙と画用紙が与えられたという。その画法には手本がなく、自身の創造によって表現した。美術の基本的な技法に囚(とら)われず、感性のまま人と違うことを行うことで、見る人を感動させる独自の表現方法をつくっていった。マイナスと思われる面が芸術性を高め、人と違うことは素晴らしいこと=障害者の可能性を広く示した。

治療として

絵を描くことが、身体的・精神的な治療となっている。

2000
野田武男(絵画、頸椎損傷)「いのちの絵筆」鹿砦社
2004
精神障害者の絵画などによる表現活動の可能性を開く「こころに平和を実行委員会」設立
2005
精神科病院の造形教室の記録映画「心の杖として鏡として」文化庁記録映画賞優秀賞
2006
ヘルスケアにおけるアートの役割研究「アートミーツケア学会」設立、障害と創造性の実践

野田は転落事故以来、しびれるような熱さに苦しんでいた。運命を呪い、死を考えた。しかし作業療法士の勧めで、口にくわえた筆で絵を描くと、身を焼かれるような熱さが消えたという。没頭できることがあること、うまくなりたいという希望、完成させた喜び、絵を描くという目的があること、これらが熱さを追いやり、生きている手応えとなっていった。

精神科領域でも表現活動が行われている。言葉では表現しきれない自己の内面を、絵によって表現することが治療となる。そして、芸術作品をつくり上げることで人間としての誇りを取り戻し、プライドを持って生きることにつながっている。

人生の充実

中途障害による失意の中、持っている力で表現活動を行い、意欲的に生活する人。

1981
星野富弘(詩画、頸椎損傷)「愛、深き淵より。」立風書房
1989
梅棹忠夫(民族学、視覚障害)「夜はまだあけぬか」講談社

星野は頸椎損傷から2年半後、実習の看護学生に、口でペンをくわえてベッドで横向きで字を書いてはどうか、とアドバイスを受けた。上向きでは書けず、あきらめていたが、横向きなら書けた。自分の力で文字を書けることが大きな喜びになり、やがて絵も描くようになり、創作活動が富弘美術館建設にまで発展する。

国立民族学博物館長の梅棹は、65歳で球後視神経炎によりほとんど見えなくなり、仕事や楽しみを失い「わが人生は終わったか」と暗澹たる気分になったという。後、復職し、口述による執筆を行うようになるが、目に頼らない楽しみ事を探すとすれば耳に頼る外はあるまい、と名曲カタログを聴き、ピアノの練習を開始した。そしてピアノのリサイタルを開く夢を持つようになる。場所、曲名、案内状の文面を考える。夢を楽しみながら生きようとした。

ここには、残された機能を使って、楽しいことを見つけて、失意の人生を明るく変えてしまう経験が示されている。希望や夢を持って挑戦し、障害という大きな挫折から立ち直る姿、表現活動により、新しい自分をつくり出し、自分をさらに高めるリハビリテーションがある。

自立と社会参加に向けて

表現活動が仲間をつくり、社会運動化し、組織化されている。

1975
国際連合「障害者の権利に関する宣言」第9項、障害者は「すべての社会的活動、創造的活動又はレクリエーション活動に参加する権利を有する」
1976
障害をもつ人の詩に光をあてる「全国わたぼうし音楽祭」開催
1977
山田富也(ありのまま舎、筋ジストロフィー症)ドキュメント映画「車椅子の青春」
1986
社会福祉法人東京コロニー「障害者アートバンク」発足、現「アートビリティ」
1994
「日本障害者芸術文化協会」設立、現「エイブル・アート・ジャパン」
2007
財団法人たんぽぽの家「アートを仕事にする」社会起業セミナー開催

個人の表現活動を発掘し、社会に広く紹介する活動が生まれてくる。障害者の能力を発揮する場・環境を整える活動である。それは趣味のレベルから、収入を得る仕事のレベルまで用意されるようになってきている。

東京コロニーは、アートの分野で障害者が持っている才能を活かして収入に結びつけること、を目的としている。寄せられた作品をストックし、有料で貸し出して、作者にその画料を支払うシステムをつくった。

たんぽぽの家は、障害者の能力を活かした多様な働き方に向けて、「アートを仕事にする」ことを提案している。日常的な創造活動や潜在的な能力を活かして、障害のある人が収入を得て生活できる仕事づくりをめざしているという。

(きりやまなおと リハビリテーション史研究会)