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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年10月号

ワールドナウ

第7回DPI世界会議韓国大会の参加報告
―私たちの権利、私たちの条約、そしてすべての人のために―

西村正樹

去る9月5日から8日までの4日間にわたり、韓国の京畿道高陽市(キョンギ道コヤン市)のKINTEXを舞台に「第7回DPI世界会議韓国大会(以下、韓国大会)」が開催された。

71の国と地域から約2,700人(日本からは300人以上)が参加したこの大会は、「私たちの権利、私たちの条約 そして、すべての人のために―国際的な行動に向けての次のステップ―」を大会テーマとし、昨年12月13日に第61回国連総会で成立した「障害者権利条約」を祝福するとともに、DPIとして、この条約をすべての国々が批准して、各国が実効性有る国内施策を進めていくための次のステップを模索すること及びDPI結成25周年(1981年12月にシンガポールで発足)を祝う大会であった。

開会式

初日の開会式では、ビーナス・イラガンDPI世界議長(フィリピン)から、DPIを代表して2002年10月に開催した「第6回DPI世界会札幌大会」以降のDPIの活動と「障害者権利条約」成立に関する報告及びDPI結成25周年を祝う挨拶が行われた。イ・イクソプDPI韓国会長からは、今大会の組織委員会を代表して権利条約成立を受けて、すべての人々の人権の確立に向けた歴史を創りあげていくためのDPIとしての運動を提起する挨拶が行われた。

その後のパン・ギムン国連事務総長(韓国)のビデオメッセージとルイス・ガレゴス元特別委員会議長(エクアドル)の基調講演では、「障害者権利条約」がDPIを含む障害当事者団体を中心としたNGOが「Nothing about us, without us!(私たちのことは、私たち抜きに決めてはならない)」をスローガンとして、制定過程に参画したことや多くの国々の政府代表団に障害当事者が参画していたことなど、国連史上初の当事者参画の中で、この条約が議論され成立したことなどが紹介された。

そして、DPI日本会議の中西由起子常任委員を含む5人からDPI運動のルーツや結成時のさまざまな出来事について語られ、歓迎パーティーが開催されて初日のプロラムは終了した。

全体会・分科会

2日目と3日目は、最初に1時間の全体会でカン・ギョンア国連人権高等弁務官やテレジア・デゲナー弁護士(ドイツ)など、国際舞台で人権全般及び障害者の権利の確立に関する分野で活躍されている方々からの報告を受けた。その後、時間を3分割した分科会が6会場で開催された。各分科会テーマは、条約の条文を基本として「女性障害者」「国内履行とモニタリング」「自立生活」「教育」「強制的治療」「雇用」「移動」等の34のテーマに分かれた。日本からは、20人余りが発言者として出席し、各テーマに関する日本の現状と課題及び今後の運動の方向性等を報告した。

DPI総会

4日目は、DPI総会が開催され、DPIの役員選挙が実施された。新たな議長は、DPIラテンアメリカブロック会議のウィルフレッド・グズマン氏(ペルー)が選出され、DPI日本会議の中西正司常任委員は、財務担当役員として再選された。その他の新役員は、副議長(人権)ジョージ・ダニエル氏(トリニダード・トバゴ)、副議長(開発)レイチェル・カチャジェ氏(マラウイ)、書記サタール・デュラル氏(バングラデシュ)、情報担当ジャンピエロ・グリフォ氏(イタリア)が、選出された。(中西正司常任委員は、大会期間中に開催されたDPIアジア・太平洋ブロック総会においても同ブロック議長として再選されている)。

新役員は、中西正司財務担当役員以外は全員交代し、新議長のウィルフレッド・グズマン氏は視覚障害者で、DPI結成25年目にしてラテンアメリカから初めての議長となった。また、開発担当の副議長となったレイチェル・カチャジェ氏は、2002年度のJICA研修「南部アフリカ地域障害者の地位向上コース」(DPI日本会議受託)の参加者であった。

別室で選挙が実施されている時間帯には、全体会場で「ソウル宣言(資料参照)」の討議が行われた。そのディスカッションでは、島国のような小国の代表権の問題等に加えて、日本の知的障害当事者から、障害種別を超えたDPI運動であるなら、知的障害者がもっと参加することの必要性が提起された。その後、「ソウル宣言」が採択され、閉会式とセレモニーが展開され大会は閉会した。

その他の催し

以上の内容で韓国大会は開催されたが、こうした公式プログラムに加えて、2日目の夜には、女性障害者の交流を深め、国際的なネットワークの結成等を目的とした「世界女性障害者交流会」が開催された。また、同時に「日韓差別禁止法セッション」が行われ、障害者差別禁止法に関する韓国と日本の状況の報告と、合理的配慮に関する論議を深めあった。

3日目のランチタイムと夜には「ILグローバルサミット」が開催され、世界各国のIL運動に関心を持つ多くの参加者を集めて、熱気のこもったセッションが展開された。

また、大会会場のKINTEXは、とても広く3,000名以上を十分に受け入れることが可能な全体会場に隣接した部屋には、すでに6分科会の会場や大会本部及びさまざまなブースやインターネットコーナー等が用意されていた。

今後に向けて

このように、韓国大会は、多くの国々の多様な参加者とともに多様な交流が図られた。今後は、この大会における議論と交流、そして最終日に採択された「ソウル宣言」で確認されたことを国内での行動に転嫁していくことが求められてくる。

具体的には、日本障害フォーラム(JDF)を中心として、国内の障害当事者及び関係団体の主体的な行動により、日本政府が、この障害者権利条約への署名と批准をするように求めていくことが必要である。

また、批准に当たっては、日本の法制度や障害者が置かれている現状の検証及び障害者差別禁止法の制定等の運動を進めながら、障害者の現実の生活にこの条約の内容が反映される取り組みをより強めていくことが重要である。

(にしむらまさき DPI日本会議副議長)


資料

DPI(障害者インターナショナル)ソウル宣言(仮訳)

2007年9月8日

障害者が要求をしないところには人権は存在しない。前回の札幌での世界会議においては、この基本原則に基づき、障害者インターナショナルは国連加盟国に対して、障害者の権利に特化した国際人権条約を採択するよう求めた。

今日、5年が経ち、国連加盟国、国際的な障害者運動、世界規模のリーダーたちや仲間による前例のない共同作業により、この条約を私たちは作り上げ、そしてそれ以上のものを成し遂げた。2006年12月13日、国連総会は障害者の権利条約と選択議定書を採択した。記録的な速さで、そして記録的な参加者を得て条約交渉がなされ、記録的な数の国々が署名開放日に署名をしたことで、この条約は、障害者の権利に関する私たちの言葉や見解を反映したものとなった。この条約は、障害者「に関する」ものというだけにとどまらず、「私たちによる」「私たちとすべての人々のための」ものである。言い換えれば、私たちの権利、私たちの条約、そしてすべての人のために、ということである。

今、私たちは、DPIの25年にわたるあらゆる障害者の人権に向けての闘いとその成果を祝っているが、この歴史的な新条約の批准と実行に私たち自身、そして仲間たちがこれからも参画すべく準備すべき時が来ている。第7回DPI世界会議のためにここソウルに集まったわれわれDPIの2700名の人々は、重要な国際人権条約としての障害者の権利条約が、障害者の権利に取り組むためのあらゆる法律、政策、実践の基礎となることを宣言する。その上で、以下を呼びかける。

*大韓民国を含むあらゆる政府が素早く行動し、確信を持って条約に署名し批准することで、2007年12月13日までに条約の効力が発生することを望む。

*あらゆる締約国は精力的に条約の義務を果たし、条約の言葉に命を吹き込むためにわれわれと共に取り組むことで、障害者の日々の生活に条約のビジョンが反映されることを望む。

*あらゆる国際人権条約体や機関が障害者と協働することで、条約に設定される基準がその取り組みに完全に反映される。

*あらゆる国連機関が積極的にプログラムに障害や障害者を包含することで、国連機関の推進する国際協力が条約の目的を前進させる。

*あらゆる国内人権機関が条約の啓発、知識、遵守を促進することで、国内レベルでの実行が現実のものになることを望む。