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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2007年10月号

文学にみる障害者像

ドストエフスキーの『悪霊』―病みながら生きる治療者

高橋正雄

1870年から1872年にかけて書かれたドストエフスキーの『悪霊』1)は、当時のロシア社会を震撼させたネチャーエフ事件という、革命組織を名乗る学生グループの中で起きた殺人事件を素材にした小説であるため2)、革命思想との関係で論じられることが多いが、主人公の青年スタヴローギンには幻覚患者としての側面も見られるため、ドストエフスキーの精神障害観を考える上でも興味深い作品である。

1 幻覚患者としてのスタヴローギン

将軍の息子として生まれたスタヴローギンは、父親と別居後の母親の寵愛を一身に受けて育った一人息子である。スタヴローギンは極めて優秀な美青年で物腰も洗練されていたが、しかし彼には「何となく嫌悪を感じさせるようなところ」があった。彼は、客観的には恵まれた状況にありながら、毎日を物憂げに気難しそうな様子で暮らしていただけでなく、競走馬に乗って人を踏み倒すとか、衆人環視の前で貴婦人を侮辱するといった不可解で傍若無人な言動が目立つようになったのである。そんな彼に、周囲の人々は、得体の知れない不気味さを感じるようになるのだが、実際、彼の内面には深刻な悩みがあった。

ある日、修道院にチーホン僧正を訪ねたスタヴローギンは、それまで誰にも話すことのなかった悩みを打ち明けるのである。

スタヴローギンによれば、彼は「一種の幻覚症にかかって、ことに夜になると、よく自分のそばに何かしら意地の悪い、皮肉な、しかも『理性のしっかりした』生き物を感じるばかりか、時によると目に見えることさえある」という。この幻覚は、「いろんな変った顔をして、いろいろさまざまな性格に化けて来るけれど、その正体はいつも同じ」で、それを見ると彼はいつも苛立つのである。

スタヴローギンは幻覚のことを、「それはいろんな姿をした僕自身に過ぎない」と語るなど、幻覚が自分自身の内面を外界に投影したものにほかならないと認識していたが、最初に出現した幻覚は熱病患者のような目つきをしたマトリョーシャという少女だった。スタヴローギンには、かつてマトリョーシャを凌辱して自殺に追いやるという忌わしい過去があったのだが、この少女が自殺する直前に彼を威嚇した時の姿が幻覚として現れるようになったのである。

その後、スタヴローギンには少女の幻覚が毎日のように出現するが、それについても彼は、こんなことをしていると生きていくのが困難になると分かっていても、自分の方から呼び出さずにはいられないと言うのである。

その上でスタヴローギンは、自分が犯した罪をチーホン僧正に告白しながら、次のように語る。「僕は自分で自分をゆるしたいのです。それが僕のおもな目的なのです」「そうした時に初めて映像が消えるのです」。

このように見てくると、幻覚患者たるスタヴローギンは幻覚に対して優れた認識の持ち主であることが分かる。すなわち、幻覚が自己由来性のものであることや、幻覚に苛立つ一方で幻覚を求めるなど幻覚に対してアンビヴァレント(両価的)な感情があること、幻覚は心理的な問題(この場合はマトリョーシャへの罪悪感)と深い関係を有していて、心理的な問題が解決されれば消失しうることや、心理的な問題の解決のためには告白が有効であることなど、スタヴローギンは幻覚の本質に関わる鋭い洞察を示している。特に、幻覚の自己由来性については、『悪霊』のおよそ10年後に書かれる『カラマーゾフの兄弟』のイワンも悪魔との対話の中で述べていることを考えると3)、ドストエフスキーは19世紀末の段階で幻覚の自己由来性に気づいていた精神病理学の先駆者ということになる。

そう言えば、『カラマーゾフの兄弟』のイワンは、優れた知性を持つ虚無的な無神論者という点でもスタヴローギンの後身のごとき存在だが、そのイワンが弟のアリョーシャに癒しを求めているように、スタヴローギンもまた幻覚に伴う苦悩からの救いを求めてチーホン僧正のもとを訪れるのである。

2 治療者としてのチーホン僧正

それでは、傲岸不遜で悪魔的な印象すら与えるスタヴローギンが唯一心を開いて自らの過去を語り、魂の救いを求めたチーホン僧正とはいかなる人物であろうか?

チーホン僧正は、さまざまな階層の人々から尊敬されている人物で、彼を訪ねて来る人々にはごく下層の民衆もいれば、極めて地位の高い人も混じっていた。そればかりか、はるかペテルブルグにも熱心な崇拝者がいるなど、チーホン僧正には優れた精神療法家としての側面がうかがえるのだが、彼のスタヴローギンへの対応を見ると、「はっきり明瞭に一語一語を発しながら、柔らかみのある声で、ごくゆっくりと、なだらかに言った」とか、「しいて主張しようとせず、用心ぶかい調子で、チーホンは注意を促した」とあるなど、非言語的なレベルでのコミュニケーションにも配慮した控えめな態度を持している。

チーホン僧正は、時に苛立ったり挑戦的になったりするスタヴローギンの態度にも動じることなく落ち着いて対応するばかりか、マトリョーシャへの凌辱という恐るべき罪業を打ち明けられても、それを一方的に糾弾するのではなく、「同じような罪を犯したものは大勢あるけれど、みんな若気のあやまちぐらいに考えて、安らかな良心をいだいて、平穏無事に暮らしておる。(中略)世の中はこうした恐ろしいことで、いっぱいになっておるくらいです。ところが、あなたはその罪の深さを底の底まで感じなさった。それまでに達するのは、ざらにないことですて」と、スタヴローギンの苦悩と告白を評価するような態度すら示している。またチーホン僧正は、「もしもあなたがゆるして下すったら、僕はずっと楽になるでしょう」と語るスタヴローギンの言葉にも、「あなたも同様、私をゆるして下さるという条件で」と応じるなど、彼の態度には苦悩する者への畏敬のようなものをうかがうことができる。

チーホン僧正は、極悪非道の怪物のごとく見えるスタヴローギンがマトリョーシャの幻覚に悩まされたという事実から彼の中に残されている人間性に気づいたものと思われるが、ここで注目されるのは、かくも優れた治療者であるチーホン僧正が自ら病める人物でもあったことである。チーホン僧正は、持病のリウマチで足を病んでいるのみならず、時々「神経性の痙攣」を起こす「病身」者として描かれている。スタヴローギンも、チーホン僧正と面会した際に神経性の痙攣が彼の顔をかすめるのに気づいているが、それはチーホン僧正の「久しい神経衰弱」の兆候にほかならなかった。そんなチーホン僧正の様子を見たスタヴローギンが「あなたはきょう気分がすぐれないようですね」「お暇した方がいいんじゃないでしょうか?」と気を使うと、チーホン僧正は「昨日から今日へかけて、足がひどく痛みましてな、ゆうべもよく眠れなかったようなわけで」と答えながらも、自らの病をおしてスタヴローギンの訴えに真摯に耳を傾けるのである。

チーホン僧正は正に病みながら生きる治療者だったのであり、これは『カラマーゾフの兄弟』におけるイワンの治療者アリョーシャがやはり自ら病める治療者だったことと対応している。アリョーシャもまた「癲狂病み」4)の母親そっくりの発作を起こす病的な人物として描かれており5)、ここには優れた病者は優れた治療者足りうるという認識を見ることができる。そこには、自ら病める者こそが真に患者の心を理解し、その苦悩に共感しうるという事情とともに、病によってもたらされる人間的な成長といった要因も働いているのであろうが、そうした観点からすれば、てんかんという当時としては不治の病を抱えながら、その作品で今なお多くの人々を癒し続けているドストエフスキーこそは、偉大な病める治療者だったことになる。

(たかはしまさお 筑波大学障害科学系)

【参考文献】

1)ドストエフスキー(米山正夫訳);『悪霊』、岩波書店、1959

2)ドストエフスキー(江川卓訳);『悪霊』、新潮社、1971

3)高橋正雄;精神医学的にみた『カラマーゾフの兄弟』、病跡誌47;13~22、1994

4)ドストエフスキー(原卓也訳)『カラマーゾフの兄弟』新潮社、1978

5)高橋正雄;『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャ、総合リハビリテーション投稿中