「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年3月号
手記
知的障害を乗り越えて
有限会社トモニー 三宅珠里(旧姓・坂田)
私は岡山の有限会社トモニーで働いています三宅珠里です。よろしくお願いします。
中学校のとき、「修学旅行に障がいのある人はつれていかれん」と先生に言われたことは今までで一番つらいことでした。私はどうしても行きたかったので、お母さんが先生にたのんでくれて、やっとみんなといっしょに修学旅行に行くことができました。
そだった高知の家の近くには、はいる高校がなかったのでお父さんとは離婚して、2人で岡山にかえり、いなかの高校に入学しました。中学校から6年間友達はできませんでした。
卒業して調理師専門学校にいき、料理店にしゅうしょくしました。朝はやくから夜おそくまではたらきました。4年の間、おばさん達に「おせいが」「なにをぐずぐずしとるん」「早くせられぇ」「こんなこともおぼえられんの」といつもしかられました。しごとは洗いものとそうじばっかりでした。お母さんから「珠里、なんかあるん。笑うかおを見ることがないが」といわれるようになりました。あまりにつらかったので、お母さんに言ってやめさせてもらいました。
そのあと、職業センターで勉強をして、洋服のお店にしゅうしょくしました。ジョブコーチの先生がお店でずっと仕事をおしえてくれました。私は一生けんめいに仕事をしたのに店長さんやおばさん達から「なんでさっさとできんのん、はたらく気があるんかな」など言われ、トイレからでれないことがたびたびでした。そうするとまたおこられました。会社からお母さんには「うちはボランティアで障がい者をやとっているのではない」といわれたとききました。仕事をやめるとお母さんがこまるので、私はがまんしてつづけようとがんばりましたが、行くのがあまりにつらくて半年でやめてしまいました。
それから、また職業センターで勉強をしました。そこに萩原専務さんがこられて、私に「トモニーではたらいてみるかな」と言われました。お母さんといっしょに面接にいきました。ゆずりは食堂と学院食堂と洗濯場を見学しました。そこで、はたらいている人を見たら、みんなが楽しそうだったし、友達もできそうだったので、お母さんにここではたらきたいと言いました。
平成16年10月にトモニーに就職しました。最初は学院の食堂で働きました。なれた洗いものと弁当のもりつけやそうじをしました。洗いものとそうじは「とてもじょうずです」とほめられました。また、ゆずりは食堂では、接客をおぼえることでいっぱいでした。仲間が大ぜいいたので、たくさんのともだちができました。また、いっしょにがんばろうとはげまされ、食堂の仕事がじょうずにできるようになりました。2年間で2つの食堂の仕事ができるようになり、「笑顔がかわいいね」といわれるようになりました。
会社が新しい仕事をすることになったとき、専務から「珠里、あんたでないとできん仕事があるんだけど、やってみるかなぁ。ひとつたのむで」といわれました。どういう仕事かわからないので、少し不安でしたが、私にだけいわれたのがうれしくて「やります」とこたえました。それが今している乳児院でのあかちゃんの洋服とおしめの洗濯です。洗濯機で別々に洗った洋服とおしめはかんそうきでかわかします。そのあとできれいにたたんで、おへやにもっていきます。休けい時間にあかちゃんとあそべるときがあります。「だっこ」と言われてだきあげるとほんとうにかわいいです。きれいな洋服を着ているのをみると、とてもうれしいです。先生からも「きれいに洗ってくれてありがとう、たたみもじょうずね とても助かっているよ」と言われます。
1週間に2回は、ゆずりは食堂でお昼の接客をします。黒田主任さんが「珠里さん いつも笑顔でよくがんばっているね この調子でずっとよ」といわれます。私はどこでも笑顔ではたらけるよう一生けんめいがんばっています。
朝は「ラジオ体そうと朝礼」があります。朝礼で「いらっしゃいませ、おまたせいたしました。ありがとうございました。いつも笑顔のトモニーです、みんながんばりましょう」「よっしゃ」とみんなで声を出します。
毎年、障害者スポーツ大会にでます。2か月くらい前から、仕事がおわったあとグラウンドでランニング、じゅうなんたいそう、ボールなげ、ダッシュの練習などします。今年もソフトボール投げに出場して優勝しました。とてもうれしかったです。3つのメダルは私の宝物です。
また7月はアビリンピックの喫茶サービスに3年つづけて出場しています。会社から7人がでます。7人はみんなライバルです。会社での練習はなかなかうまくできないけど、だれにもまけたくないのでひっしに練習します。はじめての大会ではきんちょうして、しっぱいしてとちゅうで涙がでました。でも昨年は3位になりました。指導してもらった人たちと出場した仲間がとてもよろこんでくれました。ほんとうにうれしくてかんげきでした。
私はおととしの9月に結婚しました。相手は私より半年あとから入社してきた9歳年上の三宅浩一郎さんです。いっしょに仕事をしたり、いろいろとはなしをしていくうちに、だんだんと好きになりました。三宅さんも大好きといってくれ「おれについてこい」とプロポーズされました。頭が真っ白くなり夢を見ているようでした。それから、お母さんと三宅さんの両親が話しをして結婚させてくれました。
トモニーのみなさんが結婚パーティをしてくれました。純白のウエディングドレス姿を見て、みんなが『すごくきれい、すてきよ』『私も着てみたい』といってくれました。でも夢にみたウエディングドレスはきつくてトイレにいくのは大変でした。パーティはみんなと歌ったり、おどったり、たべたり、最高でした。
つぎの土曜日、高知にいるお父さんに2人で会いにいったら、にこにこと笑顔でむかえてくれました。「珠里、ほんとうによかったね。おめでとう、また2人でいつでもあそびにおいで」と言ってくれました。13年ぶりにあったお父さんは少し年をとっていました。いつかお父さんにわたしたちの赤ちゃんをみせてあげたいなとおもっています。
会社の仕事が休みの日には、ふたりでごはんをつくったり、そうじ、せんたく、ふとん干しなどをしています。
お金はむずかしいので買い物はいつも2人ででかけます。さんかくの喫茶店でお茶をしたり、友達とカラオケにいったり、だんなのしゅみのつりにもつきあいます。
結婚生活は大変です。でも楽しいです。
会社からの研修旅行は楽しみです。大きな船の「飛鳥」に乗って2泊3日で屋久島にいきました。九州しんかんせんで桜島といぶすきにもいきました。北海道旅行の旭山動物園では、ペンギンのこうしんが、かわいかったです。流氷をみにいくときは、寒くて寒くてこごえしにそうでした。そこで見た大きなワシにはびっくりしました。しれとこでは、深いゆきのなかを歩きました。真っ白い雪がキラキラとかがやいて宝石のようでした。大好きなカニとおすしをおなかいっぱい食べてしあわせでした。
トモニーでは、実習をふくめ4年になりました。おおぜいの仲間といっしょにはたらけて、たくさんの友達ができました。結婚した三宅浩一郎さんともであえました。
職場では、きびしく注意されたり、大きな声で言われたりしますが、今はだれよりも信頼されていると思っています。わたしは楽しくはたらくことができてとても幸せです。これからも笑顔をわすれず一生けんめいがんばります。ありがとうございました。
これで おわりです。
(本文は本人が発表した原文のまま)。