音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2008年7月号

1000字提言

挑戦する喜び

紺野大輝

自分はどこまでたどりつけるのだろうか。ふと、試してみたくなることがある。できないかもしれないけれど、可能なところまでやってみたい。そのように思うときは結果はそれほど関係なく、むしろ挑戦したことに喜びを感じる。持っている力を出す量に比例して喜びも大きくなる。なので、全力を出し切った時の喜びは格別だ。

現在、日本で生活を送っていると力を出し切る環境というのは少ない。もちろんそれは自分で作り出すものであるが、障害をもっているという理由だけで「無理はしなくていい」と止められてしまうことが非常に多い。本来やるべき対象に注ぎ込む時間とエネルギーを「やる」という環境を整えるのに使われてしまう。もっと、気軽に挑戦できないだろうか。

私は20歳の時、ホノルルマラソンに挑戦した。高校時代、毎年45キロの競歩大会があり一度も完走することができなかったので、フルマラソンに挑戦しようと思ったのだ。時間無制限だったら走れるかもしれない。試してみたいと思ったのだ。1年前からトレーニングを開始。フィットネスクラブに通い、定期的に10キロ程度のマラソン大会に出場し体を慣らしていく。1年という時間はあっという間に過ぎていってしまった。

そして当日を迎えた。朝5時にピストルは鳴った。まだ朝は暗く肌寒さがあったが、約3万人のランナーがスタートした。自分のペースでゴールまでたどり着く。ただそれだけを考えて足を前に進めた。しかし、現実は想像以上に厳しかった。

20キロ地点では筋肉痛がひどくなり、30キロ地点では足がほとんど曲がらなくなった。時間も10時間近く経っていた。しかし、ゴールまでたどり着きたい。ゆっくりゆっくり歩いた。35キロ地点では、自分はラストランナーになっていた。周りにはたくさんのサポートスタッフの方がいる。しかし、だれも「もうやめたら?」とは言わなかった。温かく静かに見守っていてくれた。

40キロ地点でとうとう歩けなくなった。さあ、どうしようか。ゴールまで1センチでも近づきたい。そこで、体力が続く限り這うことにした。その時も周りの人は見守っていてくれた。しかし、這うこともできなくなり最後の時が来た。「ありがとうございました」。その言葉と共に12時間以上にわたる挑戦が終了した。

この時は悔しいという思いもあったが、やりきった喜びのほうがはるかに大きかった。こんな挑戦を気軽にしていきたい。

(こんのたいき 「笑顔がいいね」代表)