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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年3月号

社保審障害者部会、その「見直し」の論点を問う

岡部耕典

「見直し」にしぶしぶ行われた「譲歩」以上のものはなく、行政主導の政策決定手法と中央集権的な法の骨格はまったく手放されない。「利用者本位」を謳(うた)うこの法において、本来「改革」されるべき「基礎構造」がそこに凝縮されている。

■障害者の範囲

「支援の必要性のみによって対象者を判断する」ことは困難であり、制限列挙的な対象規定とニーズに基づく判断の「併せ技」が良い、と言う。そのうえで、高次脳機能障害や(いわゆる)発達障害についてはこのやり方が「明確化」/追認される。しかし、単に身体障害者福祉法の別表に漏れている/漏らされている疾病名を「列挙」するだけで同じ対応が可能となるにもかかわらず、慢性肝炎・膠原病・重症筋無力症などの難病を障害者自立支援法の対象とはしない。3年の検討期間を掛けたにもかかわらず、身体障害者福祉法の手帳制度は指一本たりとも触れないというこの一点だけをもってしても、障害者自立支援法に「三障害の一元化」を掲げる資格はない。

■所得保障

基礎年金の水準を上げないのは「社会保障制度全般の見直しに関する議論との整合性を図る」ためであり、住宅手当は「高齢者や母子施策などのさまざまな施策との整合性が必要」だから新設できないと言う。しかし、一方で、無年金障害者や施設入所者のホテルコストとの「整合性」のほうは問われず、(消費税が増税され)「財源が確保」されたあかつきには水準を上げると「約束」されるわけでもない。つまりは所得保障など単なる応益負担化のための「リップサービス」にすぎなかった、そういうことになる。

■応益負担

減免の継続および資産要件と世帯単位の所得要件の撤廃は歓迎である。また、合算対象の拡大も望ましい。しかし、それは言うまでもなく「運動」の成果であり「政治」の結果であることは確認しておかねばならない。加えて、いかに「所得に応じたきめ細やかな負担軽減措置」があろうとも、減免の上限額までの利用においては同じ1割負担である以上、低所得者により強く利用抑制が働くという定率負担のメカニズムを「実質的に応能負担」とする詭弁も許されない。

その一方で、社会保障制度審議会という場に本来期待されたはずの、「低所得者の利用を抑制し中高所得者の利用を促進する」という社会福祉基礎構造改革に内在する「応益原則志向の普遍主義」の是非をめぐる議論はなされず、ただ法の文言のみを弄り、自治体職員すらフォローできない複雑な(従って行政コストも高い)減免の仕組みが残される。定率負担をここまでして守る合理性は不明であり、それゆえ「介護保険との統合への布石」という「痛い腹」がこれからも探られ続けることになる。

■障害程度区分

障害程度区分を「障害特性を反映したものに見直す」と言う。しかし、代わりに「ケアマネジメントを踏まえて支給決定する仕組み」を拡大するのだと言い、それが「障害者のニーズに応じた支援」のためだと理由づけされ、「地域における相談支援の強化」と「自立支援協議会の充実」はそのために図るのだと補う。

しかし、「障害者のニーズに応じた支援」と言うならば、固定的・外在的基準と専門家による介入技術によって「福祉を割り当てる」システムから、利用者が「ニーズを積み上げる」システムへの「パラダイム転換」こそが必要であり、「ニーズが生成し、承認される動態的な過程とその複数の関与者のあいだのダイナミックな相互作用」(上野 2008、p13)が肯定され促進されなくてはならない。

そして、その延長に展望されるのは障害程度区分の「見直し」ではなく「廃止」であり、利用者と行政がきちんと対峙しつつ合意形成(ネゴシエーション)を行う「交渉決定モデル」(岡部 2006、p88―91)の支給決定システムの構築であろう。自治体官僚の応答性/応責性を育て、アドボケイトとしてのソーシャルワーカーを主体化し、福祉計画や自立支援協議会を「利用者本位」に機能させる最短の道は実はそこに在るにもかかわらず、しかしそれは目指されていない。

■自立支援

障害者の地域生活は、(a)どこでだれとどのように暮らすかという住まい方、(b)支援集団処遇ではない個別的自立支援(パーソナルアシスタンス)、(c)障害者専用の施設ではなくすべての地域サービスや施設に対する利用/社会参加という三つの自律(自由)のかたちにより確保される。このような障害者権利条約19条の要請に応答する地域自立生活支援システムの構築が日本の権利条約批准の前提としてあることが本来、確認されねばならなかった。

それにもかかわらず、報告書において期待される「地域での生活の支援」の担い手は(パーソナルアシスタンスではなく)主として「相談援助」であり(「24時間の相談支援体制」!)、また、「住まいの場の確保」とは「グループホーム・ケアホームの整備促進」、「地域移行を支えるコーディネーター機能」とは(パーソナルな暮らし/働く関係を紡ぐ仕組みではなく)「ケアマネジメントを行い、計画的に支援する」という範囲に留め置かれてしまった。

そもそも「障害のある人が普通に暮らせる地域づくり」を目指すと言うならば、パーソナルでフレキシブルな長時間見守り型介護である重度訪問介護を知的障害者へ対象拡大すべきだし、「家族との同居からの自立した生活への移行」は「地域における入所施設の役割」に期待されるべきものではない。そして、「家族と同居しているうちから障害福祉サービスを利用」することを奨励しつつ、移動介護の復活を行わないことの矛盾もまた自問されない。

■支援を受けた自己決定

障害者の権利条約は、すべての場所、日常生活のあらゆる側面において他の者との平等を基礎として法的能力を享有すること、およびその行使に当たり必要とする支援を受けることをすべての障害者の権利として確認している(12条3項)。しかし、このような「支援を受けた自己決定(supported decision making)」の制度化が、現行の成年後見制度をそのまま個別給付とすることで実現するものではない。

後見類型において、選挙権・被選挙権が剥奪されることは論外として、現行制度が自己決定の「支援」ではなく「代行」を基本とする制度となっていること、被後見人は後見人を選択できないこと、必要な限り最も短い期間に適用される必要性・補充性の原則に立った制度となっていないこと、権限のある独立かつ公平な機関による定期審査の仕組みがないことなどは、現行の成年後見制度は明らかに権利条約12条4項に定める「安全装置(safeguards)」を欠く仕組みであることを示している。

言うまでもなく、「三障害の一元化」を掲げ「自立支援」をその名に含む(注1)この法において、知的障害など現実に判断能力の不十分さを有する者たちにとってそれを補う自己決定の支援がなければ、脱施設・地域自立生活など「絵にかいた餅」であろう。また、使いにくい制度をなんとか使いつつそれを為そうという実践現場の努力と苦労も認める。しかし、だからと言って/だからこそ、ナイーブな錯誤は許されない、そのように思う。

■就労支援

働き稼ぐことの実現もまた「他の者との平等を基礎として」であり、就労支援を障害の分野、そして福祉の範疇に囲い込んではならないこと、この障害者の権利条約の要請が今回の「見直し」でどこまで自覚されているのか。

「工賃倍増」ではなく「最低賃金の適用」、特例子会社よりまず一般就労ではないのか。「就労継続支援事業の充実」を言うならば、通勤や職場における介助を認め、知的障害者や精神障害者が自らのジョブコーチをパーソナルアシスタントとして個別給付で利用できるようにするというシンプルで権利条約が求める「個人の自律」を尊重した方策もある。しかしこれらは論点としても示されず、就労支援の「その先」の展望もまた不明である。

(おかべこうすけ 早稲田大学文学学術院准教授)

【引用・参考文献】

・上野千鶴子・中西正司編著「ニーズ中心の福祉社会へ」、医学書院、2008.

・岡部耕典著「障害者自立支援法とケアの自律」、明石書店、2006.

・寺本晃久・岡部耕典・末永弘・岩橋誠治著「良い支援?知的障害/自閉の人たちの自立生活と支援」、生活書院、2008.

注1)しかし、“Services and Supports for Persons with Disabilities Act” というその英訳(出典:内閣官房法令データ)には、「自立」や「自律」を意味する語句は含まれていない。