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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年4月号

ワークスユニオンの役割
―地域生活の最後の砦―

南石勲

最近の福祉の潮流は、「タイムケア」。障がいをもつ本人が、必要なサービスを選択して利用する形態が一般的になっている。

しかし、「ワークスユニオン」は、就労(日中活動)と生活の両面で、その人に必要なサービスをその人の状態に合わせて一生涯にわたり提供し続けることにより、障がいをもつ本人と保護者の不安を払拭し、「安心」を提供することを目指している。

「障害者自立支援法」は、事業者に、障がい種別も年齢も関係なく利用希望者を受け入れ、支援を提供することを求めている。

求められるサービスは、障がいの種別や年齢により異なる。若い人には、持てる力を伸ばし自分を向上させるための支援が重要だし、壮年期を迎えた人には、今の状態を受け入れ、本人らしく生きるための支援が必要だと言える。

多様な利用者への支援を想定すると、支援者は、複数の支援スタンスを人により使い分けることを求められる。それよりも、支援を受ける利用者は、支援者の「自分への対応」と「他の人への対応」の違いに敏感で、そこに差異があると受け入れがたい面がある。ある程度均質な集団で、支援者が同じスタンスで支援できる状況の方が、利用者に無用な混乱を招かない効果がある。

ワークスユニオンの支援の対象は、知的な障がいをもつ人で、一般就労を目指したが企業就労の試みに、幾度か失敗した人たち。また、その途中で断念した人たち。しかし、「働きたい」「働き続けたい」という気持ちを持ち続けている人たち。

また、地域の自立生活の試みに失敗した人たちやその踏み出しに不安を持つ人たち。それでも、町の声が聞こえるところで、自分なりに生きてみたいと考えている人たち。

このような人たちに対象を絞っているワークスユニオンの支援のスタンスは、得意なこと、苦手なことも含めて、それぞれのありのままの現状を承認し、今の自分を「変えるべき」と捉えるのではなく、「変えなくても良い」と捉えることにより、安堵してもらうことと考えている。

私たちはできるだけ多くの人に「支援」を提供したいとも考える。しかし、「生涯を見据えた支援」を提供するためには、本人の状況や願いだけでなく、保護者の思いまでを深く掌握する必要がある。そのため、私たちが支援可能な人数は、100人程度までと考えている。

支援の輪を広げすぎると、「良い支援」はできない。多くの人に提供することよりも、「質の高い支援」を目指したい。

こんな「ワークスユニオンはどうして始まったのか?」

まず、始まりには、〈利用する本人・親御さん・支援する職員〉の三者三様に、それぞれに異なる思いと焦りがあったようです。

本人たちは、それまで企業就労訓練施設にいて、明けても暮れても就職を目指してガンバリ続けていました。しかし5年が過ぎても、会社の門は遠く、思うようには進めない。またある人は、一度は会社に入ったけれど、いろんなことがあって、出てきてしまった。そんな悔しい思いと焦りから、彼らなりに、次の出口を探していたようです。

彼らは、あちこちの企業の場を借りて実習を繰り返していましたから、施設の外で働くのは慣れていたし、むしろそれを好んでもいました。そこで、「会社の場を借りて自分たちの仕事場を作る」というユニオン式の作業施設の始まりは、給料は低くても彼らには願ったり適ったりだったのに違いありません。

(中略)

親御さんたちにも焦りがあったでしょう。その頃所属していた法人は、施設在籍は5年までという有期限制を新たに実施しようとしていました。―「またこの子らは、施設をたらい回しにされることになるわ。働ける間だけでも、ずっと安心して通える場所を、自分らで作られへんもんやろか。」

そして、1997年10月、ワークスユニオンは415人の保護者の力を結集させて立ち上げられました。翌年4月に開設された当初の施設利用者は13名でしたが、彼らのために他の親たちが手を貸したのです。親たちは手弁当で各所を回り、多額のお金を出し合いました。

(中略)

支援者たちは、利用者の企業就職と定着に血道を上げていましたが、誰もが上手く行く筈はないことを端から承知していました。むしろ、就職しようと努力する過程に、人が成熟する価値を見ていましたから、出来なかった場合の受け皿作りに、万全の力を注いでおかなければならなかったのです。まして、期限が来たから見放すという無策だけには終わりたくなかった。しかし5年の期限を過ぎて、行く場を持たない人たちが増え、支援者たちの見識と力量が改めて厳しく問われていました。

その時だけに終わらない、生涯にわたる支援を試みたい、支援者であれば誰でも、そう思うでしょう。ワークスユニオンは、利用者の必要に応じて動くサービス機関ではありません。必要なときに必要なだけ応えるのではなく、果てしなく人生の終わりまで関わりを続けます。

三者三様の、以上のような思いと焦りが重なり合って、ユニオンの作業所が誕生しました。

(機関誌『ユニオン』創刊号(2004年夏号)・創設者「山川宗計氏」の文章より抜粋)

今後、提供したい支援

人の生活を考えると「働くことは重要」でも、すべての障害者に「一般就労」が可能なわけではないし、そこからのストレスに打ち勝てない人もいる。自己実現のための「福祉的就労の現場」も重要なのではないかと考える。

今提供できている「就労支援」は、10人から15人程度の福祉的就労の現場4か所(それぞれの場所で、雰囲気が異なる)、グループ就労の現場、施設外支援の現場(企業内での長期1人実習もあり)である。「施設」に人を合わせるのではなく、それぞれの人に望ましい小さな作業現場を創っている。

一般就労に比べると乏しい収入かもしれない。しかし、その場でそれぞれの人が持てる力を発揮できたら、それはそれで良いのではないだろうか。

障がいをもつ人の地域生活には、「ひとりぼっちは淋しい。でも心の中に土足で踏み込まれたくない」そんな願いも強いのだろう。

「障害者自立支援法」は、地域生活を謳っているのに、その生活の場は、グループホームやケアホーム、保護者との同居、そんな選択肢しか想定されていないのだろうか?

ワークスユニオンが生活支援として提供していることは、ケアホーム(現在定員18人)、支援付き一人暮らし用マンション、休祭日の余暇や楽しみの支援などである。

「支援付きの一人暮らし用マンション」、そんな住環境があってもいいのではないかとの思いから最近、提供を始めた。今のところ希望者はいないが、親亡き後の在宅支援(住み慣れた持ち家での生活の支援)にも踏み込んでいかなければ、彼らのニーズに応えられないと考えている。

障がいをもつが故、「制度を想定した生活」で我慢することを求めるのではなく、それぞれの人が「できないことや苦手なことがあっても、自分らしく生きられる」そんな環境を整えたい。

ワークスユニオンは、「一生涯を想定したトータルケア」を提供したいと考え、利用者の願いと状況によって、いかようにも変われる事業体でありたい。

5年後、10年後には、利用者のニーズの変化により、「事業の形態」も大きく様変わりしていることだろう。

(なんせきいさお ワークスユニオン所長)