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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年4月号

フォーラム2009

知的障害者が国際協力の主役に
―初めての知的障害者本人のJICA専門家・ボランティア誕生

長瀬修

はじめに

2008年は、日本の国際協力の歴史上初めて、日本の知的障害者が本人活動の専門性を認められて、国際協力機構(JICA)の専門家やボランティアとして派遣された記念すべき年となった。また、家族会活動の経験を持つ、知的障害者の家族も専門家としての派遣が実現した。

本稿では、そうした動きを中心に、従来の「専門家」中心ではなく、知的障害者と家族が国際協力の主役となった取り組みについて述べる。

アジア太平洋障害者センター(APCD)

アジア太平洋障害者センター(APCD)は、アジア太平洋地域での障害者のエンパワメントと社会のバリアフリー化を目指す、タイ政府と日本政府の共同事業であり、タイの首都バンコクに位置している。政府開発援助(ODA)プロジェクトとして、実施はJICAが担当している。

APCDは、アジア太平洋障害者の十年(1993年―2002年)の遺産として、ネットワーキングと協力を掲げる非常にユニークなプロジェクトであり、2002年8月に開始されている。

知的障害者のエンパワメント

APCDは、2007年7月までの第1期において、エンパワメントに主眼をおいた障害者の研修、ネットワーキング、情報提供で目覚ましい実績を挙げ、高く評価されている。基盤となっているのは、域内での障害者運動との密接な協力である。

2007年8月からの第2期でAPCDは、第1期の成果を基に、それまで取り組みが弱かった知的障害者とろう者のエンパワメントに焦点を当て始めた。その際に、知的障害分野では、知的障害者と家族の組織である全日本手をつなぐ育成会(以下、育成会)と、国際育成会連盟が協力を求められたのである。

国際育成会連盟のメンバーであるタイの知的障害者の親の組織は、APCDと密接な協力関係にある。タイの自閉症の親の会も同様に、APCDと密接な協力関係にある。

タイとCLMV

そうしたタイの親の会活動の経験と実績を活かす地域として、APCDは東南アジア諸国連合(アセアン)に加盟している域内諸国でも、特に社会・経済的に厳しい状態にあるカンボジア、ラオス、ミャンマー、ベトナム(頭文字を取って、「CLMV」と呼ばれている)での知的障害分野の親の会活動と本人活動の推進を開始した。CLMV諸国では一部、都市単位の親の会ができてはいるが、全国単位の知的障害者の親の会は存在していない。知的障害者の本人活動に至っては、ほぼ存在していない状態である。

2007年11月から12月にかけて、APCDはカンボジア、ベトナム、ラオスの実情把握のための調査に、タイの知的障害者と自閉症者と親の会のメンバーを「リソースパーソン」と呼ばれる助言者として派遣した。この時点で、JICAプロジェクトとして初の知的障害者の他国への派遣が実現したのである。

私は同時期に、JICAからAPCDへ専門家として派遣され、この3か国への訪問に同行し、現状把握に努めた。共通して耳にしたのは、「自分たちの子どもを学校が受け入れてくれない」「受け入れてくれた場合でも、自分たちの子どもは学べていない」「就労の機会がない」「地域生活への支援がなく、家族だけで支援を担わざるを得ない」という声だった。社会保障制度が整備されていない途上国での障害者、そして家族の負担は非常に大きい。知的障害者への差別と偏見も強い。それは、域内では先進的であるタイも多かれ少なかれ同じである。

大変印象に残ったのは、タイからベトナムへ派遣されたタイの知的障害者が、帰国直前に「自分はこの経験を通じて生まれ変わった気がしている」と語りながら、涙を流していたことである。

2008年1月:初の知的障害者専門家派遣(タイ)

この調査を基に、2008年1月にタイで、CLMV諸国の本人と親を対象に「知的障害者広域ワークショップ」が開催された。そこに日本から初めて、知的障害者が専門家として派遣された。派遣されたのは、横浜の本人活動グループ「サンフラワー」で活動している奈良﨑真弓さんである。

JICAとしてこれまた初めて、知的障害者の支援者兼通訳者が日本から派遣された。他障害の支援者と同様、知的障害者の支援者の重要性が認知されたことは大変、心強い。

奈良﨑さんは、参加した感想として、「日本の本人活動のいい部分、そうじゃない部分。アジア(マレーシアやタイ)の知的障害者のいい部分。その両方があります。これからはもっと情報を交換して、本人活動をしていったらいいと思います。そのためには、お互いがお互いを知ることが大切です。私ももっと専門的に勉強して、またアジアの人たちに会いに行きたいです」と語っている(『手をつなぐ』2008年6月号)。

私も「JICA専門家」として参加したが、このワークショップの本人参加者は、私自身の正直に言って「低い期待度」を見事に裏切って、素晴らしい参加と貢献を見せてくれた。

2008年4月:初の知的障害者協力隊員派遣(マレーシア)

2008年4月には、マレーシアにJICAの青年海外協力隊の短期派遣隊員(ソーシャルワーカー)として、奈良﨑真弓さんが派遣され、マレーシアの強力な本人活動組織である「ユナイティッドボイス」と協力して、本人活動をマレーシア全土に広げるために活動した。

知的障害者の青年海外協力隊員派遣が最初にマレーシアで実現したのは、JICAの障害者福祉プログラム強化のための能力向上プロジェクト(マレーシア)に専門家として従事されていた久野研二(現在はJICA国際協力専門員)さんの働きかけの成果である。

2008年8月:本人と親の派遣(タイ、ベトナム)

2008年8月にタイとベトナムに本人、支援者、親がAPCDプロジェクトの一環として派遣された。知的障害者である杉澤哲哉さん(本人の会「トゥモロー」編集委員会)は、タイの自閉症協会を訪問した時のことに触れて「この協会へ行ったときに、民族楽器の演奏があり、そのときに感じたことがあります。それは、この民族楽器の演奏は、それぞれの楽器にそれぞれの役割があり、それが一つになって成り立っているところが本人活動に似ているところです」と語っている「(『手をつなぐ』2009年1月号)。

育成会の袖山啓子さん(親)は、「ハノイでのワークショップでは、支援者や親が本人よりも前面に出てしまう場面が多く見受けられ、日本でも『お母さんにではなくて、ご本人に聞いているのですよ』『あ、そうですね』といった会話がよく交わされますが、本人を支える立場として気をつけなければいけない点は、万国共通なのかもしれません」、「歴史や制度の面で日本とは異なった環境にあるタイやベトナムですが、親として子育てをするときの不安や困難、周りの人が障害について理解するまでの道のりの長さ、子どものために何かについて決断する勇気、決断した後の迷いや期待、そして親が亡くなった後のことに対する心配などは、共通です」と述べている(『手をつなぐ』2008年12月号)。

2009年2月:初の知的障害者JICA研修(日本)

前述の取り組みを受けて、JICAは2009年2月12日から18日まで、「知的障害者本人・家族による自助活動推進」研修コースを実施した。これには、JICAとして初めて、知的障害のある研修員2名が参加した。APCDのカウンターパート研修という位置づけであり、研修参加者はタイの本人2名、家族2名、親の会の会長(自費参加)、それにAPCDの職員1名の計6名だった。

親の会や本人活動の訪問や交流に加えて、就労の現場訪問やグループホームの宿泊体験を実施した。タイの本人は、タイ式マッサージ師と養護学校の敷地内にあるフレンドショップの販売員としてそれぞれ勤めているが、日本での就労状況への高い関心を示していた。本人グループの設立については、「親や他の障害者の協力を求める」「APCDなどをはじめとする協力者が必要である」「仲間の本人を集めるところから始める」「字が読めない仲間が多いので、ロールプレイ形式で説明する」などという感想を本人参加者は述べている。

関連年表

2007年11月・12月 JICA初の知的障害者であるリソースパーソンの派遣(カンボジア、ベトナム、ラオスへタイの知的障害者・自閉症者派遣)
2008年1月 JICA初の知的障害者である専門家派遣(タイ)奈良﨑真弓さん
2008年4月 JICA初の知的障害者である青年海外協力隊員派遣(マレーシア)奈良﨑真弓さん
2008年8月 知的障害者と家族の専門家派遣(タイ、ベトナム)杉澤哲哉さん、袖山啓子さん
2009年2月 JICA初の知的障害者である研修員の日本受け入れ(APCDのカウンターパート)

国連の上海ワークショップ

前記のAPCDとマレーシアへの日本の知的障害者の派遣に大きなプラスの影響を与えた国連の取り組みを紹介したい。2007年10月に中国の上海で開催された国連のアジア太平洋経済社会委員会と中国障害者連合会が主催の「アジア太平洋地域の知的障害者とその家族のエンパワメントに関する地域ワークショップ」である。知的障害者と家族が過半数を占めたこの会議が、関係者に貴重な出会いの場を提供してくれたのである。

おわりに

教育、就労、地域生活など障害分野の課題は、基本的には、先進国と呼ばれる地域と途上国でも同じである。タイでは、本人の同意のない知的障害女性の不妊手術が珍しくないという情報もあるが、日本で優生保護法による強制的不妊手術が撤廃されたのは、まだ13年前の1996年である。

しかし、社会全般において、そして特に「障害者」にとって、途上国と呼ばれる、社会、経済状況が厳しく社会保障制度が弱体な地域の状況は、時に過酷な現実がある。

そういった地域で今後、知的障害者の人権を守るために、家族会活動と本人活動が果たすことができる役割は大きい。一つ言えるのは、これから家族会活動に取り組んでいく際に、当初の段階から、本人活動との協力を意識して取り組むことができるのは後発のメリットである。1960年に設立された国際育成会連盟の中で本人活動が動き出すのは、1978年のウィーン(オーストリア)での世界会議以降であり、本人理事が誕生したのは1992年である。

本年3月には再度、本人と親、支援者のタイへの派遣が行われた。本人理事が1名もいないなど、日本の育成会自体の課題も多いが、そうした点も正直に伝えながら、知的障害者の人権が守られる世界のために、今後もAPCDはじめCLMVやアジア太平洋地域のすべての関係者と共に一緒に取り組んでいきたい。

(ながせおさむ 東京大学大学院経済学研究科特任准教授、全日本手をつなぐ育成会国際活動委員長、国際育成会連盟理事)

【注記】紙幅の都合で、参考文献は必要最小限の記載にとどめた。