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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年4月号

文学にみる障害者像

ウィリアム・サファイア著 徳岡孝夫訳
『大統領失明す』

竹村實

人間アメリカ大統領

この作品はアメリカの著名なジャーナリストでコラムニストでもあるウィリアム・サファイアが初めて書いた小説である。1929年ニューヨーク生まれのサファイアはその優れた評論活動に対し、1978年にピューリッツァー賞を贈られている。この作品は、世界最大の権力者であるアメリカ大統領のホワイトハウスでの日常が詳細に描かれており、興味深い読み物になっている。

もしも現職の大統領が失明したとすればただ事ではない。絶えずその地位を狙っている政敵やマスコミなどの監視の目は厳しく、特にマスコミの取材攻勢は想像を絶するものがある。少しでも大統領の職務遂行に支障が起これば、ただちにその職を追われることになるだろう。秘書、侍医、補佐官や護衛官など、大統領を支えるスタッフたちが日夜神経をすり減らして大統領をサポートしている姿に心打たれるものがある。

この小説の主人公である第41代大統領エリクソンは、経済学者であり、現在は独身である。なぜ、独身であることを断るかと言えば、大統領には複数の愛人がおり、ホワイトハウスでの大統領と愛人との情事がしばしば描かれているからである。

エリクソン大統領は独身だから不倫ではない。思えば元大統領クリントンの不倫騒動が懐かしい。クリントンを「フリントン」というジョークが流行ったものだった。

死地からの生還と失明

アメリカ大統領エリクソンが国務長官を伴ってソビエトを訪問。ソ連のコルコフ書記長との首脳会談を終え、ヤルタにあるコルコフ書記長の別荘へ向かうところから物語が始まるのである。一方、ソ連の外相ニコラエフは軍部と組んで、米ソ首脳の暗殺計画を巡らしている。両首脳が乗るヘリコプターを護衛用ヘリからロケット弾で撃墜しようというのである。結果的にソ連のコルコフ書記長は死亡するが、アメリカ大統領は護衛官の活躍で一命を取り留めるのだ。だが、その折に、頭部に受けた外傷のショックで両眼の視力を失ってしまうのである。

米ソ両首脳の暗殺計画など現実にはあり得まい。事と次第では世界大戦へ発展しかねない暴挙だが、そこが小説なのである。息詰まる展開の中でエリクソン大統領は帰国することができた。そこから盲目の大統領の必死の闘いが始まるのである。

不自然な盲人描写

突然に失明した大統領のために、同じく盲目の精神分析医ヘンリー・ファウラーが招聘される。大統領の心のケアだけでなく、盲人としての基本的な生活動作、たとえば杖のつき方や室内での移動の仕方などを教えるのである。だが、盲人の立場から見て、素直に受け入れられないところがあるのだ。以下、引用してみよう。

『「あなたの顔触ってみてもいいですか?」ファウラーは手を伸ばして、指先でメリンダ(大統領の個人秘書)の顔を撫でた。皮膚はなめらかだ。ほお骨が出ている。輪郭のはっきりした鼻。きりっとしたくちびる。顎のラインも強い。「ありがとう」と言って、ファウラーは指を離した。』

いくら盲人だからといって、初対面の女性の顔を挨拶代わりに触るようなことはあり得ないし、また、黙って触らせる女性もいないだろう。作者はその訳をこう書いているのだ。

『触ってみたのは好奇心もあるが、盲人特有の直感力を(彼らに)印象づけようとの意図である。客に対して直感力を誇示しておくのは、精神分析医として損な行為ではない。』

だが、この表現は乱暴なこじつけに過ぎない感じであり、盲人の実態とはかけ離れていると言わざるを得ない。

さらに言えば、大統領と盲導犬との出会いの場面もリアリティーに欠けると言わざるを得ない。単に利口そうな犬を連れてくれば、ただちにそれが盲導犬になれる訳ではないのである。わが国でも約1か月間、盲人と犬との寝起きを共にした共同訓練が必要なのである。

熾烈な政治駆け引き

エリクソン大統領には専属写真家のバフィ・マスターソンという愛人がおり、大統領のセックスパートナーとして重要な役割を演じているのである。大統領の失明に彼女は深い関わりを持っていた。

それは半年前の大統領選挙中のことだった。エリクソンは列車を使っての遊説中、ある事故に巻き込まれたのだ。当時、すでにエリクソンと深い仲になっていたバフィは列車内で大統領と愛を交わしていた。だが、その最中に列車の運転手が急ブレーキをかけたため、はずみでエリクソンはベッドの前板に頭部を激突させ、そのショックで両眼の視力を失ったのである。無論、そんな事実が明るみに出れば、選挙どころではない。エリクソンの政治生命は終わっていただろうし、当然、大統領に選ばれることもなかった。そこで必死に事実を隠蔽(いんぺい)し、外部へスキャンダルが漏れることを抑えたのである。幸い、2日ほどで視力が回復し、エリクソンは引き続き選挙遊説を続けることができたのである。

だが、このスキャンダルは選挙民に事実を隠蔽したという大きな負い目になり、エリクソンはあくまでも秘密のままにしておかざるを得なかった。本来は失明に関する病歴は医療関係者に開示されなければならないのだが、それをエリクソン大統領は隠し果せるのであろうか。意外なところからその秘密が暴かれていくのである。

失明したエリクソン大統領の職務遂行を不能と断定し、その権限を副大統領に委譲させようという陰謀が財務長官を中心に企てられていた。6人出席する閣僚のうち、4人が賛成すれば大統領は職を離れなければならない。その息詰まるような閣議の模様が読者の心を掴(つか)んで離さない。ほとんど大統領側の敗北が必至と思われた状況を2度までも逆転するスリリングな展開は圧巻である。「昨日の敵は今日の友」、「昨日の友は今日の敵」という言葉が、冷然と行われる現実政治の厳しさを思い知らされるのである。

香水を違えて

エリクソン大統領のセックスパートナーにはそれぞれ異なった香水を付けさせるという設定になっているのだが、以前、『まぼろしの邪馬台国』の著者宮崎康平の逸話として、学生時代からの友人である森重久弥が何かのエッセーで同じようなことを書いていたのを思い出すのである。失明した宮崎康平が複数の愛人を匂いで見分けるために、それぞれ違った香水を付けさせていたというのだ。「まさか?嘘話だろう……」と思っていたが、アメリカの小説にも同じような話ができたので、人間の考えというのは、日本でもアメリカでも変わらないものなのかと妙なところで感心させられたのである。

世界中の期待を一新に背負って登場した第44代アメリカ大統領バラク・オバマのホワイトハウスでの生活は、この小説のように奔放な男女の交流などはあり得ない清潔なものになるだろう。まだ、40代と若くハンサムなオバマ大統領にはさまざまな誘惑の手が伸びるに違いないが、願わくばクリントンのようなスキャンダルだけは願い下げにしたいものである。

さて、この作品の結びはどうなるのか。大統領職を離れたエリクソンが盲導犬とともにホワイトハウスの南庭からヘリコプターで飛び立とうとするところで終わるのである。ホワイトハウスの全職員が賛美歌を歌って彼を見送る情景が印象的だった。

蛇足だが、この小説の訳者である徳岡孝夫は毎日新聞記者としてその文章のうまさで知られた人物である。彼の名文に魅了される読者は少なくあるまい。ご自身、重度の視覚障害を患い、ほとんど失明状態であることを付記しておこう。この『大統領失明す』の翻訳作業に当たられた頃は、まだ視力に異常はなかったと思われるだけに、何かの因縁を感じざるを得ないのである。

(たけむらみのる 元東京都立文京盲学校教諭)

○ウィリアム・サファイア著 徳岡孝夫訳『大統領失明す』(上・下)、文春文庫、1985.