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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年5月号

望まれる地域社会づくりと障害者の役割

高梨憲司

現在、わが国では国連の障害者権利条約の批准に向けた国内法の整備が検討されているが、それに先立ち、千葉県では2006年10月、全国初の障害者差別禁止条例ともいうべき「障害のある人もない人も共に暮らしやすい千葉県づくり条例」が制定された。この条例は「健康福祉千葉方式」という官民協働の条例案づくりの取り組みから生まれたものだが、その議論の過程で、望まれる地域社会づくりのために障害の有無や障害の種別を越えた県民一人ひとりの役割について多くの示唆を得た。以下にその一部を紹介する。

1 千葉県における条例制定の歩み

(1)背景と経過

千葉県では新たな地域福祉像として、千葉県地域福祉支援計画において「誰もが、ありのままに、その人らしく地域で暮らす」を掲げ、それを可能とする地域社会づくりのために、2004年、「第三次千葉県障害者計画」の中で「国に障害者差別禁止法の制定を働きかけるとともに、千葉県独自の条例制定を検討する」ことを明記した。

2004年9月、「差別とは何か」を考える場合、悲しい思いをしてきた当事者の経験を出発点にすべきとの考えから、県が「差別に当たると思われる事例」を募集、日常生活の広範な分野にわたる800余の事例が寄せられた。そこで、2005年1月、差別の解消に向けた具体的な検討を行うため、公募による29人の委員からなる「障害者差別をなくすための研究会」を設置して、事例の分析、差別や障害者の定義の検討、県内各地でのタウンミーティングの開催、関係機関や団体に対するヒヤリングを実施する等、条例案づくりに取り組んだ。同年12月、研究会における議論の結果として知事に条例案を提出。これを受けて、翌年、知事が2月県議会に条例案を上程。県議会における烈(はげ)しい議論と紆余曲折を経て、10月に可決、2007年7月に施行された。

(2)条例の構成と特色

前文および5章36条からなり、福祉サービスや医療、教育等、8分野にわたる各分野ごとに差別を定義し、差別行為に対してあくまでも話し合いによる解決を目指している。そのため、罰則規定を設けず、合理的な配慮を行うことが過重な負担と認められる場合に適用除外としている。また、条例の理念実現のために、「個別事案解決の仕組み」「誰もが暮らしやすい社会づくりを議論する仕組み」「障害のある人に優しい取り組みを応援する仕組み」の3つの仕組みを設けている点に特徴がある。

2 差別をなくすための研究会での議論

(1)健康福祉千葉方式とは

千葉県は行政施策の立案や推進に「健康福祉千葉方式」を用いている。これは、これからの地方自治のあり方として堂本知事が推奨した方法で、従来の行政主導の計画が県民不在で立案されかねないという弱点があったのに対して千葉方式は、県民に身近な問題は県民自らの発案に基づき、県民と行政が一体となって計画案づくりを行い、議会での議論に委ねるというものである。条例づくりがその典型的な手続きであった。

(2)議論から明らかになったこと

委員は県の公募に手を上げ、委嘱を受けた29人のボランティアである。構成も障害者やその家族、福祉・教育・医療・マスコミ・企業等の関係者、一般県民等、まさに地域住民の縮図ともいえる多彩な顔触れで、けっして各会の代表者ではない。毎月2回、仕事を終えてから県庁に集まり、3時間近い激論が計20回に及んだ。

私たちが最初に手掛けたことは、寄せられた事例の一つ一つについて、差別や偏見の内容とその背景を丹念に探ることであった。研究会では、障害当事者委員から差別や偏見を受けた体験談が次々と語られるようになっていった。ある自閉症児の親は、「私の子どもは重度の自閉症のために奇妙な行動をしたり、人中で大声を発することがある。そんな時に子どもに注がれる周囲の人の視線がとても辛い」と訴え、また聴覚障害のある委員は、「人に道を尋ねられても分からないので黙って通り過ぎたところ、後ろから追いかけてきていきなり撲(なぐ)られた。無視されたと思ったのであろう」と、平然と語る。

これらはいずれも苦しく悲しいリアルな話ばかりであったが、共通する点は、どの障害種別よりも自らの障害が最も深刻であるとする主張であった。一般に障害者は障害種別ごとに団体を形成することが多く、日常的に自分と異なる種別の人と付き合うことが少ない。そのために、障害種別が異なると、互いの思いが分からないのである。それぞれが主張を繰り返すうちに、徐々にではあるが、他の障害者の思いに驚き、自分だけが特別の状況にあるとは限らないことを理解していった。

一方、それまで聞き役に回っていた障害のない委員の中には、障害当事者の差別に関する考え方に疑問を抱く人も現われてきた。数回の研究会が経過した頃であったろうか。ある福祉作業所で働いている委員が「不良品が多いという理由で、これまで作業製品を下ろしてくれていた会社が作業を回してくれなくなった。これは障害者施設に対する差別ではないか」と発言したのに対して、それまで障害者の意見に反論することを遠慮して発言を控えていた中小企業の社長が、「貴方(あなた)はそう言うが、その会社がボランティアで製品を回していたならいざ知らず、障害者施設であろうがなかろうが不良品を出す事業所に仕事を依頼する会社などある筈(はず)がない。私たち中小企業は利益を獲得するために必死に頑張っているんだ。苦情を言う前に不良品を出さないように努力することが先ではないか。障害に甘えては困る」と、厳しい口調で反論したのである。一瞬、会場に緊張が走った。おそらく障害のある委員には「冗談じゃない」という憤慨が、障害のない委員には「よく言ってくれた」という思いが脳裏を過(よ)ぎったに違いない。座長の「実は、この社長さんは障害者を多数雇用し、就労支援に奔走している方である」という機転の利いた補足説明で、皆の胸のつかえが一気に取り払われたように思われた。

こうした議論を積み重ねることによって、互いの思いに共感し、差別や偏見は障害者に対してだけではなく、障害者同士や障害のない人たちの間にもありうることを理解していった。その結果、研究会では次のことを確認するに至った。

(3)基本的な考え方

事例の分析の結果、差別や偏見の多くが県民の「障害を知らない」という理由から発したものであることが明らかになった。そこで、障害者問題に対する共通の理解とルールを作ること、「障害のある人もない人も当たり前にいる」という県民文化を創造すること、「あらゆる差別のない地域社会」を実現する出発点とすることを目標に、次のような取り組みの方向性を確認した。

ア 差別をする側対差別をされる側という対立構図ではなく、障害のある人もない人も「すべての人が暮らしやすい社会を作るためにはどうすればよいか」という問題意識を共有することが重要。

イ 発言しやすい環境を整えた上で、障害者も自らの暮らしにくさや思いを積極的に周囲に伝える努力をする必要があること。

ウ 表面の現象を抑制するだけでなく、背後にある原因も含めて社会の仕組みそのものを変えていく仕組みが必要なこと。

3 今後の課題と障害者への期待

条例は緒に付いたばかりでその評価はまだ早い。「条例は国の法律の範囲内」という制約から、障害の定義やインクルーシブ教育の実現等、条例案づくりの過程で積み残した課題も多い。それらは、障害者権利条約の批准に向けた国内法の整備に期待したい。

障害のある人にとっての生活のしにくさは、社会の構成員の多数を占める障害のない人たちが少数派である障害者の特性を十分配慮しないままに築いた社会環境との不調和から生じている。この不調和を是正し、真に「共に生きる社会」を構築するために、障害者は福祉の受給者に留(とど)まるのではなく、自らの体験を生かして新たな福祉を創出する主体者の役割を担うべきではなかろうか。研究会の議論は、私たちにそうしたことを問うたように思えてならない。

(たかなしけんじ 視覚障害者総合支援センターちば所長、元障害者差別をなくすための研究会副座長)