音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年5月号

ワールドナウ

ベトナムに初のILセンターオープン

中西正司

ベトナム障害者の状況

ハノイ自立生活(IL)センター代表のNguyen Hong Ha(ホンハー)さんと事務局長のNguyen Bich Thuy(チュイ)さんが2008年9月にヒューマンケア協会で行った報告によると、ベトナム障害者に関する基本情報は次の通りである。

まず障害者人口であるが、ベトナム総人口の6.4%にあたる530万人である。このうち87.3%の人々が地方で生活し、その多くが貧困状態にある。障害の内訳は、身体障害が29.4%、視覚障害が13.9%、聴覚障害が9.3%、精神障害が16.8%、知的障害が6.5%、言語障害が7.1%、重複障害が20%とのことである。障害の原因は、35.8%が先天性のもの、32.3%が病気によるもの、そして31.9%が戦争や事故によるものである。

障害者に関する包括的な法律はまだないが、現在、ベトナム政府内で障害者福祉法の草案作りが進められており、2009年内の制定が予測されている。

福祉政策としては、重度障害をもち貧困状態にある障害者、精神障害者、そして2人以上の重度障害者がいる家族には1か月120,000ドン(約780円)の手当が支給されている。しかし、物価上昇が大きい現在のベトナムでは十分とはいえない。またハノイ市では、障害者にはバスの無料利用カードが配られているが、車いす対応のバスがまだ導入されていないため、実際に利用できるのは杖などで移動ができる中・軽度の障害者に限られている(ベトナム南部のホーチミン市では、最近数台の低床バスが導入されたとのことである)。

ILセンター設立までの経緯

DPI(障害者インターナショナル)では、10年前の1998年に、障害者能力開発セミナーをハノイで開催した。この頃のベトナムでは、障害者団体は反政府活動につながるとして、全国的なDPI組織を作ることが許可されなかった。政府の承認を得た団体としてはBF(Bright Future:輝く未来の会)がある程度で、そこではコンピューター教室と英語の教室を障害者と一般人に提供していた。この団体が今回のILセンターの核となる。

2008年3月、ベトナムのILセンター開設について、ハノイ障害者協会(DPハノイ)とBFのメンバーにそれぞれ説明会を行った結果、ILセンターの設立に支援をしてくれることになった。またNCCD(障害団体調整委員会)の会長Nghiem Xuan Tue(ツエ)さんを訪問し、政府側に対してILセンターの説明を行い、全面的な協力を得られることが決まった。ベトナムにおいては、政府側の知らないうちに新たな団体活動を始めることは不可能で、随時進行状況を政府に話していく以外に方法が無い。ツエさん、DPハノイ、BFのメンバーとは幸いDPIの活動を通じて20年来の友人であり、その下地もあってILセンター設立は成功裡に進んだ。

2008年7月、ILセンターを実際に運営してくれるスタッフの選考のため、再びハノイを訪問した。代表候補として、BFの現会長でありJICAやFACIDのプロジェクト・マネジャーを務め、英語に堪能で有能なポリオの車いす女性ホンハーさんに代表をやっていただけることになった。彼女は事務局長として、BFの盟友であるチュイさんを選んだ。彼女は進行性の筋萎縮症のため日常生活の介助が必要で、将来の生活に不安を持っており、ILセンターの事務局長として適任であった。ホンハーさんも日常生活で現在介助者を入れており、またとない職員配置となった。そして日本財団の支援を得て、ハノイILセンターはスタートすることになった。

これまでの支援状況

2009年2月、第1回自立生活セミナーと自立生活研修が、DPIアジア太平洋ブロック(DPI-AP)と日本財団の支援を得てハノイ市で開催された。ヒューマンケア協会からは職員3人が派遣され、全体会ではNCCD会長ツエさんの基調講演の後、式場日本大使、尾形日本財団理事長、バンDPハノイ副会長の祝辞に続いて、DPI-AP議長である中西がILセンターの説明をした。その後、センターの活動をピア・カウンセラーである秋山浩子が行った。参加者は障害者、行政、専門家、マスコミ関係者等300人が集まり、テレビでは10分間のILセンター特集が組まれた。

翌日からは、参加者を20人に限定して、ILセンターの各種サービスと運動、ピア・カウンセリングと自立生活プログラム(ILP)についての4日間の講義が行われた。

参加者は、原則として介助の必要な人に限定した。その結果、脳性マヒ、ポリオ、頚髄損傷、筋ジストロフィー、脊髄損傷等の障害者が新旧ハノイ市から集まり、連日自宅から開催場所であるサンウェイホテルに集まった。介助者も20人が学生を中心に集められ、介助者講習会も同時開催された。

これからの支援であるが、6月にリフト付き車両の贈呈、8月にピア・カウンセリング研修の開催、10月に当事者を日本に招いての自立生活研修の実施を予定している。

政府・行政の対応

2009年9月の障害者福祉法制定に向けて、ベトナム政府内で準備が進められている。現在第4版までできている福祉法草案では、自立生活の定義が前文で謳(うた)われ、行政の義務の章では、地域での医療、介助、教育、就労を行政は障害者に確保することが義務付けられている。この法律の制定とともに、介助サービスの制度化とILセンターへの支援が検討に入っている。第3版が作成されていた2008年5月の時点では、副大臣も来日して自立生活についての視察を行い、局長クラスからも1日6時間の介助サービスから始めるべきか、8時間から始めるべきかという質問が出ていた。今回のセミナーの様子はテレビ、新聞等でも大きく取り上げられたため、政府も今度こそ障害者問題を真剣に政策化するつもりである。

NCCDは、2009年5月1日より前副大統領を会長とするベトナム障害者連盟が発足し、ツエさんが副会長に就任する。DPハノイやBF、ハノイILセンターも会員として参加する全国障害者団体となる。

研修参加者の状況

枯葉剤による肢体不自由の女性Nhung(ヌン)さんは、300キロ離れた県からハノイ市にコンピューターの技術を獲得するために出てきて、一人暮らしをしている。トイレも一人でできないような状況で、近所に住んでいる障害をもつ同県人に介助をしてもらって過ごしているという、信じられないような経歴を持つ。故郷の家族から毎月送られてくる15ドルと月780円相当の障害者年金で、アパートを借りて自炊をして暮らしている。すぐ近くにマーケットがありそこで安く食料品を買い、ホットプレート一つと湯沸かし用ポットだけが炊事道具である。今はILセンターから1日14時間の介助サービスが入っており、生活はずいぶん改善されているという。

Huong(フオン)さんは、自宅のバルコニーから転落して頚髄損傷になって2年目である。脳溢血の後遺症のある父親、大学の物理学雑誌の編集をしている母親、そして弟と暮らしている。現在ILセンターから1日7時間半の介助を受けている。外へ出たがらなかった彼女をセンターの職員が説得して、近頃は介助者と外出するようになってきた。ILセンターに務めてピア・カウンセラーになりたいというのが彼女の夢である。幸いILセンターから家が近いので、電動車いすがあれば通うつもりだという。

Hoa(ホア)さんは脳性マヒの当事者で、83歳の母親が介助して暮らしている。最近母親が介助疲れで、ILセンターの支援を求めてきた。しかし、家の中に介助者を入れることに抵抗があったため、最初は食事介助から始めたが、最近は入浴介助まで依頼が来るようになった。介助者はトイレ介助もやりたいと言っているが、母親の許可がまだ出ていない。日本から電動車いすを持ってきて乗るように勧めているが、本人は外出する用事が無いので練習のみに留(とど)まっている。本人は父親が教授をしていた近くの大学に通うのが夢である。今英語の勉強をしており、会話も少しはできる。

このような利用者に恵まれ、ハノイILセンターは、日本大使館近くの5階建ての事務所ビルでスタートした。介助サービスのシステム作り、不足している男性介助者の募集、ピア・カウンセリングのリーダーの育成、ILPの試行、5階の体験室を使ったILPの開始準備など、これからやらなければならない事業が多い。政府への介助サービス制度の設立やILセンターへの支援要請、交通アクセスの保障など運動面でも期待されていることは多い。

ハノイ市では、これから地下鉄東西南北ラインの建設工事がスタートする。アクセスの良いエレベーターのついた駅を作らせるのも彼らの役割である。今後の活動を見守りたい。

(なかにししょうじ DPIアジア太平洋ブロック議長)