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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年7月号

政策決定過程における当事者参画の意義

吉川かおり

1 当事者参画の意義と役割

ノーマライゼーションの広まりや当事者運動の高まりを受けて、特に「国連・障害者の十年」以降、さまざまな分野での障害当事者の参加・参画が国際的に推進・実現されてきた。障害者の権利条約制定の際に、当事者の果たした役割が大きかったことは周知のとおりである。

わが国でいえば、障害者基本法などの改正のみならず、自立支援協議会、障害者計画の策定委員会や施策推進協議会、障害程度区分の認定審査会などにも障害のある人々が参加し、決定に関与するようになってきている。

当事者が参画する意義は、当事者のニーズをより反映した政策・施策にできるという点にある。また、当事者不在のまま議論を進めてしまうと、当事者を要援護者・弱者という立場に押し込めてしまい、医学モデルに陥りがちになってしまうという側面もある。当事者参画は社会変革のためには必要不可欠であり、それはとりもなおさず、社会モデルへの転換を推進することに結びついていく。

さらに、完全参加と平等のあり方を、政策決定レベルから実現することによって、より実効性の高いものにすることができ、障害のある人のエンパワメントにつながるため、当事者がさまざまなレベルで政策・施策決定に参画し、その役割を果たしていくことは重要である。

2 現状と課題

このように、さまざまな審議会や協議会に委員として参加する機会が増える中で、いくつかの課題も浮き彫りになってきている。これらの課題は、当事者参画を進める際に必ずといっていいほど(国を超えて)存在しており、どのようにしてクリアしていくかが問われている面でもある。

1.「合理的配慮」のあり方

委員会内に当事者がいるものの、支援システムが提供されていない場合がある。特に、情報入手等に困難がある場合には、事前に十分な時間を用意し議題や資料を理解しやすくするなどの工夫が必要になるが、資料の当日配布や単にルビをふっただけの支援では、議論への十分な参加を困難にしてしまう。形式的な参加は、結局のところ当事者の存在を無力なものにしてしまい、当事者参加の意義を失わせてしまう。

2.「代表性」と「マイノリティー」への配慮

障害の種類も程度によってもさまざまな生活状態がある中で、その人の生活体験がすべての障害のある人を代表しているとは限らない。もちろん、これは障害のない委員についても同じことが言える。ある事業所の代表をしているからといって、すべての事業所を代表しているとは限らないのであるから、代表性をどのようにとらえるかは、当事者だけでなく周囲の者(協働する委員メンバーも含めて)についても問われるものである。

さらに、マイノリティーやジェンダーの視点を反映させていくことも、同様と考えられる。

3.「代弁者」「支援者」の位置づけ

代弁者としての家族の役割と当事者参加の関係について、歴史的経緯から導き出されている結論は、「家族は代弁者ではない」ということである。社会サービスが整っていない状況の中では、制度やサービスの整備=本人および家族のニーズ、という構図が成り立っていたことは事実であるが、時代を経るにつれて、本人のニーズと親のニーズは別なものであるという考え方が主流になってきている。

本人・家族・支援者は、時として利害相反し、パワーコントロールが働く関係であることを多くの人が認識し、代弁者・支援者の位置づけを考えていく必要がある。

3 課題解決への手がかり―障害観・障害者観

前述のような、「障害」への配慮不足や当事者の「能力」への疑問視は、本人や周囲の者が「障害」をどのように認識しているか、そしてそれが当事者にどのような影響を与えているかということと、密接にかかわりあっている。

これらの諸課題を解決していくためのひとつの手がかりとして、当事者の、そして家族・支援者や社会の障害観に焦点を当て、スウェーデンでの実践を例にとり考察してみたい。

スウェーデンでは、ノーマライゼーション推進のプロセスにおいて、知的障害のある本人が否定的な障害の認識をしている場合が多く、それが否定的な自己像に結びつき、消極性・依存性や障害の否認として表れていることが明らかになった。

そして、本人の障害観を変える取り組みと同時に、本人の障害観に影響を与えているものは何かという議論が活発に行われるようになり、その人の価値を低め自尊心を傷つけているのはひとりの大人として扱ってもらえないという体験によるものであることや、知的障害のある人を自分よりも低い位置にある人と位置づけて自らの安心を得ている支援者のあり方を改善する活動が行われるようになったという。

そのような取り組みの結果、親の会の理事としての本人参加だけでなく、さまざまな政策決定への本人参画が実現されていったのである。

本人活動や、親の会をはじめとするさまざまな活動への参加を通して、当事者自身が力をつけていくプロセスはまた、障害観・障害者観を本人および周囲の者が変えていくプロセスに他ならない。

日本において時折みられる、当事者の力を疑問視し、支援者の意見に引きずられるのではないかという懸念には、当事者が代弁者や支援者を監査・評価する仕組みを作ることで対応することができる。知的障害のある人が「守られるべき対象」から脱却するためには、家族や支援者が自身の障害観・障害者観を変革していく必要がある。それをしない限り、意志決定や政策決定における参加能力が問題視され、結果として、参加に大きな制限が出るという悪循環は続いていくのである。

4 おわりに―「共同決定」の模索

当事者参加・参画のあり方は、「障害のある人に関することを障害のある人抜きで決めない」「完全参加・平等」を追求する流れの中で、「自己決定」の重視と結びついてきた。それは、力(発言力・思考力)のある当事者の社会への組み入れを可能にし、一方で、自己決定力に困難を持つとみなされる人々を取り残すという構造にもつながる危険性をはらんでいる。

この点について、全日本手をつなぐ育成会本人活動委員会が実施した、本人参加に関するアンケートの結果を参照してみたい。

この調査は2008年11月から12月にかけて行われ、都道府県・政令指定都市・中核市の障害福祉課に、知的障害のある人の行政の委員会や会議への参加状況を聞いたものである。回答率は、都道府県68%、政令指定都市71%、中核市77%であり、都道府県レベルで見ると、10か所(全体の31%)で「障害者施策推進協議会」「障がい者自立支援協議会」「障害者計画策定作業部会」に知的障害のある委員が参加していた。

本人委員がいない所に、今後の参画予定を聞いたところ、「ある」2か所(9%)、「態度保留」6か所(27%)、「なし」13か所(59%)となっており、態度保留の理由としては、「今後検討していきたい」「これまで(本人参加の)要望がなかったが考えていきたい」「今後の課題としたい」「団体に推薦を依頼しているが、本人を推薦してこなかった」「他県の様子を見て考えたい」といったことが挙げられていた。

このように、知的障害のある人々の「参加の制限」として働く環境因子には、支援者や家族が障害のある当事者を無力なものとみなし、自らのニーズを他者のニーズと勘違いして代弁性を発揮してしまうということも含まれており、このような問題を解決していくためには、自己決定のあり方とともに共同決定のあり方についても論議を深めていく必要がある。

スウェーデンにおけるLSS(特定の機能障害のある人々に対する援助及びサービスに関する法律。1994年)第6条1項には、重い機能障害のある人たちが価値ある生活を送ることができるようにするために、「自己決定の権利と人間としての尊厳とを尊重し、支援やサービスの内容を決めるに当たって、可能な限り本人の意思が反映されることと本人との共同決定が行われなければならない」ことが明記されており、共同決定もまた自己決定と同じように重視されていることがわかる。

政策決定過程においても、本人の意思の反映の仕方および共同決定のあり方を視野に入れた決定がなされていくことが、より重度の障害のある人を組み込んだ社会づくりには必要不可欠であると考えられるのである。

(よしかわかおり 明星大学人文学部教授、全日本手をつなぐ育成会理事)