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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年7月号

トピックス

~全日本ろうあ連盟創立60周年記念映画~
「ゆずり葉」にかける思い

脚本・監督 早瀬憲太郎

映画を作りたい!

私はろう児対象の学習塾を経営しています。ろう児への教育に長年関わってきて実感しているのは、ろう児向けの映像教材がほとんどないことです。

それで10年ほど前から自分で脚本を書いて撮影・編集を行い、NHK教育テレビの「お母さんと一緒」のような、ろう児が楽しみながら学べるビデオ作品を作るようになりました。CS放送の「目で聞くテレビ」内で子ども向けの番組を作っていくことになり、ミニドラマの制作にも挑戦するようになりました。テレビではめったに出てこない手話によるドラマに子どもたちは非常に興奮して、毎週のように「もっと見たい!」「次を作ってくれ!」と懇願されました。そのうち「ろうの大人が出てくるドラマが見たい!」「なんでテレビにろうは出てこないの?」と言われました。私も小さい頃から映画が大好きだったのですが、常々そのように感じていました。「じゃあドラマを作ろう!」ということで、子どもたちと一緒に作った「あきらめないで(2003)」が聴覚障害者映像祭で大賞をいただきました。映画を見て泣いたり笑ったりしている子どもたちの姿に映像の持つ力のすごさを実感しました。それが縁で、ろう者で自主制作の長編映画を作っているグループと出会い、一緒に脚本と演出をして作った映画「迂路(2005)」で、トロント国際映像&アートフェスティバルでグランプリを受賞しました。

「映画を通して子どもたちが先輩のろう者の活躍する姿を見て、ろう者としての誇りを持ち、社会で自分の夢を実現していく力を身につけてほしい。ろう者をテーマにした映画を作りたい」という思いから、ちょうど創立60周年を迎える全日本ろうあ連盟に記念映画製作の企画書を出しました。最初は30分くらいの記録映画の予定だったのですが、広く国民に見てもらえるような映画にするべきだという声が連盟の中でわきおこり、最終的には、初めてろう者の手で本格的な劇場映画を作ることになりました。

劇場映画を作るというのは初めてのことですから分からないことがたくさんありました。一つ一つが手探りの状態でしたが、日本映画学校の協力や映画製作のプロたちが関わってくれるようになり、少しずつですが確実に前に進めることができました。何よりも、何の実績もない私に脚本と監督を任せてくれたことが連盟にとっての一番の困難だったのでは?(笑)。知識も経験もない。あるのは情熱だけ。でも人の心を動かすのはその人の知識や経験ではなく、その人の中にある思いにどれだけ共感できるかどうかなんだということを学びました。

当初は聞こえない子どもたちのために始めたことですが、次第に聞こえる聞こえないという枠を超えて、純粋にエンターテイメントとしての「映画を作りたい!」という気持ちが強くなっていきました。そのためには、やはり映画の基本をきちんと学ばなければならない。8年くらい前に妻がろう者で初めて薬剤師になったときにたくさんのテレビ局が取材にきたのですが、その製作スタッフに映画を作っている人たちが何人かいて、テキスト片手に個別レッスンのような感じていろいろと教わりました。でもそれが血となり骨となるのは自分で作ることです。そういった意味で、子ども番組を作ってきたことは大きな自信になりました。

ろう者が映画を作るということ

この映画の企画段階で、タイトルは「ゆずり葉」にしようと決めていました。約1年かけて取材や資料を調べてきたのですが、何十年にもわたる運動の歴史を紐解いていくうちに頭に一つの言葉が思い浮かんだんです。それが「ゆずり葉」です。

若い葉と年輩の葉が共に生きながら譲っていくという「ゆずり葉」が、まさにろう者が何十年も運動をしてきた中にある精神と同じだと思ったんです。それは今の社会全体が忘れかけている精神でもあります。

今の社会を見ると、譲らない人たちがたくさんいるように思います。次の後進のために譲ることを考えられる社会になってほしい。でも実際は譲りたくても譲れない人たちも多いのではないでしょうか?後進に譲った後に安心して落ち着ける場所がない。だからこういう場所を作って、先輩たちに気持ちよく譲ってもらうのは私たち若い者の役割だと思うんです。人としての譲る側の思い、譲られる側の思いを映画で描きたいというのが一番の目的でした。映画の中に「私たちはいつも譲られそして譲って生きていく」という吾郎の台詞がありますが、本当にこの通りだと思います。

今回は手話による映画なので、出演者にもリアリティーにこだわりました。手話に関しては観客も知らない人が多いので、聞こえる役者さんが数か月学んだだけの手話で演じてもほとんどの人がそれを本物だと思ってしまいます。ですが、手話を日常的に使う聞こえない人から見ると、やはり違和感をもちます。今回の映画は、すべての人にとってリアリティーのある映像にこだわりたいということで、ろう者役はろう者、聞こえる人役は聞こえる人を選びました。こういうと、警察ドラマの刑事は本物の刑事ではなくてもリアリティーは出せると言われます。職業の場合はそうかもしれませんが、手話というのは言語ですから言語のリアリティーは、やはりろう者でないと出せないと思います。

ところがろう者の俳優というのは非常に少なくて、舞台役者なら結構いるんですが、映画となるとほとんどいません。必然的にほとんどが初めての人になりました。聞こえる人の役はほとんどがプロの人です。主演に今井絵理子さんに決めたのは、彼女の女性としてのたたずまいやその生き方が、私の描いていた登場人物の早苗像にぴったりだと感じたんです。もう彼女しかいない!と。試写会で彼女の顔がスクリーンに映し出されたときに、本当に女性として、母親として醸し出す凛とした美しさが、強く伝わってきて思わず見惚れてしまいました。今井さんだからこそ早苗を演じられたと思いました。

現場では手話通訳がずっとついていましたので、全く普通の現場と同じでした。スタッフともお互いに初めての経験なので最初は戸惑いは当然ありましたが、目指すものは同じで一つしかないので、自然に良い映画を創るぞ!という雰囲気でまとまっていきました。聞こえる人だけのシーンの時にはもちろん私には役者の声は聞こえないのですが、通訳を通して声のトーンを知り、自分の目で役者の表情、立ち振る舞い、呼吸すべてを感じ取りました。そうすると、自分がダメと思ったら実際に声も良くないことがたくさんありました。逆に、自分がOKと思った時は声も最高なんです。スタッフからは、次は役者全員聞こえる人の映画の監督もできる!と言われました。

その時、私自身も目から鱗が落ちたような気持ちになりました。私がろう者だから必ずしもろう者をテーマにした映画を作らなければならないわけではないと。もちろん、ろう者である私だから撮れるろう者をテーマにした映画はあると思います。でも結局、そこにあるのは映画そのものが面白いかどうかだけなんだと思います。極端に言えば、監督がろう者であることは、観客にはどうでもいいことだと。映画の最後のエンドロールで「あれ?監督って聞こえない人だったんだ」と気がつくくらいが一番いいんじゃないかって思います。

世界に通じる人間ドラマを描き続けることで、自然にろう者が映画の世界で活躍していく道が広がるんではないでしょうか?たとえば2時間ドラマによくあるような「美人湯けむり殺人事件」といったドラマの刑事がろう者とか、目撃者がろう者とか、もっと自然にいろいろなドラマにろう者や手話が出てくるといいなと思っています。ろう者が犯人でもいいし、笑いあり涙ありの娯楽作品がいつテレビを見てもやっている世の中を目指していきたいです。そうして、ろう児たちが監督を目指したり俳優を目指せるような道筋を作っていくのが私の目標の一つです。

私はこの映画は啓発映画とは捉えていません。確かにテーマはろう者の運動の歴史が背景となっていますが、この映画でろう者の問題や手話について知ってほしいというよりも「あーいい映画だった」と言ってもらえるような映画にしたかったんです。

この映画は強いていえば恋愛映画です。二つの古い恋と新しい恋が織りなす恋の物語という感じです。ですから、普通の映画としてたくさんの人に楽しんでもらいたいと思っています。その結果、耳が聞こえない人の世界を知るきっかけになれば言うことはありません。

(はやせけんたろう)