「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年9月号
私の子育て体験
子どもを育てる権利
家平悟
私たち夫婦には、いま4歳の息子がいます。そして、今年の11月末には2人目が生まれます。子どもをもつことができた喜びは、大変大きなものがありました。
私は、頚髄損傷者(C4・5)です。全身性の障害と感覚や排尿排便などにも障害があるため、日常生活のほとんどの場面で介助が必要です。
自分の障害の重さを感じることはたくさんありますが、子づくりにも障害がありました。結婚後に本格的な不妊治療をはじめ、3年以上かかってようやく子どもを授かりました。
障害があるために、普通に子づくりできない人たちがいます。また、障害のない人たちでも不妊治療などが必要な人がたくさんいます。
現在の日本の医療制度では、不妊治療は保険の適応外となっており、全額自己負担となります(平成17年より特定不妊治療費助成事業が創設、年間10万円の補助)。子どもがほしくても不妊治療をやめてしまう大きな原因のひとつに費用負担の問題があります。私たちもお金がないから続けられないと思ったことがあります。障害のあるなしにかかわらず、せめて不妊治療を医療費の対象にすることが子どもをもつ困難を救う手だてになるのです。
子育てへの支援の必要性
私たち夫婦は、私に障害があり、妻にはありません。なので、子育てのほとんどは妻の肩にのしかかっています。子どもが2歳までは、大阪で3人暮らしだったため、妻は働きながら家事と育児に追われる毎日でした。
私にはヘルパーさんが毎日朝晩、介助に来てくれていましたが、ヘルパーの支援は基本的に、障害者本人だけで子どもの支援はできません。一応、「育児をする親が十分に子どもの世話ができない場合に『育児支援』を認める」通達が出ていますが、自治体によって対応は大きく違います。それに、私たちのように妻に障害がない場合は、なかなか認めてもらうのが難しいのが実態です。
妻も疲れてくると「もうなにもかもでけへん」と涙することもしばしばありました。また妻が風邪などをひくと、一気に生活がピンチになることもありました。日中は保育園で見てもらえますが、家庭での支援がないため、真剣にベビーシッターを雇うことも考えました。
こんな時にいつも考えるのは、もしヘルパー制度が、私が家族の一員として役割を果たすために使えたなら「妻と同じように子どもの育児に参加し、家事も分担できるのに」「そして、妻が病気になっても一人の自立した夫として家族を守れるのに」ということです。
現行のヘルパー制度は、利用時間数の上限設定をはじめ、入院時の利用や家族への支援の問題など、利用を抑制したり、規制や制限することを前提にした制度設計となっています。障害者が子育てすることを保障するために、こうしたあらゆる規制を撤廃し、家族の一員として普通に暮らせる制度へ転換させていくことが必要だと思います。
子どもとのかかわり
介助保障がないために、私の子育ては限られています。それでも子どもと過ごすひとときは楽しいものです。子どもが歩きはじめるまでに私ができたことは、童謡を歌うことと、ご飯を食べる時に「おいしいね~」「いっぱい食べようか」と声をかけることぐらいでした。
しかし、2歳を前にした頃から少し変わってきました。息子の体が成長し、手足も器用に動かすようになったので、大抵のことが自分でできるようになりました。そのため、車いすにもよじ登れるようになり、抱っこも自分からしてきます。
そして何よりの変化は、だんだんと言葉を覚え、会話ができるようになったことです。話が通じるようになり、体が不自由な私も一緒に遊ぶことができるようになりました。絵本を持ってきて私が読んで、子どもが本をめくります。いまは一緒にビデオを見たり、しりとりをするのが流行です。
しかし遊んでいる時、悲しい現実に出会うこともあります。
先日、妻が疲れていたので、2人で近所の小学校にボール遊びに出かけました。私には、ボールを蹴ることや投げることはできないので、電動車いすでぶつけて転がしました。でも、はじめは喜んでいたのですが、だんだんと子どもが物足りなさを感じているのに気づきました。ふっと隣を見ると、障害のないお父さんと子どもが激しくボールを蹴りあっていたのです。それを見て「もういい」とつまらなそうにしたとき、胸がキュッとつまり、自分だけで遊ぶ限界を感じました。
障害ゆえのハンディを埋める公的な支援、いろいろとあると思いますが、「子どもと向き合い、おもいっきり遊んでやりたい」こんな当たり前の要求を実現できる仕組みをつくっていきたい。障害者自立支援法を廃止させ、新しい法制度づくりの中で訴えていきたいと思います。
(いえひらさとる 日本障害者センター)