「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年9月号
フォーラム2009
JDF主催講演会「ADAの現状と将来展望」
松井亮輔
はじめに
去る7月10日(金)午後、新宿・戸山サンライズで日本障害フォーラム(JDF)主催による講演会「障害のあるアメリカ人法(ADA)の現状と将来展望」が開かれた。講師は、ADAの第一人者として著名な米国シラキュース大学法学部ピーター・ブランク教授。同教授が7月上旬、札幌の北星学園大学大学院社会福祉研究科での集中講義で来日されるという連絡を受けたため、東京での講演を打診したところ、こころよく引き受けてくださったことから、この講演会が実現したわけである。当初の参加申し込み状況から、参加者はかなり少ないことが懸念されたが、当日の参加者は100人を優に超え、予想以上に盛況であった。
ADAは、雇用、公的サービス(公共事業体の運営する公共交通など)、民間事業体の運営する公共施設サービス、および電気通信を含む、幅広い分野での障害者の差別禁止を意図しているが、今回の講演では、時間の制約から主として雇用分野を中心に話をしていただいた。
ADA改正の意義
ADAでは、「障害(disability)とは、(A)個人の主たる生活活動の一つ以上を著しく制限する身体的・精神的機能障害(impairment)のあること、(B)そのような機能障害の経歴があること、(C)そのような機能障害をもつと見なされること」と定義されている。15人以上の従業員を雇用する事業主は、「応募手続き、従業員の採用や解雇、報酬、昇進、研修、その他の雇用の条件および特権」について障害者の差別を禁止している。雇用上の差別禁止の対象とされるのは、「有資格の障害者」、つまり「合理的配慮(障害を配慮した施設・設備の改造や、職務の一部変更、有資格の朗読者、または通訳の提供など)の有無にかかわらず、当人が従事または希望している仕事の必須の職務を果たすことができる障害者」とされる。
ブランク教授は、大学で法学を教える傍ら、弁護士としてもADA関連の訴訟に数多くかかわってこられたことから、本講演では直接担当された訴訟事例をいくつか紹介された。
そのひとつは、大手銀行で郵便物仕分係として20年にわたって働いてきた発達障害のある人の解雇事例である。「同銀行ではその働きぶりが十分評価され、年々昇給していたが、その業務が外部企業に委託されたことから、その企業に転職したところ、本人に必要な合理的配慮が認められず、解雇された。下級審では、本人が20年にわたって働けていたことから、ADAが対象とする障害者とは認められない、したがってADAによる保護は受けられないということで敗訴。控訴審では、10万ドル以上の賠償金を得て和解するものの、本人が望んだ復職はかなわなかった」という。
この事例に象徴されるように、雇用に関連する敗訴理由のほとんどは、ADAに基づく障害に該当しないという裁判所の判断による。つまり、裁判所は、最高裁も含め、ADAが対象とする障害をきわめて狭く解釈してきた。
こうした裁判所による限定的な障害の定義を否定し、米国議会の当初の意図に立ち返り、障害に基づく差別に直面する人びとを広く保護するために昨年9月、ADA改正法が制定された(同改正法は、本年1月に施行)。ブランク教授は、この改正法によって雇用の場における障害者差別撤廃への取り組みが大きく前進することを確信している、という楽観的な見通しを述べられた。
合理的配慮のコスト
障害者権利条約のキー概念とされる「合理的配慮」は、ADA(最初に規定されたのは、1973年改正のリハビリテーション法)で取り入れられ、その後、オーストラリアおよび英国などで制定された障害者差別禁止法にも導入されている。ADAでは、「(著しい困難または出費を伴う)不当な難儀」の場合を除き、合理的配慮をしないことは、障害による差別と見なされる。
ブランク教授らが、1978年から1996年までの20年近くにわたって、世界的な小売企業として知られるシアーズ・ローバックで行われた数百にのぼる合理的配慮事例について調べたところ、それらに要したコストは比較的少額で、しかもそれを行うことにより、労働生産性の向上、傷害予防、労災補償費の減少、ならびに職場の効率や能率の向上など、企業にとって相当の経済的メリットがあることが明らかになったという。
こうした研究の成果は、障害者権利条約批准に向けて、「職場における合理的配慮の提供」などの法制化について国内で検討をすすめるうえで、参考になると思われる。
ADAによる障害者の就業率への影響
最近、米国労働省により実施された調査では、一般労働者の就業率71%に対し、障害者のそれは40%ときわめて低い。米国では障害者の就業状況について定期的な調査が行われているが、そのデータを分析した結果、ADAは障害者の就業にむしろマイナスの影響を与えている、つまり、ADA導入後、障害者の就業率は、期待に反して低下していると指摘する専門家が少なくない。
ブランク教授は、障害者の就業率の低下の主要因は、ADAにあるという言説は間違いで、調査の対象とする障害者によって、就業率は異なると反論している。同教授によれば、「労働能力を制約する機能障害があるという人びとの就業率は、1990年代確かに低下しているが、同時期、労働制約または重度の機能制約がある人びとのうち、能力と働く意思がある者の就業率はかなり上昇している」という。
ブランク教授らが2001年から2006年にかけて米国の代表的企業14社の約3万人の従業員を対象に実施した調査では、企業の公正さや(従業員のニーズへの)敏感さのレベルが高いと従業員が報告する職場では、仕事上の満足度、会社への忠誠心、すすんで仕事に励む意欲や転職の意思には、障害のある従業員と障害のない従業員の間での差はほとんどない。それとは対照的に、企業の公正さや敏感さのレベルが低いと従業員が報告する職場では、障害のある従業員の仕事上の満足度、会社への忠誠心、すすんで仕事に励む意欲のレベルが低く、より多くの人びとが転職の意思があると表明している。こうした調査結果から、同教授らは、障害者雇用には企業文化が大きく影響すると考えている。
参加者との質疑応答
ブランク教授の講演後、質問者が多かったことから、講演会は予定時間を30分以上オーバーすることとなった。質問の中で、ブランク教授が特に興味を示されたのは、ある製造会社に勤務する聴覚障害のある方からの次の質問である。
「工場内での安全上の配慮ということで、聴覚障害のある従業員に、他の従業員とは色違いの作業帽をかぶることを義務づけている。色違いの帽子によって、聴覚障害者であるということが特定できることから、同じ工場で働く他の従業員の一部からいじめの対象とされることが少なからずある。そのため本人たちは帽子をかぶることに強い抵抗を感じている。ADAでは、これは障害者差別とされるかどうか」
その質問に対して、ブランク教授は、帽子以外に聴覚に障害がある従業員の安全を確保する方法がないことを事業主が証明できればともかく、それらの従業員の安全を確保するための選択肢が種々考えられることから、このケースのように、企業が聴覚障害のある従業員に色違いの作業帽の着用を義務づけるということは、ADAでは認められないという見解を示された。
国内では、こうした事例は、障害のある従業員に対する企業サイドの積極的な取り組みとしてむしろ評価されているのが、実情と思われる。色違いの作業帽などを着用することで、聴覚障害のある従業員が企業内でどのような体験をしているのか、本人たちがそれをどのように受け止めているのかといった本人たちの視点からの見直しが求められるのではないだろうか。
おわりに
この質問をはじめ、参加者からあった質問一つ一つについて、ユーモアを交えながら、親切かつ丁寧に答えようとされたブランク教授のその誠実な姿勢にも多くの参加者は深い感銘を受けた。
現在、国内で議論されている障害者差別禁止法の法制化に向けて、ADAの経験から学ぶべきことが少なくないというのが、同教授の講演を聞いての感想である。
(まついりょうすけ 法政大学教授)