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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年11月号

1000字提言

ろう者の映画俳優

早瀬憲太郎

日本においてろう者の映画俳優は5人にも満たないと言われています。なぜこんなに少ないのでしょうか? 私は仕事柄、多くのろう児たちと出会いますが、俳優を志す子どもはほんのわずかです。数年に一度、聴覚障害がテーマの映画やドラマが放映されますが、ろう者の役は聞こえる俳優が演じ、その脇役にかろうじてろう者が使われる程度というのが現状です。

手話は言語であり、それを日常語とするろう者が築いてきた文化があります。しかし手話を見たことがない人も多く、数か月、手話を学んだだけの聞こえる俳優が演じるろう者の姿が本物だと思われています。ろう者から見るとやはり違和感があります。

ろう者の自然な姿はろう者俳優でなければ出せないと思います。こういうと、警察ドラマの刑事は本物の刑事ではなくてもリアリティーは出せると言われそうですが、職業の場合はそうかもしれませんが、手話という言語のリアリティーは、やはりろう者でないと出せません。聞こえる俳優がろう者の役を演じる限り、一時的な手話ブームにはなってもろう者の生活や実態はなかなか一般の社会には伝わらず、むしろ間違った誤解が生じてしまう場合もあります。

映画「ゆずり葉」のねらいの一つは、ろう者の文化、生活、言語から生み出されたドラマを作ることで、ろう者の役はやはりろう者自身が演じるべきだと一般の観客に実感してもらうことです。

ろう者が主役の連続ドラマや2時間ドラマが普通にテレビをつければやっているという状況になれば、ろう者役はろう者が演じることがごく自然なことになると思います。もちろんろう者ならだれでもというわけではなく、スター性と演技力を兼ね備えたろう俳優がたくさん誕生する必要があります。

ろう者のドラマを特別に作る、と構える必要はなく、たとえば「家政婦は見た」の家政婦がろう者だとか、犯人がろう者だとか、ごく普通にろう者が出てくるというだけで良いのです。恐らくみなさんが普段意識していないだけで、実際に街の中にはたくさんのろう者が自然に手話で話しています。企画や脚本を作る段階でごく普通に、登場人物をろう者にするだけで一歩前進です。

この夏、NHK教育テレビの「中学生日記」に、長い歴史の中で初めて耳の聞こえない中学生の畑菜々子さんが主役を演じました。彼女のように、ろう児たちが俳優を目指したいと思えるような道筋を築くことが、映画「ゆずり葉」を作った私の役割だと思っています。

(はやせけんたろう 映画「ゆずり葉」脚本・監督)