音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

  

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2009年11月号

文学にみる障害者像

子母澤寛著『座頭市物語』
―ヒーローとしての造型

中野惠美子

『座頭市物語』は「天保の頃、下総飯岡の石渡助五郎のところに座頭市という盲目の子分がいた」という書き出しで始まる子母澤寛1)による6000字足らずの小品である。雑誌に発表された翌1962年には映画化され、以後シリーズとして26作が連作される。1974年から1979年にはテレビドラマ化されて人気を博し、2003年には北野武監督によってリメイクされ、ベネチア映画祭銀獅子賞をはじめとする国内外のさまざまな賞を受賞している。

原作は、按摩業で関東を渡っていた市(いち)が助五郎親分の子分になったものの、親分の「渡世の筋目の通らないやり方」に嫌気がさして、どこへともなく去っていくまでの短い物語である。

助五郎は江戸後期を舞台とする講談『天保水滸伝』に登場する房州の博徒である。子分になった市は年若い女房のおたねを連れているが、すでにでっぷり肥った中年男である。頭を剃り、柄の長い脇差を差して歩き、勘が鋭く、賭博場では壺の賽の目をぴたりと当てる。中途失明であるため、色が分かり、文字も知っている。むずかしい言葉を使って仲間のやくざたちに講釈をすることもある。居合抜きの達人で、つまらない喧嘩があると割って入り、宙に投げられた桶をいつ抜いたか、いつ切ったかも分からないほどの剣さばきで、真っ二つに割って見せる。市が出て行くと、どんな喧嘩もたちまち治まるので、堅気の人たちからも頼りにされている。

親分の助五郎は、汚職役人と結託して巧みに世渡りをしている。ある時、やくざ一家同士の襲撃があるが、市は役人と結託している親分への反発心から「目の見えねえ片輪までつれて来たと言われては、飯岡一家の名折れになる」と言って加わらない。助五郎一家は大勢で襲撃したが、相手方の反撃にあって逃げ帰ってくる。

この時すでに市は、親分の元を離れて「草鞋をはく」日が来ることを予感して、おたねに「(その時は)一緒にくるか、ここに残るか」と尋ねる。少し弱気になった市が「おれについて歩いたら座頭の手引きみたいで恥ずかしいだろうが」と言うと、おたねは「一緒になった時から、お前さんは盲目ですよ」と答え、さらに「お前が可哀そうな気がしてなあ」と言う市に「手おくれですよ」と答える。3年後、親分は策をめぐらせて相手の親分を暗殺する。そんなやり方に市は腹を立て、稲妻のような剣さばきで親分の目の前にあった酒徳利をたたき割り、「盃はけえしたよ」と言い残して、おたねと共に姿を消す。

ごく短い作品の中に、市の風貌や居合抜きの妙技に加えて「渡世人として筋を通す」という生き方、そんな市と共に生きるおたねの姿が鮮やかに描き出されている。この原作をもとにして、映画やテレビで「座頭市の像」が築き上げられていき、やくざの世界で堂々と活躍する市の姿に人々は喝采する。

昭和初期に発表された『丹下左膳』2)も「異形のヒーロー」だった。『座頭市』は小品の主人公だったが、こちらは「美剣士」が活躍する物語の脇役である。作品は江戸中期を舞台とする『新版大岡政談・鈴川源十郎の巻』というもので、町奉行大岡忠相を中心に「美剣士」として造型された幕臣らが登場する。丹下左膳は刀傷のために片目と片腕を失った「隻眼隻手の怪剣士」で、失った右腕を懐に隠し、うつろな目をして登場する。道場破りの果てに意味なく次々と人を斬り殺す救いようのない悪役だが、読者の支持は「幕臣の美剣士」ではなく、この「異形の剣士」の方に集まり、各社が競うようにして映画化した作品ではさらに人気が沸騰する。

縄田一男4)は、丹下左膳が生まれた昭和初期というファシズムの嵐が見え始めた時代は、「異形異端の生まれる下地として十分」であり、「近代文学を担ってきた書き手たちの及びもつかぬ、異様な人物を創造することが大衆作家のひとつの命題」であったという。そして、このような「異形のヒーロー」は「我が国の大衆文学の最も顕著な特質の一つ」であり、「欧米の大衆小説のヒーローが持っているような、社会的道徳や秩序の維持をはかるといったテーマとはまったくかけ離れた破壊と殺戮という名の奇怪なパワー」を持った存在である、という。さらに縄田は「内面の懊悩が何らかのかたちをとった場合、極端に身体的障害といった異形として表現される。この象徴は、彼ら自身の、そして彼らを生み出した時代の、そして大衆のアイデンティティなのである」と指摘する(縄田29頁)。

彼の身体の異形は決して社会の本流に乗ることのない、「はみ出し者」としての生き方を象徴している。社会が戦時体制の構築に向かって邁進していく時代に、読者の支持は、体制側にいる大岡越前や「美剣士」ではなく、社会に適応しようとしない、「異形のアウトロー」に向けられたのである。

『丹下左膳』は戦争体制に向けて、徴兵検査によって男性の身体がランク付けされていく時代に、隻眼隻手という「規格外」のヒーローとして登場した。『座頭市』は、その約30年後、戦後の高度成長期に、剣客としては決定的と思える盲目というハンディを負って登場する。どちらも世の中がひとつの価値観に染められていく時代に、その時代の世の中の動きとは違う価値観を体現して人々の支持を集め、身体の障害ゆえに、俗世間にまみれない存在であり続ける。彼らが「異形のヒーロー」であるのは鍛えぬかれた身体と技を持っているからだが、同時にそれがアウトローとしての生き方を支え、「普通には生きられない」彼らの生き方を象徴している。

このような演劇、映画、テレビ番組で活躍する時代劇の「異形のヒーロー」は、近代になって書かれた小説から生まれている。大衆小説といわれる分野で発表された作品に「はぐれ者」として登場したキャラクターたちが、ヒーローとしての地位を確立していった点が興味深い。近代小説は社会の「はぐれ者」となった知識人の自己表現の手段であり、「はぐれ者の視点を重要な因子のひとつとして」発展していった3)(水田226頁)。

近代の作家たちはさまざまなジャンルを超えて、自らの「はぐれ者」としての立場や心情を、登場人物に託して作品を生み出していく。「はぐれ者の視点」こそが、近代小説を生み出す原動力であり、「はぐれ者」こそが、近代小説の主人公であったのだ。身体の障害のために社会の本流から外れた所に位置づけられた「はぐれ者」たちが自覚的に「道」を外れ、ヒーローとして活躍する、このような障害者像は、近世までの作品にはなかった人物像である。アウトローとして行動する彼らはまさに、近代の作品の中で造型された、もうひとつの「近代的な人物像」であるといえる。

物語の中でヒーローたちは強靭な身体と攻撃性を備え、常人を超えた能力を発揮する。こうした勇敢な戦士か優秀なスポーツマンのような人物造型は、「男らしさ」という近代の社会規範に添っている。それは「たとえ身体に障害があっても、鍛えぬくことによって、常人を超える力をもつに至った男」というひとつのモデルとして提出される。そこには、この社会における「男のあるべき姿」といったような価値観が反映されており、「男らしさ」のゆえに性的魅力を備えている。ヒーローの精神性はクールでストイックな生き方のなかに集約されており、生き方と身体の障害は密接な関係にある。このような男性像は極端に現実離れした形ではあるが、物語の中に確かに存在し、行動し、人を愛し、あるいは愛されて、周囲に影響を及ぼしていく。何らかの行動の主体として描かれる、このような表象は男性に限られており、その意味でこうした像は、この社会における男性のジェンダー・ステレオタイプのひとつであるといえる。

作者が表現したいことはさまざまな人間の存在であり、社会に迎合しない彼らのアウトローとしての生き方であり、そこに魅力を感じる人々によって支持されている。しかし、ステレオタイプなイメージや並外れた能力への憧憬は、時として「怖れの感情」を呼び起こすこともあり、現実の姿を見えにくくさせてしまうことがあるという一面も、考慮すべき点であろう。

(なかのえみこ (財)日本知的障害者福祉協会 社会福祉士養成所専任教員)

【引用・参考文献】

1)子母澤寛『座頭市物語』、初出「ふところ手帖」、中央公論社、1961年

2)林不忘『丹下左膳』、初出『新版大岡政談・鈴川源十郎の巻』、毎日新聞1927年10月~1928年5月

3)水田宗子『フェミニズムの彼方―女性表現の深層』、講談社、1991年

4)縄田一男『歴史・時代小説100選』、PHP研究所、1996年