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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年1月号

時代を読む3

日本で最初の共同作業所の開所

1968年(昭和43年)4月に、知的障害児の親の会、障害児学級の教師、大学の研究者らの協力により、8人の知的障害者と1名の職員で、名古屋の南区の企業の一角に、ジャズドラムの組立作業を中心に知的障害者の働く場が設立された(豊(ゆたか)職業センター/名古屋グッドウイル工場)。

この工場は、親企業の倒産によつて1年足らずで閉鎖することになる。しかし、この1年足らずの取り組みは、働けないと言われた障害者が立派に働くことができること、仕事を通しての成長や発達がみられ、親・家族をはじめ関係者の確信となり、働く場の継続を願う大きなうねりとなっていく。

関係者の合言葉は「柱一本もちよって、この子らのはたらく場を」として、共同の力を合わせて新たな働く場の設立の運動が展開される。当時、全くこうした場に対する公的補助制度のない中で、中小企業家(同友会)の協力も得て1969年(昭和44年)3月に「ゆたか共同作業所」が設置された。その後、障害者の働くねがいや関係者の共感のひろがりの中で障害の種別を越えて第2号、3号の共同作業所が名古屋南部の南区、緑区で展開されていく。

この共同作業所の運動と実践は、設立まもない全国障害者問題研究会(全障研)などを通して全国に野火の如く広がり、栃木、東京、滋賀、大阪、広島、高知など全国各地に展開されていくことになる。

この背景には、当時、障害児の教育権保障を求める運動の高揚と相まって、教育と連続する卒業後の働く場づくりへの関係者の切実な願いが込められていた。

こうして全国に展開されていった共同作業所は、全国的な交流と制度の確立を願う全国組織の設立へとつながった。「共同作業所全国連絡会」(現「きょうされん」)が1977年(昭和52年)8月に設立され、全国での運動を推進していくことになる。

(鈴木清覚(せいかく) ゆたか福祉会)