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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年1月号

座談会
ポスト自立支援法-これからの障害者施策と私たちの未来

赤松英知(第2つくしの里施設長)
阿部八重(さくら会)
今村登(自立生活センターSTEPえどがわ事務局長)
多田宮子(さくら会)
真野哲(さいたま市障害者総合支援センター)
司会:竹端寛(山梨学院大学准教授)

初めに自己紹介から

竹端 今日は、どんな政権になっても当事者の思いを実現する世の中にしたいという願いを込めて、私たちの未来を考えたいと思います。

まず自己紹介をしていただいた後、次にそれぞれの地域で生活する上で課題として感じていることをお話いただき、3番目に一番大事なポイントですが、当事者の声が現場や政策できちんと聴かれているかについて、ご発言をお願いします。その上で私たちの未来はどんな世の中に変わってほしいか、リーダーとして自分たちがしたいことなどを話していただきたいと思います。

私は、精神科病院へのフィールドワークがきっかけでこの分野に関わり、長野県で入所施設から地域生活に移行した方々への聞き取り調査を行ったり、山梨や三重で当事者の声が反映される政策を作るお手伝いをさせていただいています。

今村 私は1993年、29歳のときに首の骨を折るけがをして、頚髄損傷になりました。それまでは体育大出身でしたのでスポーツクラブに勤務していて、障害のある人とのかかわりは皆無でした。

リハビリ後、職場復帰はあきらめて故郷の長野に帰ろうかと思ったのですが、住まいを住みやすくしても、山の中では電動車いすで動きにくく、じっとしていられない性格だったことと、けがをしたとき結婚を決めていた彼女が東京の人でしたので、江戸川区に民間のバリアフリーマンションができるという情報を知り、入居しました。

その中の仲間と、「自立生活センターSTEPえどがわ」を立ち上げて7年目になります。当事者5人、常勤のコーディネーターが4人、登録のヘルパーさんたちを入れると約60人の体制で、利用者は短時間の身体介護も含めて40数人です。

多田 東京のさくら会という15人ぐらいの本人部会で、中心メンバーとして活躍しています。会を開くとき、一番たいへんなのはみんなのスケジュールを合わせることです。日曜日に開くのですが、仕事の人も体調を崩している人もいるので、支援者を入れて10人ぐらいが集まっています。

私は、掃除と事務補助の仕事で週5日働いています。前は、帯屋さんに勤めていて、配達の仕事で私には合っていたのですが、仕事が減ってきて週3日、1か月に10日しかないときもありました。今の生活寮に引っ越すときに家賃が倍になり、障害者就労支援センターに登録して、現在の仕事に就いて3年になります。

阿部 私は品川区の生活寮に住んで、掃除の仕事で週5日働いています。さくら会の活動を長く続けているのは、国に言いたいことを言っていかないと障害者の気持ちは分からないので、自分たちで言うことが必要だと思っているからです。

国の人に知的障害者に公団住宅を貸してくださいと話をしたことがあります。考えておきますと話は聞いてくれましたが、その後は何の連絡もありません。結婚した人が入りたいと言ったのですが、無理でした。私たちの会では4組結婚していますが、入れる枠が少ないんです。

真野 私はさいたま市の職員です。障害者総合支援センターの一部門で、平成21年10月1日に立ち上がったばかりの発達障害者支援センターの事業をしています。自閉症、アスペルガー症候群などの広汎性発達障害、学習障害(LD)、注意欠陥多動性障害(AD/HD)等を対象にした相談部門です。

私は、労働や住宅など、行政には福祉の視点がこれから必要だろうと社会福祉の勉強をして、行政一般職として入りました。特に福祉の分野を希望したわけではなかったのですが、勉強してきた力を活かしてほしいということでしょうか、区役所の相談窓口を6年間担当し、障害者自立支援法の支給決定、それにつながるための相談等をしていました。平成21年4月に現部署に異動して、勉強しながらご相談にのっています。

赤松 福岡県田川市という人口5万人の街で、旧法でいう2か所の授産施設の施設長をしております。合わせて65人の障害のある利用者のみなさんが、さおり織りやパン、クッキー、豆腐作りなどに取り組んでいます。また、今年度から弁当作り事業を始めました。給料はまだ少なくて月1万円程度です。

多田 都内の作業所で平均5、6千円ですから、いいほうです。

赤松 グループホームが1か所あり、女性の仲間が4人暮らしています。親御さんが高齢になってきたので、5年ぐらい前に「暮らしの場が新しくいるね、グループホームを建てよう」という話を始めました。そしていよいよ「建てるぞ」となったときに障害者自立支援法が始まって、資金を作るどころではなくなり、ここ4、5年は動きが止まってしまいました。ようやく08年ぐらいから、家族の皆さんと職員で、暮らしの場をつくるために立て直しを図っている最中です。

田川は、昔は炭鉱の町として10万人以上の人口があり栄えていたのですが、今は人口も減っています。障害のある人たちが一般就労しようと思っても、職場がありません。一般就労をしたい人たちもいますので、これから頑張っていきたいと思います。

地域で生活する上での課題

■住まいとプライバシー

竹端 すでに地域生活をする上での課題が出てきましたが、多田さんはどんなところに住んでいますか。

多田 学校を卒業後、3か月ぐらい住み込みで働いて、家に戻り勤め始めたところに通勤寮の人がいて通勤寮を知りました。その後通勤寮に住んで、グループホームか生活寮か一人暮らしかの選択肢がありました。グループホームに行きたいと言ったのですが、職員から一人暮らしができると言われて、アパートに住まわされました。

当時は一部屋に2人で、テレビが2台、相手が演歌、私はポップス、ドラマと時代劇、早く寝たい、遅く寝たいという違いがあって、自由はありませんでした。そのときは相談する人もいませんでした。1年ちょっとして、生活寮に移りました。

竹端 住まいには課題がたくさんありそうですね。

多田 不動産屋さんに物件を紹介してもらって見に行くと、障害者が使うならダメと大家さんに言われたりします。今の寮は古いマンションの部屋を3つ借りていて、寮母さんと女性2人と男性2人が住んでいます。私たちは壁1枚、ドア1枚の世界です。前の生活寮はガスが使えましたが、今の寮は寮母さんの部屋はガスがありますが、私たちの部屋は電子レンジとポットだけで、簡単なものしか作れません。

間取りの問題ですが、もう一人の人が洗濯するとき、私の部屋を通ってベランダに行くんです。洗濯に来そうだという日は部屋でゴロンとできません。鍵もかかりません。もう少し家賃が安くて、それぞれが個室になる一軒家がありましたが、大家さんに断られたので、最後は選ぶことができなかったんです。

私が40代、もう一人が20代で、最初はぶつかりましたが、今は平穏無事にやっています。一緒に住む人との問題は、大なり小なりどこの寮でもあります。

阿部 自分の部屋は鍵がかかります。それは大事ですね。そのほうが楽です。

竹端 入所施設に比べたら、自分の部屋がある分いいけれど、普通の家の改造では、入居者が本当に落ち着ける場所になるかといったら、落ち着けない場所もある。公団住宅を貸してくださいというのは、家賃が安くて、自分の部屋がほしいということがありますよね。赤松さんのグループホームはどんな感じですか。

赤松 一軒家を借りて4人で住んでいるのですが、部屋の仕切りはふすま1枚です。声も聞こえるので、最初は喧嘩が絶えなかったです。今は日本家屋を借りてグループホームにしていますが、プライバシーを守るのは無理ですね。私たちがグループホームをつくろうと考えたのは、一人ひとりの部屋に鍵がかけられるようにするなど、プライバシーを守りたかったからです。

竹端 グループホームでの生活もプライバシーの問題があるのですね。多田さんは、地域で生活するために、我慢しているということですか。

多田 寮母さんがいい人で、話を聞いてくれるし、相談もできます。合わなかったら出ていたかもしれません。

■ハングリー精神がない?

竹端 先ほどはグループホームで苦労しているという話が出ましたが、今村さんは当事者と事業者代表の二つの顔を持っています。どんな地域の困り事が多いですか。

今村 地元の江戸川で生まれ育った人たちはあまり相談に来ないですね。東京で暮らしていると、不便をそんなに感じていないと思います。親御さんも抱え込まずに、うちの子を自立させたいと言います。親が壁になることも少なくて、その分、本人のハングリー精神というか、反骨精神的なエネルギーが生じ難いせいか、家にそのままいられればいいやという感じです。自立を深く考えない人が多くなってきているのは、逆にある種やりづらいという感じもします。

ノンステップバスがかなり走っているし、地下鉄にはエレベーターがあるし、移送サービスもだんだんよくなっています。応益負担の問題もありますが、親元にいる限りは生活が困窮することもありません。親がずっといるわけではないと話をしても、現実味がないようですね。

僕もそうでしたが、地方から出てくる人たちは相談に来ます。ほかの自立センターの話を聞いても、地元の人は来ないという状況があります。地元を活性化したいと思っていますので、そこがジレンマです。

僕らも民間のバリアフリーマンションができて、集まってきた人たちですが、地域の不動産屋が障害者の住居を探しているというと、そこしか紹介しなくなっています。マンションのオーナーが障害者専用ではなく、一般の人も入れるマンションにしたいと申し込みを厳しく査定をしているようなので、健常者も住んでいますが、障害者住宅にならないように気をつけなければと思います。

竹端 地域を活性化すること、障害者のことを理解してもらうことは、簡単なようで難しい課題ですね。先頭に立ってやらなければいけないのは行政だと思いますが。

真野 現在の職場では相談経験も浅いため、まだないので、前の職場での経験で言うと、親と離れて住むのは大きな課題でした。グループホームなど、選択肢は少しずつ増えてはきています。ただ、地元に住みたいときは、収入的な問題もありますので、数少ない物件を求めて、一緒に不動産会社で物件を探したこともありました。

大家さんが一人で抱え込むのではなく、支援者たちに相談して一緒に考えようという気持ちを持てるように、一つ一つ進めていけば、理解が広がるのではという思いがあります。

■理解者、支援者を増やす

竹端 地域の中で障害者の人たちに味方してくれる人を増やしていくことが大事だと思います。自分たちの味方は多いと思いますか。

多田 友達、寮母さん、支援ワーカーとか。マンションの人とは、だれが住んでいるかも分からないし、顔を合わせたら、あいさつするくらいです。

阿部 障害者のことを分かってくれる地域の人たちと交流することです。回る場所は分かっているので、「私たちでもよろしいでしょうか」と話をして、「いいですよ」と言ってくれて、火の用心の夜回り当番をしています。地域の人たちと交流していれば、困ったときに助けてくれると思います。何かイベントがあるときは声をかけてくれます。

竹端 支援者の中には、応援してくれない、あまり協力的でない人もいませんか。

多田 私が仕事や寮のことを相談しても、聞き流す職員がいました。仕事が重くてたいへんで、辞めたいと相談したとき、「今辞めたら家賃が払えなくなるから1年我慢してね」と言われて、1年経って相談したら、もう1年と言われました。そのころ、会社で人間関係が悪くなったので、辞められると思ったら、支援ワーカーが給料が半分でもいいから働かせてほしいと勝手に頼んでいました。オンブズマンに電話して、やっと辞められました。

竹端 嫌なことは嫌だ、と支援者にいえますか。

多田 言いにくいのは確かです。支援ワーカーに相談しても、その場しのぎのこともあります。仕事のことで困っていたときは、「忙しい」の一言でした。うちの寮母さんが一緒に就労支援センターの登録に行ってくれて、1週間ぐらいで今の仕事を紹介してもらえました。寮母さんに相談したり、外の知り合いに話をしたり、私たちが考えられるような環境が必要だと思います。

阿部 生活寮に入っていて支援ワーカーが嫌だというときは、生活寮を持っている上の人に話をして、支援ワーカーが悪いから変えてほしいという人はいるみたいです。そういう話はいっぱい聞きますが、言ったことで、地方に飛ばされる人もいます。

竹端 支援者にきちんと言えないという現実が出ましたが、支援者の側で感じることはありますか。

赤松 私たちは最初に働く場をつくり、その後にグループホームをつくりました。グループホームを始めて思ったのは、当たり前のことですが、働く場の支援と暮らす場の支援は違うということです。働く場の支援は「頑張って一緒に働こう」というスタンスですが、暮らす場は「頑張って一緒に暮らそうね」ではダメですね。暮らしの場は、仕事から帰ってきて話したいことなどをゆったり聞ける、ホッとできる場にしなければいけないと分かりました。

最初のころは、グループホームの担当職員は1人で、利用者は土日は自宅に帰っていたので、ゆっくり話を聞けませんでした。担当職員がしんどいときも、相談できる職員集団がなくて困っていました。今は、複数の職員が交代で支援に入るようにして、土日も利用者を受け入れられるように体制を整えました。人件費は大変ですが、職員にも少しゆとりが出てきて、相談もできるようになりました。

また、利用者も3人ぐらいの職員がいると、この人には相談する、この人にはものを頼むとか分けることができて、スムーズに人間関係が流れるようになりました。

障害当事者の意見はきちんと聴かれているか

■もっと自分の声を上げるべき

竹端 多田さんや阿部さんはどんどん意見を言うようになっていますね。

多田 私たちが自分のことを言えるのは、世界育成会会議に参加して、いろいろな国の人たちと話したとき、たぶんスウェーデンの車いすの人に「自分たちのことを決めるのに、何で自分たちでやらないのだ」と言われて、そこにいた仲間4、5人がグーの音も出なくて、日本に帰ってきていろいろな人に話して、育成会の東京都大会から話し始めました。私たちが言えるようになったのはここ20年ぐらいです。

竹端 この問題に関連して、“そこそこ暮らせる”という現実の壁もあると思います。地域で暮らし、当事者会や自立生活運動に関わっていない人たちは、言わないといけないと思っていないのか、言えないのか。その辺はどう思われますか。

今村 利用者はほとんど肢体不自由の人たちですが、障害者自立支援法がいろいろ言われてはいますが、何も制度がないときと比べたら暮らせますので、問題点が見えにくいということがあると思います。そこそこ暮らせる現実があると、人権とかに発想がいかないし、かえって面倒くさいことなのかという感じを受けます。

竹端 もっと言わなければいけないことがあるのにとお考えですか。

今村 そうですね。自立生活センターが抱える問題だと思いますが、人間の生活のスケジュールは、体調や人づきあいなどによってプラン通りにはいきません。それが当たり前だと私たちは思って、ほかの事業者に比べてできるだけ臨機応変の対応をしていますが、その思いを利用者が共有しているかは疑問です。使い勝手のいい事業所として対応してしまわず、制度通りやったほうが分かってもらえるのではという気がします。

竹端 当事者のことを思ってサービスを組み立てても、そのことの重みを利用者が理解してくれないということですね。

今村 その辺のバランスはすごく難しいと思います。ホームヘルプにしても希望通りではないかもしれませんが、まったく来ないことはありません。利用者も、リハビリテーションセンター時代や施設にいたことなどから、ある種あきらめ慣れている部分も見受けられ、ほどほどで我慢しているのかと思います。もう少し融通を利かせてほしいという部分は、うちで応えてしまうので、集会などのインフォメーションをしても一緒にやろうとする人は出てこないですね。

竹端 それはいいことだと思いますか。

今村 後半の話になるかもしれませんが、制度がよくなっていくことが、本当にいいことなのかと思うことがあります。福祉サービスが充実する怖さです。権利、人権問題として制度がベースに考えられて、この権利を守るためにこういうサービスを、という形で制度ができていけばいいのですが、サービスを充実してあげるという感じで充実させてしまうと、権利として認められていないので財政によっても変わると思います。

問題に気づいている人たちが、がんばってサービス提供をしてしまうと、利用者自身が首を絞められることにならないともかぎりません。民主主義を考えたとき、自分が声を上げていかないと守れないところを、代弁しすぎているのではというジレンマに時々陥ります。

■当事者の意向を尊重したものになっているのか

竹端 行政の立場としては、障害者自立支援法では国と当事者の間に挟まれて、厳しい局面があったのではないですか。

真野 どこまでご本人に必要なものかは、サービスを決定していくプロセスで難しいところがありますね。こういうことがやりたいということがあって、初めて支給の決定が出てくる。妥当性があるのかないのか、行政側が支給決定の中で判断していくのですが、ジレンマに陥るときがあります。国も基準を示してくれませんが、逆に言うと示せない世界なのかと感じるときもあります。

ご本人がやりたいという気持ちとご家族や周りの方がさせたいという気持ち、支援者がこうあってほしいという気持ちがあると思いますが、ご本人の気持ちが見えなくて、周りの方々や私たちの基準になってしまっているのではないか、そう思うときがあります。いろいろな手法を勉強していますが、ご本人の立場に立って考えていく難しさを感じています。

竹端 財政的制約の圧力下で、行政の最前線は当事者と直に接しているので、本人が主張するニーズは大事だと分かるのだけれど、この区分、この標準量の中ではやれないというしんどさが、障害者自立支援法ではあったのではと思いますが、どうでしたか。

真野 また前の部署の話になってしまいますが、さいたま市は、区役所の窓口と本庁機能が分かれていて、政策的なことは本庁がやっていましたので、予算的なものは引っかかりはしますが、比較的直面しませんでした。障害程度区分の中のものであれば、その区分の中でやりますし、上乗せが必要というのであれば、ご本人や支援者と、特別措置(非定型審査会)をかけていくかどうか話し合うというプロセスは取れたのではないかと思います。

今村 最終決定は本庁にしても、障害者自立支援法になって、障害程度区分とか市区町村の支給決定区分の基準が限度みたいな形でネックになるのではなく、聞き取りの中で判断できていたのですか。

真野 ネックはあります。まず基準の説明をして、ご本人との話し合いの中で「でもそこがどうしても必要だ」と出てくる。どうなるかは分かりませんが、「支給決定の上乗せが必要です、審査会にかける手続きをとってみましょう」というプロセスは踏めました。その際に、第三者である障害者生活支援センターがご本人のニーズの整理や代弁をしてくれると互いに状況の理解が進みやすかったと思います。

■行政は聴く姿勢を持っているか?

竹端 行政が障害当事者の意見をきちんと聴いてくれている実感はありますか。

多田 「代表してだれか来てください」と言われて意見は言いますが、その場だけで、その後どうなったという連絡はありません。

育成会の全国大会の決議文で国に要望書を出すと、飛行機や列車の割引が利くようになりましたが、100キロ未満は使えないし、付き添いの分は私たちの場合は出なかったりします。外出が難しい人や一緒に行かないとダメな人もいるので、いろいろ訴えていますが、まだ全部は実現していません。

阿部 都庁に呼ばれて、話をしたこともあります。厚生労働省にも話をしに行ったことはあります。聞きに来てもくれるけれど、変わったという実感はないですね。

多田 育成会の全国大会は平日だったので、土日にしてくださいと上の人に話したら、土日になりましたが、話に来てくださいというのは平日です。平日では、たまたま仕事が休みの人や限られた人しか行けません。仕事を休んで行くのは難しいので、土日にしてほしいです。

竹端 行政の会議を土日にするという動きはありますか。

真野 行政の会議という点では、私には分かりません。私の場合は障害者の方とは個別に会っていますので、平日の休みの日に合わせて相談することが基本になっています。ただ、有給休暇が取れない人などで土曜日や日曜日に面接したこともあります。

竹端 当事者の声を行政が受け止め、施策に反映する場としての地域自立支援協議会は機能していますか。

赤松 そこはこちら側が主体的につくっていかないとできないですね。田川地域では、1市6町1村のうち、自立支援協議会があるのは1つです。我々の法人とか、きょうされんの仲間で行政に懇談をお願いするとか要望を出していくという枠組を、県レベルや市町村レベルでつくって毎年、定例化しています。

そういうことを続けながら、自立支援協議会のような関係機関が一堂に会する場を地域でつくっていかなければと思っています。市町村には、ここの段差はなくしてほしい、ここの信号は音の出る信号に変えてほしいとか、身近な要望を出しやすいので、そこはきちんとやっていかなければならないと思います。

■当事者の声を活かして課題を検討

今村 江戸川区の自立支援協議会は、2008年から立ち上がりました。構成は20人で、会長は医師会の方です。特別支援学校の校長先生、商店街の会長、当事者枠は親の会代表とか、一人だけ人工透析の人がいます。僕は事業者枠で入っていますが、どういうふうに立ち上げるとか、事務局機能をどうするとか、もう少し細かい提案をすればよかったと思います。年に3回開いていますが、形骸化したものになっています。

最初、「自立支援法は問題あると言われていますが、よく分からんのですよ」という声がありましたので、問題点を共有しなければと発言しました。当事者と意見がずれてくるのは、自立の考え方がずれすぎているからだと思います。自立をどうとらえるか、議論しましょうと言いましたが、自立の考え方は千差万別だから詰めてもしょうがないと総スカンでした。

自立支援協議会では、「障害者福祉をどういう形にしていったらいいのか、あるべき姿、理想を考えましょう。それに対して現実はどうなのかを考え、問題点を洗い出しましょう。そして、なぜできないのか、原因を追求しましょう。どうすれば理想に近づけるのか考えましょう」と言ったのですが、賛同は得られませんでした。

竹端 まっとうなことを言っていますよね。

今村 あまりにも真っ正直にやりすぎたかなと思っています。区の障害福祉計画にも、計画段階で入れてくれなかったので、「自立支援協議会に第1期の計画のチェック機能をもたせてほしい。障害者計画も作り直しの時期でしたので、提案がダメならチェック機能をもたせてほしい」と話して意見を言いましたが、数か月後に何ら変わらずに出てきて、自立支援協議会には決定権はないと言われました。委員が意見を言ったのだから、採用しないなら説明があってしかるべきではないかと言ったのですが、答えてくれませんでした。

竹端 障害者の声を何のために聴くのかという根本的な問題だと思います。私は山梨や三重で相談支援体制整備を目的とした特別アドバイザーをさせていただいていますが、障害者の声を“ガス抜き”的に聞く自治体と、自分たちの政策に役立てるためにきちんと聴いて受け止める自治体の両者があると感じています。

当事者の声は、福祉行政への評価そのものです。きちんと聴くことは、行政自身の変容課題ともつながります。変えることが面倒だと思っている自治体は、できれば聞き流したい。本来なら、行政も当事者の声を入れた政策のほうが、よりよいものをつくれる可能性があるはずですが。

真野 そう思いますね。私は大きい視点では考えられない立場にいますが、発達障害者支援センターを立ち上げて、自分たちで何かしていこうと思っているのですが、発達障害者への取り組みは最近のことですので、まだこれというものが出し切れていません。

当事者の話を聞いて、こういう形だったらご本人がやりやすいのではないかとか、少しずつ積み重ねていって、自分たちがしなければならない施策が見えてくるという気がします。

竹端 行政の仕事も、当事者の声を活かしながら、その中から課題を検討していくのが、大事なポイントになるということですか。

真野 アセスメントをしていく中で、この人たちに何が必要なのか、逆に我々行政が変わらなければならないのはどこなのか、また社会的な認識を改めていかなくてはならないことも出てくると思います。

■行政とより良い関係を築けるか

竹端 私たちも変わらなければいけないという行政の人は、貴重な存在ですよね。

今村 そういう人はどんどん移っていってしまいますね。

多田 次の人が来てうやむやになって、煮詰まってくると、異動しましたとなったりして、あきらめがないといったらウソになります。

竹端 施策の非継続性が問題だと思います。多くの自治体の一般職は、通常2、3年で異動していきます。後任には別分野の人が来たりします。障害者福祉の応援者が増えることは大事ですが、1年目は「宇宙語」の世界で、2年目はやっと状況が分かって、3年目にようやく当事者と一緒に政策を考えたいと思った矢先に、次の異動の時期になる。確かに引き継ぎはされるけど、共有した価値観までは引き継がれにくい。これは、しんどいポイントですね。

赤松 異動は行政の宿命的な仕組みかもしれませんが、異動したときには、こちらも出かけて行って、この件はここまで確認しましたよね、という積み上げをしていくことが必要だと思います。田川市では良心的な担当者が多いし、小さい町ですので継続もしていただきやすいのですが、県レベルになると「聞いていません」となってしまったこともあります。きょうされんの福岡支部の当事者が毎年1回交渉するのですが、そのメンバーも怒っていますね。

竹端 もちろん、行政職員の中にも当事者主体の考えを理解している人は結構いると思います。ただきちんと形にするのに時間がかかったりする。行政と支援者と当事者がいい関係ができているところと、なかなかできていないところとありますよね。どう変えていったらいいと思いますか。

真野 私は相談現場にいますが、制度だけ知っていればいいわけではなく、地域の情報、地域の人たちの情報を集めていって、福祉サービスとは言われないようなものも含めた支援をしていく必要があると思います。そこで、施設など、地域のいろいろな資源を見学し、関係を作ることから始めました。

今も、その気持ちは変わりません。今のほうが、福祉サービスにすぐつながらない人たちが多いので、そういう部分が大事だろうと思って動いています。枠をどういうふうに変えていくかのプロセスになると、次の段階になると思います。

障害者自立支援協議会にどういうふうにあげていくかは、地域の課題だと思います。一人ひとりの問題点を出して、まとめたものを上にどのようにあげていくかは検討しているところです。

どんな世の中に変わってほしいか

■三者が理解しあうには

竹端 この場には当事者、当事者兼支援者、支援者、行政担当者、研究者、とさまざまな立場の人がいます。みんながきちんと話を聞いて、お互いが理解しあって、法律も含めていいものに変えていくにはどうしたらいいのでしょうか。

多田 私たち当事者の苦労や意見を聞いて、それを活かすようにする。障害者自立支援法ができて、良くなった人と悪くなった人がいます。応益負担分も払うので、給料に障害者年金を合わせてカツカツの生活をしています。どうしても働けない人は、障害者年金と作業所のお金では足りなくて、生活保護を受けている人もいます。

私たちは年金をもらっているのでまだいいほうですが、知り合いには年金をもらえない人たちもいます。みんながもらえるようにしてくださいと大会などでは訴えています。

阿部 何かあったら、本人を交えてくださいと言いたいです。我々のことに関して支援の法律などを決めるとき、当事者がいないところで決められて、こうなりましたと言われても、分からないんです。チラシをつくるときも、決めるときに入っていなくて、できてからもらっても分かりません。決める過程に入ることが大事だと思います。分からないうちに決められては困ります。

多田 漢字にはふりがなが振ってありますが、読んでも分からないんです。支援者に聞いて説明を受けてもよく分からなく、寮費のほか支援費も払わなければならなくなりました。

竹端 決めていくプロセスに当事者も参画することは、障害者権利条約にも書かれています。「私たちのことを私たち抜きで何も決めるな」がキーワードですが、それを実践するのには課題も多い。当事者と支援者と行政が同じ方向に進んでいくには、どうしたらいいのでしょうか。

今村 物事をシンプルに考えるという方向でまとまれればいいと思います。最初から各論、現状の問題点から入らないで、理想論を1回語ろうというところから始めればと思います。

そこでイメージが対立してもいいではないですか。当事者はこういう生活をしたい、行政の平等を考えたら、それは難しいとか、何が違うかが分かります。そこに向かうにはどんな制度があるの、どんな社会資源があるのというふうに話していけば、そんなに食い違いなく、問題点の共有もできると思います。そういう話をしていく中で、お互いが納得することに時間をとりたいです。

竹端 本音での、顔が見える形での議論が大事ですね。

今村 僕の言い方が悪かったのかと思うのですが、攻めたいわけではなくて、問題点がはっきりしないと何をするかが分からないと思うのです。ホームヘルプを24時間認めてほしいという本人がいるのに、できないなら、何が問題でできないのか教えてほしい。今の仕組みでは最終判断は行政ですが、必要でないと判断した根拠を出してください。そこにどういう認識の違いがあるのかを詰めないと納得できないでしょうと言うのです。

問題点がどこにあるのかを共有しないと、信頼関係は結べないと思います。とにかくシンプルに考えようと言っています。

竹端 三者がよりよい関係にするために、支援者としてできること、しなければいけないことは何でしょうか。

赤松 一つは、ベースの理解をどう広げるかです。行政に要望や懇談を持っていって、それがすぐ叶うのはなかなか難しいことです。

一つの道筋として、回り道かもしれませんが、理解者をたくさん増やすことが大切です。「この人たちも応援してくれていますよ」と行政に訴えることで、問題意識を共有するようなプロセスをやってきたつもりですが、まだまだつくしの里や障害のある人のことを知らない人もたくさんいます。「理解者がこんなにいます」というような話し合いに持っていきたいので、地域の理解者を広げる活動が大事だと思います。

■よりよい地域にするために障害を越えたネットワーク

竹端 当事者と支援者、行政は、同じ障害者の問題に関わる仲間なのです。よりよい地域・社会にしていくために、お互い何ができるのでしょうか。皆さん、各分野のリーダーとしてしなければならないのはどんなことでしょうか。

多田 障害者年金や住まいで恵まれていない人、人間関係で恵まれていない人とか、いろいろな人の意見をもっと聞いて、その人たちに言えるチャンスを与えたり、その人の気持ちを代弁したりしながら、周りの環境をよくしたいです。車いすの人とか、身体障害者との交流をしたいと思いますが、自分の周りの人たちの意見が聞ききれていませんので、まずそこをしっかりしたいと思います。

阿部 車いすの人が通れるような街づくりをしてほしい、電動車いすが通れないので、放置自転車は止めてほしい。目の見えない人たちには、音の出る信号機をつけて、いま渡れますよという合図をしてほしい、と言っていくことが大事だと分かったんです。テレビで何回もやっていたら、駅の手すりに点字の行き先案内が付いたり、切符の販売機にも点字が付くようになりました。いろいろな障害の人たちが集まって話し合いができればいいと思います。

今村 自立生活センターは障害種別を越えてと言っていながら、自分たちの経験も含めて支援対象は車いすの人たちが多いのですが、気持ち的には窓口を広げています。地元で横のつながりをつくりたいと、興味ある人はだれでもどうぞと呼びかけて、「江戸川区の福祉を考える会」の事務局もしていますが、そういうつながりは作っていきたいと思います。

竹端 障害を越えて、地域の中で障害の問題を一緒に考えるようなネットワークを作っていくのは、よりよい社会にしていくための大事なポイントでしょうね。

今村 障害者だけではなくて、マイノリティ同士のつながり、在日や部落、薬害、原爆症など人権や差別問題で考えていったとき、もっとほかとのつながりがあったほうがいいと思います。

障害者自立支援法が変わったとしても、障害のある人たちだけがよくなることはありえません。社会全体の価値観がもう少し変わっていかないと、障害者の問題だけよくなることはないと思います。障害のある人たちの問題は、社会のバロメーターだと思いますので、そこをどう共有化するかです。

まちづくりの話でも、車いすの人のために歩道を広げるとか、視覚障害の人のために点字ブロックをと言っても、自分のこととして聞いてはくれません。災害対策でも火事とか地震で視界が悪いときの安全な避難経路を考えたとき、視覚障害の人の意見は参考になりますよとか、車いすが通れる基準で街をつくっておいたら、災害時にもいいのではないですか、災害時の緊急対応を考えるとき、障害者は使えますよと、共通点を見出しながら、結果的に社会のみんなの役に立つというアプローチができればいいと思います。

竹端 よりよい街をつくりたいというのは、行政の本来の使命だと思います。お互いがいがみ合う要求反対陳情型ではなくて、よりよいものを連携して作っていくために、行政のお一人としてどうお考えですか。

真野 今の時点でも一緒にやっていきたいという気持ちを持っている職員は多いと思います。だからこそ、少しずつ進んできている部分もあるのかと思います。

認識の違いがあるのが当たり前だと受け入れられる社会があれば、障害者だから違うとかではなくて、もう少し広い問題として捉えられるようになっていくのではと思います。そのためには行政も一部門ではなく、広い部門で考えるといい問題も多いのかと感じました。

これから取り組みたいこと

■権利条約は新しい制度をつくる道しるべ

竹端 地域の困り事から始まって、どんな世の中になってほしいかと話をしてきましたが、最後にご自身の立場でこれから何をやっていきたいかを教えてください。

赤松 大事なキーワードは、運動と障害者権利条約だと思っています。運動は、市民への理解、行政への理解を広げること。行政との関係では、運動を通じていい緊張関係に持っていくことがいい制度をつくることだと思います。折しも障害者自立支援法が新法になる時期ですので、当事者の皆さんの声をベースにした運動を今こそ意識しなければならないと思います。

障害者権利条約は、私たちが活動を進めていく上での展望を示してくれていると思います。権利条約は難しいことが書いてあるけれど、ある当事者が「今まで、こんなことを要求したらわがままだと言われると思っていたことが書いてある。ここまで言っていいのだと思った」と言われたそうです。

そういう意味では、権利条約は当事者のみんなが新しい制度をつくっていく未来というか、展望を指し示していると思うので、難しいのですが自分も勉強したいし、利用者の人たちとも勉強したいと思います。

多田 私はまだ意見を聞けていない人たちの意見を聞きたいし、周りを固めていきたいと思います。

阿部 ほかの障害のある人たちと交流して、よりよい社会をつくっていきたいです。

今村 真っ向勝負は失敗したので、変化球勝負をしようと思います。運動として当事者の声を出していく一方で、巻き込み方は変化球がいいかなと思っています。Jリーグは地域密着でスタートしていますが、プロスポーツの地域密着活動、地域貢献活動の中にうまく入り込めないか。その仕掛けをやってみたいという夢を持っています。

障害者のくくりでは、障害者差別禁止法の制定や国内法の見直しにしても、障害者権利条約が方向を示してくれていますので、力を入れたいと思います。

真野 私は一職員として、一人ひとりの当事者の方と相談していく、支援者の方と協力して連携していく中で、行政にとって何が必要なのかを感じていきたいと思います。発達障害者支援センターは、市民への啓発も重要です。発達障害の方が生活していくにはこういうことが必要なのだ、と市民に理解してもらえることによって少しずつ進んでいくこともあるかと感じていますので、そういうところに力を注いでいきたいと思います。

竹端 2010年は、障害者権利条約の批准、障害者自立支援法に変わる新たな制度の制定など、あるべき姿について真剣に議論する年になると思います。

あるべき姿を議論するときに、多田さんがおっしゃっていたようにきちんと仲間の声を聴く、当事者の声に基づくことが原点にないといけないと思います。それだけではなくて、阿部さんが言ったようにほかの障害者たちの声も聴きながら、今村さんのお話のように地域密着型のチーム作りをやっていかなければなりません。

障害当事者と、赤松さんのような支援者と真野さんのような行政の人たちが一緒に入った地域密着型のネットワークの中で、当事者、支援者、行政がお互いの壁を越えて、あるべき姿を模索することが必要だと思います。

そのときに大事なのは、保護やお恵みの福祉ではなく、権利をベースとした福祉にするにはどうしたらいいかを考えていくことだと思います。法制度も、現場の声を活かして考えてくれたら、よりよいものができるはずです。それが新政権への期待にもつながると思います。ありがとうございました。