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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年1月号

1000字提言

そろそろ親離れを

秋風千惠

一昨年から、非常勤講師として大学で教えている。社会学の講座で障害を教えるのだが、ほとんどの学生はこれまで障害者との接点などなかった人たちである。そんな彼らに、「障害は個人的悲劇ではなく社会的な産物である」ということを理解してもらうために、興味をもってもらえるよう、飽きさせないようにと、陰でいろいろ腐心している。授業に使えそうなDVDを探し、ゲストスピーカーはどのタイミングで呼ぼうかと考え、話の振りに使うネタの更新もおさおさ怠りない。昨年2009年の「今が旬」な障害者ネタは、何といっても辻井伸行さんのヴァン・クライバーンコンクール優勝の快挙だった。

障害のあるなしに関わらず、若い才能が世界に認められたことは手放しで祝福したい。ところが、その才能が障害者であった場合、話は少しややこしくなる。その快挙はたちまち感動の物語に書き換えられ、さんざん称揚されたのち消費されてしまうのが常である。そして感動の物語を称揚しつつ、返す刀で他の障害者たちへの「頑張れ!」コールが一段とかまびすしくなるということがしばしば起こる。感動物語の功罪を、私たち障害当事者はよく知っているのだ。私は辻井さんの快挙を称えつつ、しかし辻井さんを「障害者の代表」のようにとらえることの危険を、言葉を選んで学生に説明しながら、この手の話をする時にいつも感じる釈然としない思いを飲み込んでいた。

それからしばらく経った11月、NHKとテレビ朝日の2局から、辻井さんを特集した番組が放映されたので観(み)てみた。テレビ朝日の方は11年間も追いかけて制作したドキュメントということで、音楽に際立った才能を見せ始めた幼い頃から、ヴァン・クライバーンコンクールで優勝をし、凱旋コンサートのために再度米国に渡るまでをカメラに納めていた。「天才」、「奇跡!」の文字が躍る。よくある作りだと最初は斜に構えて観ていたのだが、そのうちにすっかり印象が変わった。辻井さんは凱旋コンサートに母の同伴ではなく、音楽関係者との同行を選んだのだ。そして、期せずして同じ言葉がふたりの口からもれた。拍子抜けするほど淡々と、「そろそろ親離れをしようかな」と彼は言った。母親もまた気負ったふうもなく、「そろそろ独り立ちしてもらいましょうかね」と言ったのだ。

優勝があってもなくても、この青年は親離れをし、自立への道を選んだのだろう。もしかしたら、かつてのように障害者の自立を声高に唱えなければならなかった時代はゆっくりと様変わりをしていて、ごく自然に自立を選ぶ障害者が出てきはじめているのかもしれない。辻井さんの演奏する姿を見ながら、私はさわやかな風に頬をなでられたように感じたのだった。

(あきかぜちえ 大阪市立大学大学院)