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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年2月号

文学にみる障害者像

ジュリア・ジャーマン著 橋本知香訳
『ハングマン・ゲーム』

菊地澄子

21世紀初頭を舞台に、イギリスの中学生たちの「障害者差別」を描いた作品である。

同い年のトービィとダニーは、幼友達で、親同士も仲がいい。しかし小学生になると、トービィはダニーの「違い」に気付き、友達でいるのが気が重い。ダニーのせいで自分までが変(へん)な奴(やつ)と言われるのだ。でも、9歳でダニーが退学になったので内心ホッとしていた。それなのに、中一になった今、トービィのいる中学校に転校してくるというのである。

1年A組に転入したトビーを、A組の男子連中は初日から「ださい変な奴」と感じた。ダニーが席に着こうとするとイスがなかったり、筆箱を隠されたり。それでもダニーはおろおろするだけで「止めてくれ」とも言わない。優等生でスポーツも万能のニックは、こんなダニーが目障りでならない。ニックの父は警察官で、母親も学校福祉の仕事をしていて「転校生に優しくしてあげなさい」と言う。しかしニックや仲間たちは、とろくてださいダニーが、優秀なA組にいること自体が許せない。「ダニーちゃんはくちゃい、くちゃい。おもらしでも、しちゃったかな?」と言って、皆ではやしたてる。

B組にいるトービィは、いじめられるダニーをかわいそうだとは思うが、できるだけかかわらないようにした。休み時間は、次第にダニーにとって地獄になっていた。これを知ったダニーの母は、担任の先生に手紙を書いた。この手紙で、ダニーいじめを知った担任は、皆に厳しく注意し、ニックの仲間の1人が停学になった。いじめの首謀者のニックは、先生方の前で要領よく振る舞い、罰をまぬがれた。

このことがあってからのダニーいじめは、治まるどころか、ますます陰湿に潜行した。先生たちは、1人減ったA組へダニーの幼友達のトービィを移した。しかしこの頃から、ダニーいじめは、ニックを中心に組織化し計画的になり、暴力が混じるようになってきた。

頭の回転の早いニックは、早速トービィを自分たちの仲間に誘い込んだ。いつもニックたちと一緒に行動するトービィを見て、ダニーは幼友達に裏切られたのがショックだった。

秋、中学1年の学習旅行は、フランスのノルマンディー(第二次大戦時の連合軍上陸地)に行った。戦争資料博物館見学で、生徒たちは次々と見学して進んでいくが、ダニーだけは一か所をゆっくり観て読んでいるので、団体行動に遅れてしまう。先生たちも「ダニーは変わった子ね、協調性に欠けるわ」とこぼす。見学が終わった者は土産を買いに行ってから、バスに戻った。カラムとニックは、ダニーがまだ博物館に残っていることを知っていたが、そのままバスに乗った。バスの中で先生が点呼したが、ダニーが呼ばれると、平然としてニックが返事をした。だから、バスが出発して次の見学地に着いても、カラムとニック以外、だれもダニーがいないことに気付かなかった。

博物館で夢中に見学していたダニーは、午前中の見学時間終了のアナウンスにハッとした。館内にいるのは自分だけだと気付いて、急いで出口を探して外に出た。バスの駐車場へ行ってみたが、バスはいない。通りに出ると、「アロマッシュまで9キロ」という標識が目に入った。今日の午後はアロマッシュ見学の予定だったことを思い出し、ダニーはアロマッシュ目指して必死に歩き始めた。

2時間歩いてアロマッシュに着いたダニーは、学校のバスを探していて、何かに引っかかって斜面を転がり落ち、足をけがしてしまった。そこへ見知らぬ老人が駆け付け、フランス語で早口に何かしゃべりながら、急いでダニーを車に乗せて走りだした。ダニーは、病院に連れて行ってくれると思ったのに、廃屋の屋根裏に閉じこめられてしまった。

老人はフランスパンを1個くれた。それを食べたダニーは、足の痛みを感じながら藁の中で寝込んでしまった。ダニーが目覚めると、辺りに人気はなかった。出口を探したが、中からは開けられない。完全に閉じこめられている。ここから脱出できないことがわかったダニーは、このまま死ぬのかなと思う。それでも、自分がここに居たことを何とかして、だれかに伝えなければ……と思い、ポケットの手帳に詩のような遺言を書いた。

一方、アロマッシュに着いた中学校の一団は、宿舎の広間に全員集められていた。皆の前には、警官と老人と、老人の孫だというレオン少年が立っている。(ダニーは死んだのだ)と思う生徒もいたが、レオン少年が第一発見者だという説明があった。

「あの屋根裏は、うちのおじいちゃん(ナチスに対するレジスタンスの英雄)の、戦争中の隠れ家です。おじいちゃんは時々、過去と今のこととが区別できなくなるのです。ダニーくんを、イギリスの負傷兵だと思って匿(かくま)ったのです」とレオン少年が話した。

先生は、ダニーが死を覚悟して書いた言葉だと言って、スライドで詩を映し出した。

〈1年A組〉なんで 最初からきらうの? なんで こずきまわすの? なんで ぼくのことわかってくれないの? なんで?

〈1週間〉月曜日、にらまれた。火曜日、イスをとられた。水曜日、目ざわりだといわれた。木曜日、カバンをかくされた。金曜日、髪をひっぱられた。土曜日、むちゃをいわれた。日曜日、ぼくは消えた。

自殺しようとしていたダニーは、レオン少年に発見されて救急車で病院に運ばれたが、重体だった。トービィは、どうかダニーが助かりますようにと、必死に祈った。

中学校の校長は、今回のことに関係した生徒たち全員の家庭を廻って、事情を説明した。カラムは父親と暮らすことになり、スコットランドに転校していった。ニックは警官の父親に殴りとばされると思った。しかし、父は肩を落として黙り込み、「オレはニックを知恵の働く悪党に育ててしまった」と嘆く。ニックは、父に殴られるよりも心が痛かった。

学校では、ニックはサッカー部のキャプテンを下ろされた。休み時間も、ニックはグラウンドの隅の藪陰にポツンと立っている。トービィが教室に入ったとき、空き席が3つだけあった。トービィはしばらく考えてから、ニックの隣の席に座った。

ダニーは、身体機能や知的に障害があるのではない。しかし、自分が興味のあることは、熱心に勉強するが、学校での勉強は遅れる。ダニーは何かを選んだり、その場の雰囲気に順応したり、自分の気持ちの表現などが、極端に苦手なのだ。そのために、友達はイライラして相手にしなくなり、皆と一緒に行動するのが難しくなるのである。

日本にも、ダニーのように外見に見えにくい障害(LDやアスペルガーなどの発達障害)のある人は少なくない。しかし、日本人には「人並みが良い」とする考えや「我慢は偉いことだ」とする人生観が根強くあり、外見に見えにくい障害は「障害ではない」かのように見なされてきた。

学校教育でも、彼らは通常学級に在籍し、これまでは何の支援もなされてこなかった。しかし、理解の乏しい生徒に囲まれた彼らの毎日の学校生活は、どんなにか、苦悩の多いことだろう。「人間は一人では生きられない」と言われるが、彼らとて同じで、仲間と話したいし、仲間に話を聞いてもらいたいのに、それが困難なのだ。

本書の注目点は、幼友達トービィの心の発達である。学校に入ったトービィは、周りの目を気にしたり、強くて頭の良い子たちの仲間になったりして、ダニーにかかわろうとしなかった。しかし、事件によってこれまでの自分を反省し、真剣にダニーを助けようとする。さらに、ニックに仕返しをしないで、孤立しているニックの心に寄り添おうとするのだ。

理解して支え合うことは、人間生活の向上であり、幸せと平和へつながるものである。最近は、教育や心理や医学などの専門書には、発達障害のことを書いた本が出始めてきた。しかし文学作品には、登場人物の性格に「変わり者」として描かれる程度だ。

発達障害者の人間性を真正面に捉えて描いた作品は、私は本書以外にはまだ出会っていない。発達障害に限らず、文学作品に障害者のことをもっともっと描いていく必要を、私は感じている。

(きくちすみこ 児童文学作家・「障がいと本の研究会」代表)

◎『ハングマン・ゲーム』偕成社、2003年