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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年3月号

1000字提言

デフリンピック台北2009

早瀬憲太郎

うなるようなボールが飛んでくる。やられたと思った瞬間、一人の選手がムササビのように飛びついた。コートギリギリに拾ったかと思うと絶妙なトスが上がる。3枚もついたブロックのすき間をついて見事なアタックが炸裂した。会場全体が興奮で揺れる。予選リーグ戦で見事にアメリカを倒した日本女子バレーボール代表選手の高揚した顔が素敵だった。手から汗が噴き出す、まさに国と国とのプライドをかけた戦いだった。

去年(2009年)9月5日から9月15日まで台湾で開かれた第21回夏季デフリンピック。世界各国の代表である3,900人以上もの選手が台北に集まってきた。IOC承認の4年に一度開かれるろう者のための国際競技大会であり、80年以上の歴史を持っている。

まず台湾空港に降り立ったときからデフリンピックの熱気を強烈に感じた。台北市のいたるところにデフリンピックの旗や国旗、台湾代表選手の写真がデカデカと飾られている。バスやタクシー、ビルの壁一面からデフリンピックの文字が目に飛び込んでくる。テレビでは活躍する選手たちの雄姿が映し出され、地下鉄の電子(光)掲示板は常に各国のメダル獲得数を知らせてくれる。どの新聞の一面にも金メダルを取った選手の笑顔が輝いている。

メイン会場で行われた陸上競技では、スタート地点に置かれたランプがスタートと同時に光っていた。すぐ近くのバスケットコートでは、審判が合図をするたびにゴールが赤く光る。どの競技にも手話通訳はもちろん文字による情報がしっかり整っている。もはやそこでは、聞こえる聞こえないを通り越して、肉体と精神を極限までに研ぎ澄ました選手たちの真剣勝負が音のない世界で繰り広げられるだけだった。

日本選手は、見事金メダル5、銀メダル6、銅メダル9の計20個を日本に持ち帰った。

心に残ったのは、選手を全力でサポートし続けたスタッフたちと、試合には出なくとも飛び跳ねながら全身で選手を必死に応援し続けた控えの選手の姿だった。もう一つ、ふと入った路地裏にある台湾料理のお店で、店主が帰り際に「ありがとう」の手話をしたこと。これこそデフリンピックの最大の魅力ではないだろうか?

次は2011年2月にスロバキアのハイタトラスで、2013年7月にはギリシャのアテネで開かれる。今回の様子を撮ったビデオを、たくさんのろう児たちに見せた。子どもたちの目のなんと輝くことか。次の日本代表は君だ!

(はやせけんたろう 映画「ゆずり葉」脚本・監督)