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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年5月号

山田洋次監督 映画づくりの原点と作品への思い

1931年大阪生まれ。54年松竹入社。69年から96年まで『男はつらいよ』シリーズ48作を監督。『幸福の黄色いハンカチ』(77年)や『息子』(91年)、『学校』(93年)、『たそがれ清兵衛』(02年)、『武士の一分』(06年)など、多くの作品を発表。最新作は『おとうと』(10年)。毎日芸術賞、菊池寛賞、朝日賞受賞のほか、96年に紫綬褒章受賞、04年に文化功労賞に選ばれた。

映画『おとうと』の公開に合わせた全国展開、ベルリン映画祭でのプレミア上映と特別功労賞の受賞など、多忙な日々を送る山田洋次監督は、4月の末に東京で開催された、バリアフリー映画祭のスペシャルゲストとして登場した。この機会に本誌編集委員である藤井克徳氏が山田監督に会って話をうかがった。

満州の少年時代が“原点”

山田監督には、社会的支援が必要とされる人たちや障害のある人たちが登場する作品が多数ある。監督は、少年期を満州で過ごした。

「僕は、中国の東北部、戦前の満州で少年時代を過ごしました。あの時代、日本人は、中国人や朝鮮・韓国人を差別していました。特に中国人はものすごく貧しくて、服装から住居からまったく違いました。その犠牲の上に日本人はいい暮らしをしていたんですね。子ども心に違和感があり、同じ人間なのにこの人たちはなぜこんなに貧しく、野垂れ死にしているのだろうと思いました。

日本が戦争に敗れて、引揚者として帰ってきて、次は僕自身がうんと貧しい暮らしをする中で、差別されることがどんなにつらいことか、身に染みました。何の罪もないのに差別視されている、あるいは差別していい気持ちになっているという不幸な状態が、僕の周辺にたくさんあることがとても気になり出した。その根底には、差別する側の民族としての満州時代の体験があったのではないかと思います」

『息子』『学校2』『学校3』『武士の一分』など、障害のある人たちをテーマにした作品も多い山田監督には、耳の不自由な親戚の方がいる。

「僕の甥は耳が聞こえなくて、耳が聞こえない女性と結婚して、2人の子どもたちも難聴です。ファクシミリができた時、「叔父さんと話ができる」と、とてもうれしそうでした。携帯メールができた時には、これで家族で話ができると喜んでいました。

近代の科学技術の発達にはかなり疑問がありますが、聴覚障害のある人たちにはすごく役に立っているのだと分かりました。科学技術はそういうためにこそ使われるべきだと思いますね」

人間の“差別意識”に関心を

差別の反対は無関心。山田監督は“社会派”として、映画を通して社会にメッセージを送り続けている。

「人間に差別意識があることの不条理さとでも言いますか、そこにいつも関心を持ち続けなくてはいけないと思っています。僕たち人間は、ちょっとしたことで人を差別することがたくさんあるんですね。ろうあ者や視覚障害者の問題だけでなく、人間の意識の根底にある、どうしようもない差別意識はだれでもあるので、関心を失ってはいけないと言いたいですね。

映画を作るのは、絵描きさんが絵を描く、音楽家が作曲するのと同じことです。楽しく笑ったり、涙ぐんで、いい映画を観たねと映画館から出て行ってほしいですね」

字幕、副音声があれば、バリアがなくなる

映画に字幕や副音声を付けることに対して、政策の後押しがあれば、障害者の文化参加がもっと進むはずだ。

「日本は、文化政策が弱い国ですからね。各論的には、国や地方自治体の予算を獲得する努力をすれば、何とかなると思いますよ。いまは製作者側やメセナの負担で行っていますが、僕たちが納めている税金からカバーすることはそんなに難しい問題ではないと思います。そういうことができる国にしていかないと文化国家とは言えないでしょうね。

寅さんの映画『男はつらいよ』には東京都の予算で字幕が付いていたのですが、ある時から予算が削減されてしまった。甥に「寅さんが見られなくてつまらないから、何とか字幕のあるプリントを作って」と言われて、気付かされたのと同時に何とかしなければと思いました。各方面に働きかけて、キリン財団の応援で字幕入りのプリントが作れるようになりました。

その時、耳の聞こえない人はせりふが聞こえないのだ。逆に言えば、字幕でカバーすれば、乗り越えられる。音が聞こえないことは、映画を見る上でそんなに深刻なバリアではないのではないかと思いましたね。

視覚障害の女性が、「映画は、時としてラストシーンにバリアがあるんです。音もせりふもなくて、映像だけで何かを語られると困ります。でも、『幸福の黄色いハンカチ』は、とても楽しかった」と話してくれました。黄色いハンカチもラストシーンはせりふがありませんが、女性は「ちっとも困りませんでした。ハンカチが何10枚もひるがえっている音が聞こえましたから」。その話を聞いて、作った僕以上にすばらしいイメージを浮かべていたのかもしれないと、とても感動しました」

映画製作は共同作業~全体が細やかにつながり合う組織

映画製作は共同作業で、多くのチームで進めていく。山田監督のリーダーシップ論。

「全体の勢いが弱っている時は、力強くて賢い指導者が出てきて、あの人の後について行けば間違いないと危機を突破することはあると思います。しかし、本当のリーダーシップは、集団全体がそれぞれにいろいろな形で結ばれている、網の目のような組織を作っていくことだと思います。リーダーがいなくても、集団が一つの組織として機能していく。指導者がいなくなるとガタガタになってしまうというのは危険だと思います。

監督が独裁者のように一方的に作った映画は、見ていて分かります。作った人たちが人間として温かくつながっていないので、何か冷たいというか…。監督によって映画は変わりますね。

今の時代、強い独裁者を待望するようになっていくのではないですか。それが一番いけないのではないでしょうか。悪い民主主義よりも良い王様の王政の方がいいという例え話がありますが、立派な王様についていく方が楽というのは間違っていると思います」

普通の暮らしを描いて、奥行きの深い映画を

山田監督の映画作品は100本以上。その中から印象深い映画として最新作の『おとうと』をあげられた。

「特に印象深い映画はと聞かれると難しいのですが、最新作の『おとうと』は、後悔が少ないと言いますか、よくがんばったと思っています。姉たちは平均的な生活を営んでいますが、そこから落ちると一気に滑り台のように一番底まで落ちてしまう。何段階も支えるところがあって、最終的に行き倒れになるのがノーマルな社会なのですが、今の時代は一気に底まで行って、最終的にお姉さんにも見放されて行き倒れになってしまう。セーフティネットがなくなって、不安定な、危うい時代になっていますね。

僕にはそんなに時間は残されていないと思うので、びっくりするような珍しい物語とか、驚くような素材の映画を作るつもりはありません。ごく普通の日本人の暮らしを描いてみたい。その中に実は暗闇があるし、同時にかすかだけれど希望もある。

ごく普通の暮らしを見つめていくと、その奥に何が見えていくか。見た目は平凡でも奥行きが深い映画を作るのが僕の役目だと思っています」


一つひとつの質問に対して、一瞬間があく。選び抜かれるようにして出てくる言葉はズシリと重い。映画づくりと自身の原体験との関係、映画を含めた現行の文化政策への批判、共同作業としての映画製作とリーダーシップ論など、柔らかい口調ながらも本質を突く返答は実に示唆に富む。人は理性を失った時に歳をとるというが、どうみても傘寿とはほど遠い山田監督だった。静かな気迫と深い理想、ますますこれからの作品が楽しみである。

聞き手・藤井克徳(本誌編集委員、日本障害者協議会常務理事)

(文責・編集部)