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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2010年5月号

作品づくりに関わって


ジェームス三木さん

きょうされん30周年記念映画「ふるさとをください」は、ジェームス三木さんのオリジナル脚本です。取材を通して何を感じ、何を伝えたいと思ったのか。脚本に込めた思いをお聞きした。

―取材を通して感じたこと

精神障害の発病率は、風土や文化に関係なく世界中のあらゆる階層で100人に1人の割合であること。10代後半から20代に発病しやすいこと。精神科病院に入院している約33万人のうち、約10万人は社会的入院をしていることはとてもショッキングでした。和歌山の麦の郷に行って障害のある人たちが作業所や地域の中で働く様子も見せていただきました。かつては反対運動があったのですが、今は地域の受け入れ体制がしっかりしていると感じました。

障害者施設は、今も地域の反対があって実現できていないところがあります。

ものごとを相対的に考えることはとても大事で、たとえば被害者意識はだれでも持つのですが、自分が加害者であることに気がつかない人は驚くほど多い。そういうことを非常に考えさせられました。地域住民は障害者が引っ越して来るので自分たちは被害者だと思いますが、障害のある人を排除する行為は実は加害者であることです。被害者意識が先立ってしまう。これは障害者の問題だけでなく、人間全体の共生の中に潜んでいる非常に根源的な問題であると思います。

―精神障害をどう捉えていますか?

一般的に精神障害のことを心の病と言いますが、心は脳という臓器そのもので、脳という臓器の病気であると言いたかった。この世の中に完璧に機能している脳はありません。実はみんな少しずつおかしい。たとえば俳優さんは舞台で他人を演じますが、これもおかしいと思いませんか?(笑)その度合いが進むと入院したり、治療を受けたりするわけです。あらゆる人がなりうる可能性がある障害で、みんなが広く知っておく必要があると思っています。

戦争や大地震の後に心に影響を与え、変調を来すことが多いと言われています。決して珍しいことではないことを理解すれば、地域の人も排除しないと思うんです。

―伝えたかったこと

作品の後半で「精神障害者を追いつめたらあかん。おびえさせたらあかん。悲しい思いをさせたらあかん」という父親の台詞(せりふ)は、大事な台詞だと思っています。私自身、精神の病気そのものも、精神障害者の社会的な状況も知らなかったのでそれを伝えたいと思いました。作業所を作ろうとすると地域住民が排除する動きをしますが、排除するのは全部に反することです。これをすべての人が常識として持つようになるといいですね。

―今回は精神障害をテーマにした作品でしたが、他の作品との違いは?

人間はみんな障害をもっていると思っています。そしてドラマとはもともとそういうものを描くものだと思っています。社会がおかしい、国がおかしいと、常に問いかけていきたいと考えています。私自身を含めて、振り返ることができる作品ができることは有り難いと思います。

*脚本家。NHKの朝ドラ「澪つくし」や大河ドラマ「独眼竜正宗」「八代将軍吉宗」、民放の「父の詫び状」「弟」「憲法はまだか」、演劇「翼をください」「真珠の首飾り」、小説「八代将軍吉宗」「ドクトル長英」など、多岐にわたる分野で活躍中。


早瀨憲太郎さん

映画「ゆずり葉」で脚本・監督を務めた30代半ばの早瀨憲太郎さん。ろう者としてのアイデンティティーを映像に結実させたプロセスをお聞きした。

―作品を企画する時の“思い”は?

聞こえない子どもの塾をやっており、普段、ドラマや映画は字幕がないため、あまり見ていないという彼らに、ぜひ映画という娯楽を楽しんでほしいという思いから、全日本ろうあ連盟に企画を出しました。

―脚本を作るプロセスでの苦労は?

初めてですから、本当に手探り状態で必死に格闘していました。漫画家の山本おさむ先生との出会いが大きなターニング・ポイントでした。プロの的確なアドバイスにより約2年かかって仕上げることができました。

―初めて映画監督を務めた際の苦労と、体験しての喜びは?

完成までは無我夢中で、今になって冷静に振り返れるようになりました。お客様が映画を楽しむ姿を見た時に、映画を作ったんだという実感が湧いてきました。

―この作品を踏まえて、今後の生き方に新しい何かが生まれましたか?

国や文化を越えて人に感動を与えるのは「音楽」「踊り」「絵」そして「映画」だということを強く実感しています。私の立場で、「映画」という方法を使って、聞こえる聞こえないに関係なく、共に楽しみ、共に感動できるものを作ることができたことを幸せに思っています。

*奈良県生まれ。東京でろう児対象の学習塾「早瀨道場」を主宰し、映像教材としてビデオ作品を数多く制作している。NHK「みんなの手話」の講師を務める。


山本おさむさん

山本おさむさんは、漫画「どんぐりの家」映画化では脚本・総監督を、映画「ゆずり葉」では脚本・監督のアドバイザーも務めた。

―障害者問題に関わり始めた契機は何ですか?

最初は“高校野球もの”「遥かなる甲子園」(沖縄のろう学校の野球部の話)を手がけ、取材で聴覚障害者の問題を深く知り、手話も学び続けた。映画化の話が映画会社からあったが、手話への理解も低く、できた脚本も不満だったが、原作者としては手を出せる立場になく悔しい思いをした(注:山本さんは長く、地元の手話サークル会長も務めた)。

―その後に「どんぐりの家」を直接に手がけられた…。

前回の苦い経験があり、映画化を最初は断ったが、製作者が「納得いく中身にする前提で進めたい」と勉強してくれ、関係する団体の支援体制も固めたので、中身づくりから参加した。脚本を作るのは漫画を描くのと同じで苦労しなかったが、1時間数十分にまとめるのが大変だった。

―映画「ゆずり葉」では早瀨監督の相談相手にもなりました。

プロットの段階で相談され、意見を交換した。最初はテーマを描き込むのに苦労していたようだった。若いろう者の思い、薬剤師のエピソードを加える等で、彼の世代の感覚が生かされてきた。最終盤、合宿スタイルで人物のキャラクターを掘り下げるなどの脚本直しを手伝い、良いものになったと思う。

―完成した映画をどう評価されていますか?

ろう者の生きる思いが見事に表現されて素晴らしい。編集でもうまく仕上げている。一般の市民にも見せられる高いレベルになり、初監督として本当に良くやった。ろう者の映画の専門家の誕生であり、弁護士や薬剤師など資格制度を突破したプロの誕生と同じ素晴らしい成果だと思う。

*「わが指のオーケストラ」「どんぐりの家」「コキーユ」など、聴覚障害者の問題を描いたコミックスで数少ない社会派として知られる漫画家。現在「そばもん」(蕎麦名人の話)を『ビッグコミック』で連載中。


福嶋一生(いっせい)さん

映画「ゆずり葉」で映画に初挑戦し、見事な演技で感動させた福嶋一生さんにお聞きした。

―映画「ゆずり葉」に出演したのは?

「NHKみんなの手話」で共演した早瀨監督のお誘いでオーディションを受けました。僕は演技の経験がなく、やり通せるか不安はありましたが、まず目の前のことをしっかりと、一生懸命やってみよう!という気持ちで挑みました。

―初めて映画俳優を務めた際の苦労と、体験しての喜びは?

撮影を通じて多くの俳優やスタッフとつながりができたこと、全体を通して、自分を見つめ直すことができたと思っています。監督の厳しい指導に挫折しそうになったこともありましたが、あきらめたくないという気持ちと、周りの人の支えで、吾朗役に徐々にのめり込み、自分の中で、最高の演技をしたい!という気持ちが出てきました。

―この作品を踏まえて、今後の生き方に新しい何かが生まれましたか?

人とのつながりが薄くなった今、感謝の意義を忘れかけているのではないか…。監督から「周りの人に対して感謝の気持ちを持つこと」を学び、人として当たり前のことを改めて気づきました。今後は、人と人とのつながりから、ゆずられてゆずって生きていることの命の大切さ、尊さを大事にしていきたい。また、ろう運動に本格的に目を向けるようになり、「先輩たちが築いてきた歴史を僕たち若い者が受け継いでいかねば…」ということを気づくきっかけになりました。今後は同世代の人たちとともに、ろう運動を頑張っていきたいと思っています。

*東京都生まれ、淑徳大学卒業後、ギャローデット大学(アメリカ・ワシントンDC)の英語学院に留学。映画の完成後は全日本ろうあ連盟本部に勤務し、10年4月より「ななふく苑」(埼玉県)で老人介護の仕事に就く。


伊藤祐貴(ゆうき)さん

「ぼくはうみがみたくなりました」で主演の伊藤祐貴さんは、原作者(自閉症の青年の父親)もうならせた名演技が評判に…。作品に関わる契機やプロセスをお聞きした。

―出演のきっかけは?

事務所から「自閉症をテーマにした映画の主役を探している」と話がありました。そこから原作を読んだり自閉症に関する本を読んで、オーディションを受け合格したのがきっかけです。

―自閉症の人物を演じるにあたり、どのように研究されたのですか?

最初は書物からです。実際に施設を訪れたり、自閉症のお子さんをもつお母さんにインタビューさせていただきました。印象的だったのは、施設の方の『彼らが周りに対応できないのではなく、周りが彼らへの対応の仕方を知らないだけでは?』という言葉です。

―この役を演じて、つかめたものは?

一人一人をまるまるつかむことは、とても難しいと思います。ましてや淳一は“意外性”のかたまりですから(笑)。しかし、役作りの過程で「実は自閉症的な部分は、多かれ少なかれみんなあるんじゃないか」という疑問は、だんだん確信に変わっていきました。

―上映が広がる中での反響から感じることは?

「観たあと、温かい気持ちになれた」という感想をいただくことが多いです。それは自閉症という枠を超えて、映画としての感想だと思います。それがとてもうれしい。“自閉症の人”ではなく“淳ちゃん”として、“自閉症をテーマにした映画”ではなく“ぼくうみ”として、静かに広がってほしいですね。

*ソニー・ミュージックアーティスツ主催の「ティーンズ・オーディション2006」俳優部門の最優秀賞に輝き、芸能界にデビュー。500人を超える今作品のオーディションでは、スタッフの満場一致で選ばれた。


石井めぐみさん

重い障害をもつ子育てで、実情を知らせながら協力の輪を広げた石井めぐみさん。女優の仕事をこなし、講演なども続ける中で感じてきたことをお聞きした。

―子どもを育てる中で、カメラを向けた時の「思い」は?

映像を撮ったのは、17年前です。当時の偏見は厳しく、重度の障害児を連れて外へ出るには勇気が要りました。しかし、家にいれば寝たきりになってしまう子どもだからこそ、太陽の光を浴びさまざまな刺激を受けさせたい。障害をもつ子を世間の方々に見ていただいて受け容れていただきたい――それには、だれもが目にする「テレビ」が一番の近道だと思いました。

―その映像が流れた時の反応と親としての感想は?

はじめはテレビ局側も慎重でしたが、放送すると驚くほど多くの方が見てくださいました。街中での対応も変わり、息子から目を背けていた人たちが、話しかけたり頭をなでてくれるようになり、重いドアを開けてくれたり、階段で車イスを運ぶのを手伝ってくれる方も…。やはり、知ってもらうことが何よりも大切だと感じました。そこから理解や協力につながっていくのだと思います。

―障害をもつ方々を描く映像が多く生まれていますが、これらへの評価は?

作品には目的や作った方たちの思いがあるので、一概に評価するのは難しいですが、障害をもつ方々が制作に関わることは作品の出来を左右する重要なファクターです。障害に対する勝手な思い込みで役者が演じているものは興ざめしますし、照明や音楽での過度な演出も辛くなります。制作側が十分な知識や現状を分かった上で、きちんと取り組んでいる作品には、見るべき価値があると思います。

―障害児の子育てを応援する立場から、映像に期待するものは?

一般の方が興味を持てるものを作っていただきたい。リアルな映像や専門的なことを教えるためではなく、「見たい」と心惹かれる題材や、純粋に楽しめるものを送り出してほしい。多くの方が障害のある子どもに関心を持ってくだされば、本人や家族の社会参加が容易になり、差別などの問題も少なくなっていくのではないでしょうか。

*96年に長男の記録「笑ってよ、ゆっぴい」を出版、TVドキュメント「ゆっぴいのばんそうこう」が国民的話題に。重度障害児の親の会「てんしのわ」を運営しつつ、俳優と講演の活動を続けている。