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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年5月号

時代を読む19

半世紀を経た「リハビリテーション」誌

鉄道身障者福祉協会(以下、「鉄身協」)初代理事長宮崎音彦は、17歳の時、丸亀駅において右足を失ったが、その後自立をはかり卓抜した指導力をもって鉄道障害者の相互扶助を目的に活動していた全国の関係諸団体を統合し、昭和27年に鉄身協を設立した。

宮崎は他の多くの団体にも関係しており各種の会議に出席し、身障者の状況や彼らの希望を伝える出版物がないことを憂慮していた。

宮崎は昭和28年6月「REHABILITATION リハビリテーション」副題を「身体障害者の福祉」とした身障者の専門誌を発刊した。刊行目的について彼は、第一に身体障害者の、自ら奮起し、伸びんとする気魄(きはく)を培いたい。第二に身体障害者の現実の福祉を増すための諸問題を取り扱いたい。第三に身体障害者に関連するあらゆる問題の調査研究・連絡、その他にも役立てたい(発刊のことば)と述べている。リハ誌は今日まで宮崎のこの意志を引き継ぎ、58年間発刊し続けてきている。

リハ誌には巻頭に「無限」が載っている。「無限 われわれは身体の機能に障害をもつことになったが肉体の一部はわれわれの全てではない みがけば知恵は無限であろうし…(中略)…磨きあって立ち上がろう 励ましあって行こう」と記されている。それは、障害者に対する宮崎のすべての思いが凝縮したことばで、障害者への奮起を期待するエールとして創刊号から毎号巻頭に掲載している。

雑誌名の「REHABILITATION」は、当時としてはかなり斬新である。題名について河野康徳氏(前昭和女子大学教授)は、昭和24年10月、GHQのリハビリテーション課長F・ミクラウツ氏が当時の日本社会事業大学で行った「What is Physical Rehabilitation ?」と題する講義の2か月後に身体障害者福祉法が成立しており、施行直後から中央身体障害者福祉審議会委員であった宮崎には「REHABILITATION」は自立そのものであったに違いなく、この題名を使ったのではないかと推測している(本誌500号)。しかし、その出典については現在では謎であると言うしかない。

(辻等 社会福祉法人鉄道身障者福祉協会理事長)