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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年5月号

1000字提言

健常者の男の教育

辛淑玉

遊歩(ゆうほ)には、形成異形(不快語では形成不全)の個性がある。生まれたときからポキポキと骨が折れやすく、身長も私の半分程度だ。移動は車椅子。その彼女との最初の出会いで「強姦されてもセックスがしたかった」と聞かされて、おぉーとのけぞった。

生まれてからずっと医療のモルモットのように扱われ、あんたなんか相手にしてくれる男はいないという眼差しで見続けられ、結婚などできようがないと思われ、いわんや出産なんて悪魔のすることのように言われてきた。

羊水検査で胎児に「障害」がある確率が高いという結果が出ると、堕胎を決意する人も多い。その子はその個性ゆえに殺されるのだ。たまったものではない。

その遊歩が結婚すると、周囲はことごとくパートナーを「まぁ××さんはご立派ね。大変でしょう。よく頑張ってらっしゃる」と褒めちぎった。その裏には、こんなお荷物を背負って、という意識があるのが丸見えだ。

遊歩は「冗談じゃないわ。家事や育児ができなくて、相手の顔色を伺(うかが)うこともできない健常者の男をここまで人間らしく教育したのだから、私の方が褒められたいわ!」と一発かます。そして「だいたい、健常者の女たちが男を甘やかすから女が殺されるのよ」と連打する。

そう、女性が倒れると、それは死に直結する。介護疲れの中での虐待や無理心中。殺人の加害者の第一位は、夫、息子なのだ。男の多くは、女の顔色を伺うこともしないで育ち、家事など任せっきりで、子どものおしめをまともに取り替えることすらない。

男は外に出れば7人の敵と出会うなどとアホなことを言い、黙っていても理解するのがいい夫婦などと霊感師のような迷信をいまだに信じこみ、「お前は女みたいだ」と言われることを最大の恥とする男たちに、笑顔でご飯を作ったり、妻を優しく風呂に入れるといった行為が軽やかにできるはずもない。

自分の身体もしんどい中、男のオレが女がやるようなことをするなんて、オレにはもっと立派な人生があったはずだと葛藤が続く。

他者との関係性も築けず、助けも求められない健常者の男たちに身を委ねるなんて、そりゃぁ、恐ろしいことだ。

健常者の男を「人間」にするためにも、介護される側(女)は、しっかりと主張しないといけない。「これはイヤ」「あれはいい」「私はこうしたい」と。そう、いつもいつも「ありがとう」ではなく、「よくできました」と周辺の介助者を指導すべきなのだ。

遊歩は女の鏡だ。

(しんすご 作家、人材育成コンサルタント会社・香科舎代表)