音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

  

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年8月号

時代を読む22

知的障害者の当事者活動の始まりと意思決定支援

わが国では、比較的軽度の知的障害者を対象として、障害児学級卒業者の会、公民館の障害者青年学級、入所施設・通所施設・通勤寮の自治会などの活動が1970年代から存在し、全日本手をつなぐ育成会(以下「全日本育成会」)1989年大会から本人部会が設けられた。しかし、それらは指導者の管理下で日常の限られた範囲を話し合う程度であった。

一方国際的には、1982年のILSMH(国際知的障害協会連盟)第8回大会で初めて知的障害当事者の意見発表の機会が設けられ、以後、各国で知的障害当事者の組織化が進んだ。

1990年のILSMH第10回大会(パリ大会)にわが国から初めて5人の知的障害者が参加し、スウェーデンの知的障害者たちの「私たちは知的障害があることを認めよう。分からない時には教えてほしい。でも決定するのは私であることを忘れないでほしい」という主張に強い影響を受けた。自らの障害に向き合うこととなった参加者は、わが国の用語「精神薄弱」を「知的障害」に変えてほしいと希望した。

1991年の全日本育成会大会本人部会では、35人が仕事・楽しみ・恋愛・結婚・生活・援助などについて意見発表した。その参加者を中心に、翌1992年にわが国で最初の知的障害当事者組織「さくら会」が結成された。その中核をパリ大会参加者が担っていた。以後、スウェーデンやカナダなどの海外研修に多数の知的障害者が参加し、全国各地で知的障害当事者組織が急速に拡大した。

また全日本育成会発行「私たちにも言わせて…元気の出る本」や「わたしにであう本」、NHK厚生文化事業団ビデオ「みんなで話そう…障害のこと」等が、知的障害者自身と、活動を支える支援者に活用された。

知的障害の特徴は意思決定に支援を要することにある。わが国では1980年代まで知的障害者を「指導・訓練」の対象とみなしてきたが、1990年を境に「自己決定」を尊重し、そのための支援を重要視するようになった。現在審議中の障害者基本法改正案には「意思決定の支援」という表現が用いられているが、この概念をどう発展させるかが課題である。

(柴田洋弥 NPO法人東京都発達障害支援協会理事長)