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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年8月号

文学にみる障害者像

宮本輝著『小旗』

桐山知彦

宮本輝は1947年に兵庫県に生まれ、安治川の廓舟で暮らす母子との交流と別れを描いた『泥の河』で1977年にデビューする。

宮本は腺病質の子どもで、20歳まで生きられないと言われていた。父の事業の失敗により貧困生活を経験した上、25歳の時には強度の不安神経症を、32歳の時には結核を患ったという。これらの経験は宮本の作品に大きな影響を与えていると考えられる。

本稿で取り上げる『小旗』(1981)が収録された短編集『星々の悲しみ』には、貧しき者、病める者が多く登場する。表題作『星々の悲しみ』には19歳にして癌で落命した友人との交流が描かれ、『北病棟』『不良馬場』には結核を患った登場人物が描かれている。そして『小旗』には精神病院で働く患者や、精神障害を思わせる、小旗を振る青年が登場する。

1枚の似顔絵

「ぼくは、ひとりの人間に、かつてそんなにも魅かれたことはなかった。そんなにも懸命さをむき出しにして、仕事をしている人を、見たことがなかったのだった」――『小旗』の一部である。

私にもそのような経験がある。私は大学時代に似顔絵を1枚貰った。それは統合失調症と診断された入院患者が描いたものである。彼は人と話すのを好む、柔和な笑顔が印象的な方であった。しかし、いざ絵を描くときには被写体である私に厳しく真剣な眼差しを向け、慎重に絵具を選び、長い時間をかけて筆を運ぶのであった。

彼は描くことに全意識を傾けていた。絵を描き終わって筆を置いても、彼にとってその絵は未完成だった。絵は水彩絵具で描かれており、乾くまでに時間がかかるためである。その間も彼はじっと絵を見つめ、私を一顧だにしなかった。私もその間、姿勢を崩すことができなかった。しばらくして彼はそっと指先で絵を撫で、絵具が乾いたことを確認すると、顔中の筋肉の緊張をふっと緩め「できました」と言った。すでに彼は普段の柔らかい笑みを湛(たた)えていた。そして一切の妥協なく色が敷き詰められた背景の中に、彼のような優しい表情をした私の似顔絵が完成していた。

息を飲むような仕事振りであった。彼は長きにわたって入院しており、職業には就いていない。しかし、彼の為し得た〈仕事〉は私の心に強く残っている。

『小旗』にみる〈仕事〉

「父が精神病院で死んだ。危篤の知らせを受けてからも、ぼくは梅田新道の大きなパチンコ屋で閉店まで玉をはじいていた。そうか、親父は死ぬのかと何度も思った。死に目に逢いたいとは思わなかった」――物語はこのように書き出される。

「ぼく」は「卒業できるかどうか判らんような」大学生で、就職試験もうまくいかず、アルバイトをして生活している。一方、父親は事業を立ち上げたものの失敗し、借金取りから逃れるべく4年前に「ぼく」と別居後、女のヒモとして養われている七十目前の男である。この父子は、仕事を求めつつもそれに失敗している者たちである。

ある夜、父は脳溢血で倒れ昏睡状態に陥る。3日後、意識を恢復(かいふく)したものの右半身の麻痺という障害を抱えることとなった。同居していた女は逃げてしまう。これらが原因で父は荒み、怒鳴ったり、物を投げたりして病院に迷惑をかけるようになる。そして、とうとう病院から「こういう類の患者を世話してくれるいい病院があるから、そこに移ってくれ」と言われ、「完全看護で費用も国がみてくれる」というS病院(精神病院)に入院することとなった。その4か月後、父は息を引き取った。

父の死の報せを受けた翌日、「ぼく」はバスで郊外のS病院に向かった。S病院の近くの道は狭く、バスが通る際には対向車に止まってもらわなければならない。「ぼく」はそこに赤い小旗を持った青年がいることに気がつく。

「小旗を振っているのは、バスの運転手と同じ制服を着た若い男だった。青年はバスを停めておいて、俊敏な動作で元いた場所に駆け戻り、バスとは反対の方向からやって来る車を停めた」――そしてバスが発車すると、「青年は直立不動の姿勢で道にたって、笑顔でバスの運転手に敬礼」するのである。

「ぼく」は父の遺体と対面後、再びバスに乗り市役所に火葬許可書を貰いに行く。その際、「ぼく」は先程の小旗の青年を見るためにわざわざバスの席を移動する。青年の着ている制服は大きすぎて袖丈が長く、手の甲が半分隠れており、ずんぐりむっくりした体の上にはアンパンみたいな顔が載っていた。そして、1日中交通整備をしているためか真っ黒に日焼けをしていた。彼は片時も油断のない目でバスのやってくるのを見張り続け、バスの姿をみつけると、即座に対向車に向かって「何事が起ったのかと思えるほどに、強く懸命に、ちぎれんばかりに」小旗を振るのであった。そんな青年の仕事ぶりに「ぼく」は心を奪われていく。――「ぼくは、ひとりの人間に、かつてそんなにも魅かれたことはなかった。そんなにも懸命さをむき出しにして、仕事をしている人を、見たことがなかったのだった」。

「ぼく」が火葬許可書を手に病室に戻ると、ふたりの患者が父親の体を拭いていた。

「『まあ、伊藤さんは丁寧に拭いてくれるのねえ』

言われた老人は照れ臭そうに笑い、いっそう念入りな手つきで、父の硬くなった体の隅をタオルでぬぐった。

『寺田さんは力が強いから、お棺に入れるときは頑張ってね』

度の強い眼鏡をかけた五十過ぎの男は、看護婦の言葉に頷いて、いやにかしこまった表情をつくってみせた。ふたりとも仕事を与えられたことが嬉しい様子で、並の人間なら決して引き受けたくない作業に、嬉々として取り組んでいるのである。」

精神病院に入院している患者たちは、仕事を求めているのである。

その後、ふと「ぼく」は思うのであった。「赤い小旗を振っていた青年は、もしかしたら狂人ではないだろうか」――そして「ぼく」は青年を見に行くことにする。すでにこの日4度目のことである。

「青年は猛然と旗を振りだした。坂道の頂点でバスの屋根が光っていた。青年の仕草があまりに烈しかったので、停車を命じられた対向車が急ブレーキをかけ、運転手が窓から顔を出した」――青年は熱心に仕事をしているものの、どうやら優れた仕事をしているわけではなさそうである。「ぼく」はそんな彼の仕事ぶりを食い入るように見つめる。

「青年は、全身全霊を傾けて、自分の仕事を遂行していた。赤い小旗が振られるたびに、ぼくは何もかも忘れて、青年の姿に見入った。そうしているうちに、父が死んだことが、たまらなく悲しく思えてきた。ぼくは、父の死に目に立ち会わなかったことを激しく悔いた。ぼくは踵を返して、S病院に帰って行った。歩いて行くぼくの心の中で、色褪せた赤い小旗はいつまでも凛凛とひるがえっていた」――こうして物語は終わる。

「ぼく」はなぜ悲しみがこみ上げてきたのであろうか。私にはその理由が分かるような気がする。私は入院患者からいただいた1枚の絵を見るたびに、彼の眼差しとその姿勢を思い出し、自らについての反省が促される。彼のひたむきさが私の内省を促すのである。

「ぼく」は青年のひたむきさを目の当たりにすることで、知らず知らずのうちに、父と真剣に向き合えなかった自分を顧みたのかもしれない。父親としての〈仕事〉ができなかった父の気持ちを慮(おもんばか)ったのかもしれない。そして、子どもとしての〈仕事〉をできなかったことを悔いたのかもしれない。あるいはそれらが混然一体となり、感情がこみ上げてきたのかもしれない。

小旗の青年は精神障害を思わせる。うまく仕事を成し遂げているとは言いきれない。しかし彼の為し得た〈仕事〉は大きいということはできまいか。彼は全身全霊を傾けて小旗を振ることにより、「ぼく」に父の野辺送りを為さしめたのである。

私は似顔絵を描く入院患者の姿を忘れることができない。これから職業を選び、求めていく学生の身にとって、彼の懸命な〈仕事〉ぶりは憧れでもあり目標であるように思えてならない。

(きりやまともひこ 鳴門教育大学大学院人間教育専攻)