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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年8月号

列島縦断ネットワーキング【京都】

14年ぶりに改定された「日本語―手話辞典」

高田英一

1 二つの辞典

辞典には、その国の言葉の意味を説明し、その単語が使われる例文(用例)を掲載した国語辞典と、日本語に対応する外国語の言葉の字体や意味を説明した外国語辞典の2種類がある。

また、外国語辞典には日本語の言葉を見出し語としてそれに対応する外国語の言葉を掲載するたとえば「和英辞典」と、その逆に、外国語の言葉を見出し語としてそれに対応する日本語の言葉を掲載するたとえば「英和辞典」の2種類がある。

手話と音声日本語の関係は外国語に相当するので、日本語の言葉を見出し語として、それに対応する手話の言葉を掲載する「日本語―手話辞典」と、手話の言葉を見出し語としてそれに対応する日本語の言葉を掲載する「手話―日本語辞典」の2種類がセットになるのが本来の形である。

しかし、これまで日本には「日本語―手話辞典」はあったが、その逆引きとなる「手話―日本語辞典」はなかった。

なぜ「手話―日本語辞典」がなかったかといえば、手話を見出し語順に整理することが難しく、したがってその検索方法も難しく、その研究に時間が掛かったからである。しかし、その研究がやっと実を結んで、全日本ろうあ連盟は2010年11月に初めての「手話―日本語辞典」を発行することができた。

それが「わたしたちの手話学習辞典」である。これは手話の形(手型)からそれに対応する日本語が引けるようになっている。

2 「日本語―手話辞典」

さて、連盟は2011年6月に日本手話研究所編纂になる「新・日本語―手話辞典」を発行した。その初版は1997年6月の発行なので14年ぶりの改訂になる。

この辞典とその他類書との大きな違いは、日本語に対応する手話の意味と動作を解説するとともに、その単語の用例を掲載した本格的な「日本語―手話辞典」になっていることである。

単語は同じとしても、文によってその意味も使い方も変わってくるので用例の掲載は辞典の大切な要件となっている。その意味で初版「日本語―手話辞典」は、わが国で最初の本格的な「日本語―手話辞典」といえるものであった。

音声を基本とする音声日本語と身振りを基本とする手話は、単語よりも特に文における使い方に違いの多様性がある。その違いを明確に表そうと、用例を重点においたのが「日本語―手話辞典」であった。

言葉は時代と共に変化するので、その変化を追ってある程度の期間をおいての改訂版を発行しなければならないのは辞典の宿命といえる。

ちなみに岩波書店の発行する国語辞典「広辞苑」は、現在では5年ごとの改訂版発行を定着させ、第6版が最新版である。

3 「新・日本語―手話辞典」

改訂版の大きな特徴は見出し語数が増えたことである。「日本語―手話辞典」初版の見出し語数は8,320語であるが、改訂版は10,270語となり、ほぼ2,000語が増強された。

これは14年という期間に新しく登場したカタカナ語、たとえば「ワンセグ」「ポイント」「メタボリック症候群」など、また高齢化に伴って医療、福祉その他の大衆化した専門語「インフルエンザ」「透析」「アルツハイマー」「放射能」などが多く採用されたことによる。

図 メタボリック症候群拡大図・テキスト

図 放射能拡大図・テキスト

この14年間に日本手話研究所は多くの「新しい手話」を創作してきたが、その全部を採用したわけではない。「新しい手話」を創作してもそれを使うか使わないかを決めるのは、それを使うろう者や手話通訳者などである。そのような人たちが使うようになって初めて「新しい手話」は手話の仲間入りをする。

辞典は「鏡」(社会で使われている言葉の状況を映すこと)であり、「鑑」(社会が言葉を使う場合のモデル、規範となること)である。辞典は社会の言葉を映す鏡であってこそ、モデルとなり規範となる鑑であり得るという理念をもとに編集したが、具体的に、どのような手話の「語」を採用するかは常に編集会議の議論になった。

結論から言えばある程度普及してきた語、まだ全体に行きわたらないが普及すると予想できる「新しい手話」は積極的に採用するように努めた。その結果については、この辞典を見ていただくことで評価をお願いしたい。

また、手話「イラスト」が大幅に書き換えられた。「イラスト」は音声語の表音文字に対応する表手文字といえる。その「イラスト」をはっきり、分かりやすく表現するようにさらに努めた。

初版はその編集に9年掛かっており、その長い期間にイラストレーターのふるはしさんのタッチにも変化があり、それが「イラスト」のばらつきとなって表れていた。今回はそのようなばらつき、誤りなどを大幅に修正した。

また新しい「イラスト」は、表情や手の動きが微細であるが、大切な部分を統一して表現できるようになったと思う。それはイラストレーターのふるはしさんが、初版で9年、改訂版の2年を加えて計11年という期間にすっかり手話に慣れた経験が大きな意味を持っている。

国名を表す国際共通の手話(国名手話)も「エチオピア」「カザフスタン」「スーダン」など、見慣れない国も含めておよそ140か国と大幅に増強した。今はこのような国もテレビの国際ニュースに登場するようになっているので、テレビでニュースを手話で伝えるろう者や手話通訳者の助けとなるだろう。

国名手話は自称主義(その国固有の地名などはその国が決めること)なので、日本が勝手に創作することはできない。実際、その国のろう者やその組織が自国をどのような手話で表しているか分からないと掲載できないのである。

国連加盟国が193か国となっている現在、なお少ないように感じられるが、世界ろう連盟の加盟国は125か国組織という現状がネックになっている。また国内については都道府県、県庁所在地、政令指定都市すべてを掲載した。

ある言語の辞典ができるためには、重要な条件がある。それは文字があるということである。もし、文字がなければ辞典はできないであろう。手話に手話「イラスト」という表手文字があってこそ辞典ができたのである。

また、ある言語の辞典ができるということは、その言語が言語であることを自ら証明することである。「日本語―手話辞典」があるということは、まさに手話の言語の証明である。

「障害者権利条約」の批准に先立って政府に首相を本部長とする「障がい者制度改革推進本部」が設けられ、その下に障害者など関係者が意見を集約し、具申する「障がい者制度改革推進会議」が設けられた。これまでの政府の下にある審議会などが専門家や行政関係者を主体としていたことと比較するなら、障害当事者を多数とするこの「推進会議」の設置は画期的である。

この「推進会議」の集約意見を根拠とする「障害者基本法(改正案)」が閣議決定され、枝野官房長官が「手話を言語と認めたことは画期的である」と記者会見で胸を貼って言明した。2011年7月5日現在では衆議院は可決、参議院は審議待ちという歴史的な段階にさしかかっている。

このような歴史的な段階で「新・日本語―手話辞典」が発行できたことはまことに意義深いことであり喜びに堪えず、この「辞典」がろう者、手話通訳者のみならず広く国民に愛読され、愛蔵されることを心から願っている。

ただ、14年間という時間はやはり長いものであった。この間に心を一つにして初版編著に努めた伊東雋祐、西田一といった共同編集者を相次いで失い、残る3人の編著となったことは哀惜の情に絶えない。

(たかだえいいち 社会福祉法人全国手話研修センター日本手話研究所)