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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年9月号

今後の政策への期待
障害者基本法改正が教育に与える影響について
―資本主義とインクルーシブ教育―

落合俊郎

障害者基本法の改正によって、さまざまな動きが今後起きる可能性があり、その期待を含めて本稿を書いています。重要なのは、障がいの有無にかかわらず、国民が分け隔てられることなく相互に個性と人格を尊重する社会を実現するために、合理的配慮や必要な施策を推進することであり、もちろん差別されている障がい者の現状を改善することは急務です。

障がい者の課題を解決するためには、社会の質の改革も行うことが重要だと思います。障害者の権利条約の批准に向けて、国内法作りの一つとして、障害者基本法が改正されました。権利条約の批准地図を見ると、まだ批准していない大手の国々は、アメリカ合衆国、ロシアそれに日本であり、いわゆる西欧やオセアニア主要国では、条約と議定書への批准まで行っています。

また、障がい児教育に関してみると、権利条約の内容に則った制度のある身近な国としては韓国の1994年改訂特殊教育振興法があり、権利条約では明確化されていない差別に対する罰則規定も含まれています。数回の改訂を含めて、現在でもその主旨が堅持されています。

さて、本稿の副題に違和感を感じる方々が多くいるのではないでしょうか。資本主義とインクルーシブ教育というのは、相対立する概念のように思えるでしょう。

インクルージョンという概念がユネスコによって明言化されたのは、1994年の「サラマンカ声明」です。この時のインクルーシブ教育は脆弱性をもつ子どもたちのために弾力的な対応を行い、障がい児のみではなくすべての子どもたちに対応できる教育を目指すという主旨と、インクルーシブ教育と特殊教育を比較するとコスト的にもインクルーシブ教育が安上がりだという内容も記載されていました。しかし、批准地図をもう一度よく見ると、いわゆる伝統的に資本主義的な施策を行ってきた国々が権利条約ならびに議定書の批准を行っており、OECDもインクルーシブ教育を推奨しています。

資本主義自体は競争を原則とした経済体制であり、必然的に勝者と敗者がでてきます。グローバリゼーションによって、経済や工業が高度化されればされるほど、それに追いつける人とそうでない人が出て、社会的排除が同時に生じてきます。現在の日本を見ると主要工業国の中で、社会的格差がアメリカ合衆国に次いで大きな国になっています。社会的格差を示すジニ係数を見ると、日本は1980年代前半では現在の北欧並みの社会的格差であり、まさに「一億総中流」という言葉は間違っていなかったわけです。しかし、現在では世界第二の社会的格差のある国になってしまいました。

資本主義とインクルーシブ教育の関係で最近、私が学校への巡回相談で感じることは、経済的格差によって問題行動を起こす子どもが増えているのではないかということです。それは次のような現実から出てくるのではないでしょうか。つまり、社会的格差が大きくなることによって、古典的な貧困とは異なり、衣食住は足りるが、家庭教育への準備や子どもの宿題を見てあげる時間の余裕がなくなり、学校に来るだけで精一杯の子どもたちが増加しているのではないか。このような状態を家庭の責任あるいは受益者負担だと言われても、それに対応できない家族が多くなっている。そして学力の二極化が起きてくる。このように資本主義の副作用としての社会的格差から学力の二極化、さらに社会的格差の連鎖と移行していくと、社会の質の悪化を生み、社会の底割れを生みかねないのです。

日本は社会構造が均質で、一声かければ一斉に子どもたちが頑張れる学校あるいは社会であるという幻想をまだ持っていますが、とても現在の社会の質を保てなくなっているという限界を知るべきです。障がいがないが環境因子による学習の遅れのある子どもたちを支援していく方策としてのインクルーシブ教育の役割もあるのではないか。長い間、高い失業率で苦しんだ西欧からソーシャル・インクルージョン(共生社会)という概念がでて、権利条約と議定書を批准した背景には、そのような社会・経済的な経験があるからではないでしょうか。

今後、日本でインクルーシブ教育に対して、国内法の整備が行われるでしょう。しかし、どの程度力を入れて実施するのかが問題です。いわゆるジャパンシンドロームと言われる人類が経験したことのない超高齢化社会、高齢化を加速しながらの人口の減少:納税者の減少、財政破綻したギリシャの2倍にも達しようとしている債務の問題、さらに人類が初めて経験する原子炉の同時複数メルトダウン。そして東日本大震災復興のための莫大な予算。これらの問題を解決するために、経済活動の活性化を求められるでしょう。しかし、グローバル化した企業の活性化は即雇用につながるものではなく、欧米が長期にわたって苦しんだような雇用なき経済成長に突入する可能性もあります。そして、20世紀のように勝者は勝者にはならなく、勝者は敗者の社会福祉へ税金という形で関与し、勝者の1人勝ちの世界ではなくなっています。

このような状況の中で一定の質を保つ社会、社会的連鎖をくい止めるためのセーフティネットとしてのインクルーシブ教育の意味があるのではないでしょうか。インクルーシブ教育によって、障がいのある子どもとない子どもの相互理解によって、助け合うことを学ぶことは道徳的あるいは倫理的な評価ということだけではなく、日本が置かれている、あるいはこれから起こる未曾有の財政危機における新しい枠組みを生み出す基盤となることを忘れてはならないでしょう。

(おちあいとしろう 広島大学大学院教授)