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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年9月号

1000字提言

「ここで最期を送れたら本望」と言われたい。

福永秀敏

当院の緩和ケア棟(一般的な呼び方はホスピス)は、平成17年4月に国立病院機構の病院としては九州で最初の病棟として出発した。窓の向こうに雄大な桜島と錦江湾が見渡され、天気がいいと開聞岳まで眺められる。横を流れる別府川の河口には、渡り鳥が羽根を休める干潟もある。四季折々の美しい花と芝生に囲まれ、25の部屋すべてがセパレートされた個室となっている。橋を渡る列車の音が時折聞こえてくるが、いつも静寂に包まれており「もう少し、雑踏の雰囲気も必要ではないですか」と言う人もいる。

数年前に亡くなられた女性は、「ここは天国の前の素晴らしいところですね。こんな病院があるとは夢にも思いませんでした。私のために神様が、この時期に建ててくださったんですね」と残された。

先日、詰所に行くと、担当の医師が「患者さんや家族から、ここに来てよかったと言う言葉をいただくことが一番の力になりますね」と話されていたが、まさにその通りである。でもここで働くスタッフには、患者さんと共感する心と理性的な頭脳、そしてタフな精神を持ち合わせていなければ長くは務まらないだろうとも思う。

緩和ケア棟では、患者さんやそのご家族とスタッフの間で、他の病棟ではあり得ないような魂の触れ合う関係が生まれる。死路までのかけがえのない時間、優しさや赦(ゆる)し、感謝、励まし、いとおしさ、厳かさなどさまざまな感情の行き交う場所となる。

「義母の入院中は大変お世話になり、心より感謝申し上げます。緩和ケア棟での6か月、長いようで短かったと思います。しかし、いろいろ準備もできましたし、話もできました。また心の準備もできました。がんで亡くなる方の中で、義母は運のよい幸せな人だったと思います」と、見送られたお嫁さんからの便りである。

言わずもがなのことであるが、人には永遠の命というものはない。

私の実父はくも膜下出血で、義父は口腔がんで旅立った。脳や心臓の病気の場合には、極めて短期間の病期で亡くなることが多く、実父の場合にも発作後1か月足らずで亡くなったので、その間言葉を交わす時間も状況にもなかった。一方、義父の場合には、告知後2年余りの時間が残されていたため、いろいろな話をする機会を持つことができた。

がん死の場合、一昔前にはいわゆる痛みが強く、看(み)るに忍びなかったという話を聞くこともあった。ところが除痛のためのさまざまな薬や方法が開発されて、痛みが取れないという患者さんはまずおられない。死への準備をしながら、安らかで穏やかな時間を持てるとしたら、「がん死も悪くないな」と思ったりする。

(ふくながひでとし 国立病院機構南九州病院長)