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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年9月号

文学にみる障害者像

花田春兆著
『日本の障害者―その文化史的側面』

岡本明

花田春兆さん。ご存知の方も多いと思うが、俳人、作家、歴史家、障害者運動家、障害者団体のリーダーなど、多くの顔がある。どの顔も一流の輝きがあり、86歳の今もその輝きが衰えることがない。

春兆さんは日本の障害者史をまとめ上げることをライフワークの一つとしておられ、本書はその結実のひとつである。本書以前には『鬼気の人―俳人富田木歩の生涯』、『心耳の譜―俳人村上鬼城の作品と生涯』、『殿上の杖―明石検校の生涯』、『幽鬼の精―上田秋成の作品と生涯』など、障害がありながら一家を成した先人の業績をまとめた傑作がある。また『日本の障害者・今は昔』では、埋もれてきた障害のある人たちの歴史を追って堀り起こし、本書の原型ともなっている。

春兆さんは本名政国。1925年、官吏だったお父上の任地である大阪に生まれた。出生時にはとくに障害も見当たらず、元気な子だった。しかし、いつまで経っても首がすわらず這いもしないのでいろいろ調べてもらった結果、脳性小児まひという診断を受けた。後に家族で東京に移り、以後、東京港区在住である。

言語障害、歩行不能で、就学猶予の名のもとに小学校入学を拒否されるが、9歳のとき、わが国初の肢体不自由児学校である東京市立光明学校(現都立光明特別支援学校)に入学した。小学課程を卒業後、研究科に進み、このとき文学、俳句を学び、今日の基礎が築かれる。

研究科卒業後は在宅で過ごすが、1947年、研究科時代の仲間と文芸同人会「しののめ」を結成、同人誌『しののめ』を創刊した。戦後の紙不足から、初めは3部だけ手作りしての回覧誌だったそうである。団体としての「しののめ」は文学活動だけではなく、障害者運動にも力を入れ、のちに「青い芝の会」をはじめとした障害者団体がここから派生していく。障害者運動の草分けとしての初期の活躍がここにある。成果として特記すべきことの一つとして「身体障害者団体定期刊行物協会」を結成し、1971年、低料第三種郵便を勝ち取ったことがあげられる。今日のSSKで、多くの障害者団体が機関紙などを低料金で郵送できる恩恵を得ている。

俳句では俳誌「萬緑」に参加し中村草田男に師事、第1回萬緑新人賞受賞、角川俳句賞推薦、俳人協会全国大会賞受賞、萬緑賞受賞など輝かしいものがある。

春兆さんは、国際障害者年日本推進協議会(現・日本障害者協議会)副代表、総理府障害者対策推進本部参与、港区障害児・者の豊かな生活をすすめる会会長、NPO法人「風の子会」(通所生活実習所)会長等を歴任し、国際障害者年記念総理大臣表彰、朝日社会福祉賞受賞ほかの受賞歴がある。また天皇陛下の「園遊会」に招待されるなど、その業績、活躍は広く認められている。

春兆さんは前述のようにNPO法人「風の子会」会長で、筆者はその副会長を務めており、また人生の大先輩としてもいろいろご教示いただくなど、公私共にお世話になっている。従って本来は春兆さん、などと気安く書けないのだが、花田先生、花田氏というのもよそよそしく、春兆さんと呼ばせていただく。

さて、本書は本来、「文学にみる障害者像」では真っ先に取り上げられてしかるべきものであるが、実は春兆さん自身がこのコーナーの編集担当であり、そこに自分の作品を入れるのは遠慮しておられたようである。しかし今回、是非(ぜひ)にとお願いして取り上げさせていただいた。

「あとがき」によれば、本書は前著『日本の障害者・今は昔』の改訂・増補版として書き始められたが、それだけでは収まらず全面的な書き下ろしになった。また「もうひとつの日本史(もう一つの日本文化史)を書こうという意図は、最初からもっていた」と言う。「日本史」が表に出て「日本文化史」が括弧(かっこ)の中に入っているところに、歴史家としての顔を一段と確たるものにしたいという春兆さんの心意気が読み取れる。

本書は、時代を追って3つの部から構成されている。各部はさらにいくつかの章に分かれ、各章のはじめには「時代概要」が置かれている。ここには独自の歴史解釈が分かりやすく織り込まれていて、筆者のように日本史にあまり詳しくない読者にとっては本論を読む際の大きな助けとなる。本論には普通の歴史では見落とされたり、捨てられていた事実が掘り起こされ、独自の解釈がつけられている。登場する人物は、障害のある人、支援者、文学作品や絵画の中に現れる障害のある人などさまざまで、春兆さんの歴史、文化に対する深い知識と洞察、想像力には改めて驚かされる。

春兆さんの文は、どの著書も流れるように読み進めることができる。本書でも「イザナギノミコトとイザナミノミコト、いわば日本版のアダムとイブみたいなものだが」、「一遍上人の絵巻に見られる小屋を載せた和製キャンピングカーを」など、分かりやすい比喩や現代語を混ぜての表現は面白く、読みやすい。また随所に俳句、川柳、短歌がちりばめられ、趣が添えられている。そして何よりも、障害のある人への愛、慈しみ、共感がある。それがときにユーモラスに、ときに哀しみをもって書かれ、その底にはすべてを赦(ゆる)す温かさがある。 

第1部「古代から幕末まで」は本書の約半分を占める。長い期間の話なので、当然分量も多くなろうが、歴史家としての春兆さんの得意領域はこの時代だということも窺(うかが)わせる。

冒頭、イザナギノミコトとイザナミノミコトの間の子が重度脳性まひで、蛭(ヒル)のようにグニャグニャしていたので、ヒルコと呼ばれた、という衝撃的な事実が明らかにされる。日本には神話の世界にすでに障害のある人が存在し、記述されていたのである。ヒルコは葦舟で海に流されるが、漁民に助けられ、神として育てられた。ヒルコすなわち蛭子はなぜかエビスと読まれ、それが七福神の恵比寿様だという。

以下、第1部には80人以上が登場する。それも皇室から大名、武士、僧、検校、琵琶法師など、さらには絵画、狂言、歌舞伎、お伽話の中の人物にまで至る。全盲の明石検校、ハンセン氏病の武将大谷形部などはよく知られているが、曾呂利新左衛門がソロリ、ソロリと歩くのは実は足が悪かったのではないか、好きなときに秀吉の耳の匂いを嗅いでよいという妙な特権をもらったのは子どものような背丈だったからではないか、と想像をたくましくしているのには、思わずニヤリとしてしまう。さらには、かぐや姫もあんな狭い竹の中にいたのだからコビトだった、「瘤とり爺さん」のコブも障害といえる、など面白い推測が至るところに出てくる。もちろんほとんどはしっかりとした史実に基づいて書かれている。

戦国時代の軍師、山本勘助、竹中半兵衛、黒田官兵衛がそろって障害のある人だったということも取り上げられている。山本勘助の討ち死にのところでは、彼がだまし討ちの策略をした諏訪領主の娘、由布姫への特別な想いに触れ、「乱戦ともなれば障害を持つ身の不利は覆うべくもなかったであろう。由布姫を前にした時こそ、彼が障害を意識しなければならなかったであろう、と思われてならないように……。」というあたりは、まさに障害のある人への哀しい共感が表れている。

あまり知られていない人物もたくさん出てくる。たとえば、盲で箏の生田流の名手の葛原美之一。幕末、明治維新の激動の日々の貴重な記録を日記として残しているという。また折り紙の名人で、両翼に子鶴をつけた「子持ち鶴」は代表作という。

第2部には、野口英世、宮城道雄、山下清などおなじみの人物が出てくる。この時代に開花したハンセン氏病療養所の文学についても書かれているが、作者たちへの思いのこもった文章は胸を打つ。加えて、春兆さんが伝記を著している俳句の村上鬼城と冨田木歩、さらには大衆小説の主人公の丹下左膳、平手造酒、森の石松まで総勢30人以上が登場する。

第3部は戦後である。「歴史的事実として固定してしまうには、まだなまなましいし、……本人なり親しい遺族が健在だとどうしてもペンが渋りがちになってしまう」としているが、それでも20人ほどが描かれている。また、石川達三、三島由紀夫、大江健三郎、水上勉ほかの巨匠たちの、障害のある主人公が登場する作品も紹介している。さらに、重症児施設びわこ学園創始者の糸賀一雄の思想についても触れられている。

以上、筆者の力不足から、本書の面白さ、価値を十分にご紹介できないもどかしさを感じている。どうか実際に手にとって、本書をじっくり味わっていただきたい。

(おかもとあきら 筑波技術大学名誉教授)


◎『日本の障害者―その文化史的側面』中央法規出版、1997年