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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年9月号

列島縦断ネットワーキング【東京】

JDF東日本大震災被災障害者支援活動報告会の開催

三澤了

3月11日、震度9の大地震と大津波が東北・関東の多くの地域を襲いました。これまで営々として、幸せな家庭や豊かな暮らしを築き上げてきた多くの人々の命を奪い、暮らしを根底から突き崩した今回の東日本大震災の深刻さは、3月11日から4か月以上経った今日に至ってもますます重いものとなっています。

大地震、大津波により命を落とされた人々に深い哀悼の意を表すものであります。さらに、生活の再生に日々取り組んでおられる皆様とは、深い連帯のもとに強く支え合っていきたいと願うものであります。

JDF加盟組織(全国13団体)では、大震災直後から、それぞれの団体のネットワークを通じて状況把握に努め、緊急物資の送付など可能な限りの緊急支援に取り組み始めました。そうしたそれぞれの加盟団体の救援活動とは別に、JDFとしてまとまった形で、岩手・宮城・福島の東北3県の障害者に対する支援に取り組むことを3月18日の幹事会で決定し、具体的な支援活動に入りました。

地震発生から4か月を経た7月13日午後、衆議院第1議員会館において「被災障害者支援活動の現状と復興の課題」と題するJDF東日本大震災被災障害者総合支援本部の第一次報告会が開催されました。この報告会は、JDFがこれまで取り組んだ被災地の障害者支援活動を検証し、今後のインクルーシブな社会への再生に向けた課題を探るために開催されたものです。報告会は、今回の大震災で命を亡くされた多くの人々を哀悼する黙祷から始まりました。

主催者挨拶に続いて政党からの挨拶ということで、民主党の「障害者政策プロジェクトチーム」の谷博之参議院議員から、障害者の生活の復興に関する第一次補正予算で組み込まれたもの、ならびに第二次補正予算に組み込む予定としていること等の報告・説明がなされました。

JDFとしての支援活動の報告として、まず最初に藤井克徳幹事会議長・支援本部事務総長から、JDF総合支援本部の活動の経過報告が行われました。東京の総合支援本部だけでできることは限られており、被災地の障害者団体や当事者と協力して、現地に支援センターを設置すること、また政府に対して、被災障害者への十分でかつ配慮の行き届いた支援を行うよう要望し実現させること、そして、できる限り広範囲の人々に、復興に必要な資金の助成を仰ぐことです。

JDFとしては、震災発生から1週間後の3月18日に、東日本大震災被災障害者総合支援本部を発足させることを幹事会で決定し、3月22日よりJDF先遣隊が宮城県を訪問し、地域の障害者団体や関係団体と話し合い「被災地を支援するみやぎの会」の発足を合意しました。その合意に基づき、3月30日にみやぎ支援センターを仙台市太白区に開設し、同じように福島においても地域の障害者団体等と話し合いの上「支援センターふくしま」を郡山市に開設しました。こうした「みやぎ支援センター」や「支援センターふくしま」を拠点として設けることで、はじめてJDFとして被災地域の障害者に直接届く救援の仕組みができるようになったこと等が報告されました。

なお、JDFの小川代表をはじめ幹事会メンバーや事務局メンバーが数次に渡って岩手県、宮城県、福島県等を訪問し、地域の当事者団体や関係団体との話し合いを重ねていること等も報告されました。また、これまでにJDFとして国への要望書は3回に渡って提出しており、今回、この報告会の経過を踏まえた第四次要望書の提出が行われることも確認されました。前述の谷博之参議院議員からも、こうしたJDFの要望事項を組み込んで、補正予算を編成するよう努力する旨の発言がありました。

続いて、障害者に対する支援活動の詳細を「みやぎ支援センター」、「支援センターふくしま」の順番で報告がなされました。

みやぎ支援センターからは、阿部一彦代表と小野浩事務局長が報告に立ち、今回のこの大震災でいったいどれだけ多くの障害者の命が失われたのか、どこにどれだけの障害者が避難をし、生活をしているのかという実態を把握することが非常に困難であることが報告されました。支援センター設立直後の緊急支援の時期は、ガソリン、灯油等の物資の不足による混乱が続く中で、隣接県の障害者支援事業組織からガソリン、灯油等の提供を受け、物資不足で困っている障害者支援事業所等への配布を行う等、安否確認・所在確認と緊急物資の支援が主なものであったようです。

さらに震災直後の大混乱状態がひと区切りついた段階に至っても、被災地域は復興や安定とは程遠い状態にあり、みやぎ支援センターでは、県内の気仙沼市や南三陸町等の沿岸部の市や町の障害者に対する支援に力を注いでいる状況が報告されました。現在は、各市の障害者を支援している事業所の再開ならびに運営の安定化に向けた活動が主になっていること、また、在宅の精神障害のある人への訪問相談や避難所から仮設住宅への転居の支援等も行われている状況が報告されました。

次に、支援センターふくしまからは、白石清春代表と穴沢信哉事務局次長から報告がありました。白石代表からは、ご自身が体験した3月11日当日の様子を語られた上で支援センターふくしまとしての1.活動経過報告、2.支援活動を通しての要望と提案、3.今後の活動についての報告がなされました。白石代表はもともと郡山市で自立生活センターを運営し、脳性マヒ者をはじめとする在宅の全身性障害の人に対する介助支援等のサービスを行っていたが、今回は大地震、大津波と併せて原発による放射線被害等で、障害者もサービスに携わる人々も避難せざるを得ない状況となり、支援を必要とする障害者に介助派遣をしていくことの困難さについて語られました。

また、一般避難所で重い障害をもった人たちが避難生活を送ることの困難さを改めて思い知ったと述べられました。福島は、地震、津波に加えて原発の問題を抱え、収束の見通しがつかないなか先行きの見えない不安や恐怖があり、将来の再生の見通しをつけにくい状況が生々しく語られました。

これらの宮城、福島の現地報告を含めたJDFの活動報告の後、JDF加盟団体ならびに関係団体から、それぞれの団体の取り組みの報告が指定発言という形で行われました。

これらの2つの地域の支援センターの報告や指定発言等を聞いていて感じることは、阪神・淡路大震災の時に語られていたことがそのまま残されている、あるいは、より深刻な形で浮かびあがってきている、という思いです。もちろん今回の大震災の被害は甚大であり、広い範囲に及び、行政機能がマヒしてしまった地域も多いということはあるものの、障害者の安否確認や所在確認の困難さは、日常的に地域で暮らす障害者の状況が把握されていないことの現れであり、さらに聴覚障害、視覚障害等の情報障害者の多くに情報が正確に伝わらず、命を守ることが困難な状況にあったということ、その上バリアフリーで的確に配慮された避難所や仮設住宅があまりにも少なく、生活できる場所がないこと等々、数え上げればきりがありませんが、阪神淡路以降も在宅の障害者の命や生活が軽んじられ、後回しにされてきたことの証左であるといえます。

今回の大震災の復興に当たっては、単に元のまちに戻すということにとどまらず、だれも排除せず、だれの命も大切にするインクルーシブな社会づくりを基本に据えた地域社会の再生が必要であると考えます。

(みさわさとる DPI日本会議議長)