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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年11月号

1000字提言

「生きにくさ」を抱えた人たち

石川恒

かりいほを利用する人たちは、さまざまな問題を抱え家庭や地域に居場所をなくした人たちである。この人たちは社会の中でとても生きにくい人たちだ。「生きにくさ」の原因は知的障害や発達障害であったりするのだが、本人の障害が理解されず、適切な支援が提供されない中で本人の抱える「生きにくさ」は作られ強化されてきたのである。「生きにくさ」が犯罪やさまざまな問題につながることがある。本人が反社会的な人、何をするか分からない怖い人なのではない。犯罪やさまざまな問題は「生きにくさ」を抱えたことの結果なのである。このことをしっかり理解しなければならない。

この「生きにくさ」を抱えた人たちを、かりいほはどうしようとしているのか。それは本人自身が自分の人生を了解することへの手伝いである。

了解は人と人との関係にしか存在しないと考えている。支援者や本人と関わる人たちとの関係の中で、本人自身が自分の人生を了解するのである。了解は白か黒かでなくていい。灰色でもいいのだ。人と人との関係の中であいまいで居られることはとても大事ではないか。「まあ、いいか」。この感覚が必要なのだ。人の手を借りて自分自身の現実をありのままに受け入れ、自分自身を肯定して「生きにくさ」を抱えながら生活しつづけるのである。犯罪の矯正や問題行動の改善はけっして目的ではない。

この時、支援者はとても重い役割を背負うことになる。本人が現実を受け入れ、自分自身を肯定するのは支援者がいるからである。自分を理解し、適切な支援を提供してくれる支援者がいるからである。人は自分を肯定してくれる他人の存在によって、はじめて自分を肯定できる。まず支援者が本人を肯定しなければならない。そして、本人を肯定した支援者との関係によって本人が自分自身を肯定するのである。そういう存在に支援者はならなければならないのだ。

どうやって支援者は本人を肯定するのか。それは支援者の思いによってではない。本人の思いにとことん付き合うことによってである。付き合えば本人のことをより深く考え、より深く理解できる。本人が自分自身を肯定できるように、支援者はとことんつきあい本人を肯定するのだ。本人の「まあ、いいか」の感覚はそこから生まれてくる。変わるべきは、苦労すべきはまず支援者なのである。その覚悟が支援者に必要なのだ。

繰り返すが「生きにくさ」は人と人との関係の中で作られる。その解決は人と人との関係の中にしかないのだ。

(いしかわひさし 知的障害者更生施設かりいほ施設長)