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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年11月号

わがまちの障害福祉計画 大阪府池田市

池田市長 倉田薫氏に聞く
コンパクト・シティー―人口10万都市の地域主権―

聞き手:加納恵子
(関西大学社会学部)


大阪府池田市基礎データ

◆面積:22.09平方キロメートル
◆人口:103,609人(平成23年8月31日現在)
◆障がい者の状況(平成23年3月31日現在)
身体障害者手帳所持者 3,298人
療育手帳所持者 536人
精神保健福祉手帳所持者 483人
◆池田市の概況:
池田市は、大阪府の西北部に位置し、南部に大阪国際空港、東西に中国自動車道、南北に阪神高速道路など、幹線道路と結ばれている。大阪都心部に近いが、自然にも恵まれ、五月山は、春の桜、秋の紅葉などで市民に親しまれている。「「私」が創る「地域」と育てる 誇りに思えるまち」をキャッチフレーズに、市民が主体となって暮らしやすく個性豊かで暮らしやすい地域社会の実現するまちづくりを目指している。
◆問い合わせ先:
池田市保健福祉部障害福祉課
〒563―8666 大阪府池田市城南1―1―1
TEL 072―752―1111(代) FAX 072―752―5234

▼倉田市長は、池田生まれ池田育ち、池田市職を経て26歳の若さで池田市議、そして平成7年に市長に初当選して以来、現在5期目の地方政治の大ベテランです。まずは、倉田市長が愛してやまない池田市のお国自慢をお願いします。

池田市の魅力は、一言でいうと、歴史・伝統・文化・環境に恵まれたバランスの良いコンパクト・シティーだということです。たとえば、3万本の桜を植えた五月山のふもとには、「世界一 (ハート)のある動物園」があり、珍しいアルパカ、ウォンバットが市民を癒し、がんがら火祭りや京都の「五山の送り火」に相当する「愛宕火」は、360年の伝統があります。こうした先人の築いてくれた池田の財産を受け継ぎつつ、新しい池田づくりに励んでいます。実際には、産業文化としてダイハツ100周年資料展示館をはじめ、阪急電車創業者の小林一三記念館に逸翁美術館、インスタントラーメン発明記念館、はたまた池田市立落語みゅーじあむ、加えて桂三枝師匠にお世話になり、「社会人落語日本一決定戦」もやっています。

▼うちのゼミ生に、三枝師匠の「落語大学(関大落研)」の後輩に当たる花の家こなつというのがおりまして、商店街活性化事業の「おたなKAIWAI」を手伝わせていただいています。

それは、それは…(笑)、この事業は「にぎわいと活力あふれるまち」づくりの一環で、学生による商店街空き店舗活用事業とリンクさせて、地元のお店で「ちりとてちん」など落語に引っかけた新しい商品開発をして、池田ブランドの構築と賑わい創出を演出しようという取り組みです。

また、市街地整備のハード面では、特に「バリアフリー新法」に基づく歩道拡張など「人にやさしい都市計画マスタープラン」に沿って着々と進めています。人口10万人の池田市は、基礎自治体として市長の顔がみえ、市民の声が届くコンパクト・シティー。地方自治にはベストなサイズです。人口30万、40万が最適という説もありますが、地理的範域、人との結びつき、政策の迅速な対応など、私のかねてからの主張である「小さくても世界に誇れる池田」にぴったりの条件なのです。

▼確かに福祉国家スウェーデンのコミューン・サイズに相当しますね。では、コンパクト・シティーのメリットを生かした障がい者施策の特徴をお聞かせください。

私の障がい児・者福祉の原点は、元保育士をしていた妻の教えです。まだお互い市の職員だった頃、やまばと学園で障がい児保育に携わっていた彼女は、現場経験に基づいて「混合保育」の大切さを伝えてくれました。地域での交流、今でいうインクルーシブ教育の視点は目からウロコでした。妻の指南のお陰で、その後の障がい児・者施策を進めていくうえで、「手をつなぐ親の会」はじめ「当事者の会」との連携もスムーズで公私協働のよい展開ができていると思います。

▼施策全般を拝見するに、精神保健福祉の分野が充実されているように思いましたが…。

平成13年6月に大阪教育大学附属池田小学校での殺傷事件が起こりました。えらいこっちゃ、ここは正念場…と、そして禍を禍のままで終わらせてはいけないと、首長の自分にいったい何ができるのか考えました。

池田には「市民安全条例」というのがあって、事件直後に警察署長と保健所長を招集することができたので、まず事態把握に努めました。そして犯人の病歴を知らされ、このままでは市民やマスコミ報道の精神障がい者への感情的なバッシングが高まると予想されたので、治安の方は警察に任せて、私は、すぐに精神関係の作業所を回って、「君らには関係のないことや。いつも通りの活動を自信を持ってしてくれ、市が守るから」と、励ましました。

一時期はヒステリックな混乱もありましたが、教育・医療・福祉関係者やPTA、地域などとの辛抱強い協議と連携のお陰で、翌年には、「精神障害者地域活動支援センター〈咲笑(さくら)〉」の開設にこぎつけました。当時は、まだ地元の反対にあってセンター開設が遅れるところも多い時代でしたから、「池田の奇跡」とまでいわれて、他県に講演に呼ばれたこともありました。

作業所を回る中で、今でも思い浮かぶのは、若いのに暗い表情の職員のMさんのことが気になってね。職場環境も待遇も悪い。私は、何とかMさんに笑顔で働いてもらいたい、職員が暗くては利用者さんも元気になれないと思いました。そこでまず、Mさんを笑顔にさせることが私の目標となりました。その作業所は今年4月に2つの精神障害者小規模通所授産施設が合併して、「アルパカ工房」となりました。次は、池田ブランドになるような商品開発をしてもらいたいと期待しています。

また、障害者支援(通所)施設「市立くすのき学園」(指定管理者は、(社福)産経新聞厚生文化事業団)では、地域サテライトとして手打ちうどん専門店「くすのき庵」が地元の人気を集めています。Yくんの手打ちうどんは、コシがあってうまいですよ。さらに、能勢の同事業団が運営されている障害者支援(入所)施設「三恵園」が老朽化により、縁あって本市に移転しました。

▼こうした公私協働をどんどん推進していく倉田流の方法論は何ですか。

私の政治手法は、まず条例を整備して牽引していくやり方です。五月山の保全条例にしても、職員は「あれは京都だからできた」と、最初からあきらめモード、法務省とのやりとりを考えたら当然です。だから、それを超える法的手続きを構想するわけです。何といっても「地域主権」ですから。

「消えた老人問題」の時も、昨年9月、「高齢者安否確認条例」を通して、65歳以上の高齢者全員の安否確認をしました。これも、人口10万だからできたことで、260万の大阪市では無理でしょう。まあ、条例が成立した後に、地域の民生委員児童委員、地区福祉委員さんには、「市長、また私らの仕事を勝手に増やして…、事前に相談してほしかったわ」と叱られましたが、意義ある活動と協力してくださいました。人に恵まれたいい町です、池田は。

▼地域福祉実践では、個人情報保護法などで、防災コミュニティーづくりのための要援護者の名簿づくりや管理、さらに支援システムづくりが進まないところが多くて困っています。

子どもの虐待問題にしても、児童虐待防止法ができるまでは「立ち入り権」や「通報の義務」がなく危機介入が遅れました。やはり、「職権」を与えないとワーカーもできないことがたくさんあるんです。池田市では男女共同参画推進条例に、「DV関連のシェルター設置の義務付け」を盛り込んで、現場が支援しやすい環境を整備しています。

障がい児の就学のことも、重い障がいのある子どもの痰の吸引の問題がありました。それも条件付きですが、要綱を整備し支援できるようにしました。

▼総じて、これまでの地域福祉実践が自発性や内発性の発現としての評価は得ても、現実的には偶発的な任意の行為でしかないという極めて頼りない存在だったものを、自治体の条例によってその実践をバックアップ&オーソライズし、公私協働の「新たな公共の営為」であるという社会的承認を広めるという意味もあるわけですね。では、これからの抱負をお願いします。

やはり、条例整備です。来年3月の議会に「(仮称)障がい者にやさしいまちづくり条例」を提案する予定で準備を進めています。その先には、「障がい者の郷(さと)構想」がありますが、これは、「親亡き後対策」として、日中活動や雇用の場、そしてケアホーム・グループホーム・障がい高齢者ホームといった住居、支援施設、サテライトなどを体系的に配備した「生活圏としての福祉ゾーン」を「郷」としてイメージしています。人口10万のコンパクト・シティーだからできるユニバーサルな住みよいまちを実現したいと思っています。


(インタビューを終えて)

倉田市長は、あの橋下知事を泣かせた一件で、すっかり有名になった元全国市長会副会長。物静かな語り口にもかかわらず、政治理念である「地域主権」の旗手としての力強いオーラを発していた。テンポのよい政策創造の牽引力は、ひとつ間違うとワンマン経営になりかねないほどの強力なリーダーシップの証左であるが、冷静な情勢分析や大所高所からの見極め、毎日欠かさず更新される市長ブログ「市長とびある記」にみられるような親近感、さらにMさんを案じる人情味など、市民からの信頼の厚さがよく理解できた。

取材時にも、遠路関東の大学から配属されたインターンシップ生が同席していたが、毎日、ピッタリと市長に張り付いてローカル・ガバナンスを学んでいるという。市長は、将来的には、本格的な地方政治家を養成したいと、目を輝かせておられた。

インタビューを終えた後、「三恵園」や「市立くすのき学園」などを見学させていただいた。最後に訪れたのは、「アルパカ工房」。そこで、かつて倉田市長が心を痛めた職員Mさんのステキな笑顔に出会った。その笑顔が、池田の障がい福祉を象徴しているように思え、とても幸せな気分で今回の取材を終えることができた。