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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年11月号

ほんの森

盲ろう者として生きて
―指点字によるコミュニケーションの復活と再生―

福島智著

評者 岡本明

明石書店
〒101―0021 千代田区外神田6―9―5
定価(本体2,800円+税)
TEL 03―5818―1171
FAX 03―5818―1174

9歳で視覚、18歳で聴覚も失って「盲ろう」となりながらも、大学に進み、博士号を取得して東大教授として活躍する福島智さん。これは、一度持っていたものを失って絶望の底に落ち込んでから、指点字というコミュニケーション手段を得て復活・再生してきた過程を自ら冷静に見つめ、分析した研究書である。また自身の半生を語る自伝でもある。

本書は、福島さんの2008年の博士論文に加筆・修正し、単行本としたものである。博士論文は462ページという大作で、資料には盲学校時代の通信簿までが付けられている。自分の通信簿を付けた博士論文は前代未聞ではないだろうか。さらにユニークなのは研究手法である。

そこには3人の「私」が登場する。「智」は本書の検討対象とする時期の「私」自身、「福島」は「智」を後日振り返って記述している「私」、そして「智」と「福島」両者を視野に収めた存在としての「私」が「筆者」である。

福島さんに関する本は数多くある。現存の人で、その人自身、その家族、第三者などによって書かれた本がこれほど集中している例はかなり珍しいだろう。自身の著作には『渡辺荘の宇宙人』(1995)のようなユーモア型と、『盲ろう者とノーマライゼーション』(1997)などのシリアス型がある。本書は研究書なので当然シリアス型だが、それでもユーモアを含んだ福島節が現れる。

「まえがき」にまず、著者のお母様が物を捨てられない人で、かつメモ魔だ、という話が出てくる。しばらくその話が続き、おかげで自分の生い立ちについて膨大な資料があって論文が書けたのだ、というくだりになって、ああそうか、という仕掛けである。そして、「奇跡の聖女」ヘレン・ケラーの人生が「覚醒」と「成長」の歩みであったのに対して、腹の出た単なる中年男「日本のヘレン・ケラー」の人生は「喪失」と「再生」であり、それがどのようなものであったかを読者にも共有して欲しい、という。「まえがき」からすでに福島節が始まっていて、500ページにもおよぶ本書の面白さを予見させ、よしひとつ腰を入れて読んでみるか、という気にさせる。

「本当の神があるなら、苦しめてばかりもいない。僕をこのようにしたからには、何か大きな意味があって、僕にそれを託しておられるのではないかと思えてならない。」という魂から絞り出るような境地に若くしてたどりつき、それにチャレンジしている福島さんのこの本は多くの人に感銘を与えるものである。

(おかもとあきら 筑波技術大学名誉教授・全国盲ろう者協会評議員)