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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2011年12月号

1000字提言

最も大切にしたいこと

永瀬哲也

海外勤務でニューヨークにいた。ある夜、立ち飲みのバーで飲んでいると、めまいに襲われ、その場に座り込んでしまった。大した事はないと思ったが、店が呼んだ救急車が到着。店の者は「万一の時には、店も責任を問われるからとりあえず乗って病院で診察を受けてくれ」と言って聞かない。仕方なく救急車に乗り、中のベッドで横になった。前の方で救急隊員の会話が聞こえてくる。「彼はどこかの保険に入ってるかな?」。私は着古したTシャツにジーンズという出で立ちの患者であり、その問いが発せられるのも無理はない。アメリカは日本と違って「健康保険無保険者」が結構いる。また保険に入っていたとしても、さまざまなグレードがあり、保険料によって「行ける」病院が違ってくる。

日本企業の多くは米国へ派遣した従業員には、米国で最高レベルの民間健康保険に企業負担で加入させていた。私はその保険証を持っていたので救急隊員に見せた。彼は驚いたように、そして笑顔で「この保険ならどこの病院でも大丈夫です。どこかご希望はありますか?」と急に言葉遣いも変わった。私の希望通り、自宅に近い有名な大病院に連れて行かれ、受付でその保険証を見せる。すぐに「こちらへ」と連れて行かれて、診察を受けることができた。医師の診断は予想通り、「ちょっとした疲れ」であった。

この件で、保険会社が支払った金額は、救急車の搬送台も含めて合計約750ドル。大きな金額である。救急隊員や病院の受付では患者の保険内容を調べ、保険がカバーする病院はどこか、また支払いが大丈夫かを確認するのも大事な仕事なのだ。もちろん死にそうな人間を断るようなことはしないのだろうが、入っている保険、つまり本人の経済力によって、「区分け」がなされる。

日本はここ数10年間「国民皆保険」という制度でやってきた。受けられる医療が公平なのは、「すべての命は平等である」という理念に基づいている。地域格差の存在や障がい者にとって万全な仕組みと言えない部分もあるが、世界に誇れる福祉制度であったはずだ。さらに乳幼児の医療費全額負担なし、それを義務教育が終わるまでに広めた動きなどは、「すべての子どもに適切かつ遅れなく医療を受けさせる」ことの実現に大きく寄与したと考えられるし、安心した子育てという目的にも合致していた。

しかし、日本はすでに成長の時代が終わり、経済的には苦難が待ち構えている。国の財政も危機的な状況である。何も訴えなければ、何かを我慢しなくては、健康保険料の値上げ、自己負担増などの方向に進んでいく。平等に医療を受けることが難しい方向に向かっていく。「何を最も大切にするのか」それが我々一人ひとりに問われている。

(ながせてつや 人工呼吸器をつけた子の親の会会員)