音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

  

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年3月号

1000字提言

「生きにくさ」を抱えた人たち2

石川恒

かりいほが目指す支援は、「生きにくさ」を抱えた○○さんが、「生きにくさ」を抱えながらも生活し続けられる支援である。それは○○さんの個別の支援であり、一生の人生に関わる支援である。○○さんが「生きにくさ」を抱えながら生活し続けるには、自分のこれまでの人生を了解することが必要である。そしてその了解には、○○さんをきちんと理解する支援者の存在が不可欠である。

了解について少し考えてみたい。○○さんの思い、願いがかなえられる、やりたいことがやれるというのは○○さんにとってとてもいいことだ。その状況では○○さんは自分自身を了解するだろう。思い、願いがかなえられない、やりたいことがやれないではまったく了解にはならない。

でも、やりたいことだけをやっているだけで満足できるだろうか。○○さんはありのままの自分を自分の望む人に承認してほしい、そういう欲求を持つ。自分が自分の望む人に承認されれば、了解はもっと深く強くなるだろう。

私は思いがかなう、承認される、この2つが了解には欠かせないと考えている。これを整理すると、

1.思い、願いがかない、やりたいことがやれる

2.思い、願いがかなわない、やりたいことがやれない

A 望む人が自分を承認してくれる

B 望む人が自分を承認してくれない

となる。了解からみれば1―Aが一番いい。次は1―Bと2―Aになる。2―Bはどうしようもない。「生きにくさ」を抱えた○○さんが生活し続けるには、自分の人生を了解するには1―Aの支援が必要なのだ。

かりいほは1―Aの支援を目指している。その支援を受けることで、かりいほという新しい環境で、新しい支援者の支援を受けて生活することを本人が自分自身で選ぶのである。

この選ぶということが自分自身の人生の了解なのである。福祉の現場では、本人(利用者)は○○さんという具体的な個人であり、支援者(職員)も△△さんという具体的な個人である。1―Aの支援は○○さんの思いを△△さんがかなえ、△△さんが○○さんを承認する支援である。それによって○○さんは自分の人生を了解し、新しい生活環境を得ることになる。支援を受けて○○さんは自分で自分の人生を選び、そして自分の人生を了解するのである。

「生きにくさ」を抱え居場所をなくした人たちにはこういう支援が必要だと考えている。支援なしに了解はないし、了解なしに支援を続けることはできないのである。

(いしかわひさし 知的障害者更生施設かりいほ施設長)