音声ブラウザご使用の方向け: ナビメニューを飛ばして本文へ ナビメニューへ

  

「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年6月号

私のコミュニケーション保障

読み書き障害のある息子の情報アクセス

山中香奈

長男の障害

私の長男は現在中学校3年生である。発達障害に気が付いたのは5歳のときだった。学習障害が顕著に分かったのは小学校に入学してからである。毎日のほんの少しの宿題でも何時間もかかった。数字の8は∞になり、「り」と「い」の区別がつかない。鏡文字や回転している文字も頻繁にある。自分の名前でさえ正確に書くことは難しい状態だった。

さらに、長男は十分な視力はあるのに本が読めない。漢字にルビを振り、かろうじて読んだとしても目の前の文字を音に置き換えることに精一杯で文章の内容が理解できない。また、だれかに読んでもらっていても今読んでいる箇所から目線がはずれると、もうどこを読んでいたのか分からなくなってしまう。先生が教科書を読んでくれても、あっという間にどこを読んでいるのか分からなくなるのだ。

療育にも小学校入学前から通いはじめたが、視覚認知も悪く、その訓練もしながら文字を読んだり書いたりするための訓練をしてきた。学校では通常の学級に在籍していたが、学年が上がるにつれ授業についていくのは難しくなっていった。本人からも「ぼく国語、大きらいやねん。ぜんぜんわからへん」という言葉も出てくるようになり、授業ではお客様状態になってきていた。

マルチメディアデイジーとの出合い

ボトムアップもそろそろ限界かもしれないと思われた小学校4年生の冬にマルチメディアデイジー図書と出合った。パソコンでの再生方法を教えると、長男はとても楽しそうに自分で毎日毎日、何度も何度も「ごんぎつね」を読んで(再生して)いた。そのうち声を出して一緒に読むようになり、時には教科書を広げて音だけを聞くこともするようになった。マルチメディアデイジー図書を読んでいると自分の代わりに文字を音にしてくれるし、パソコンの画面では、今ここを読んでいるよとハイライトで示してくれる。もうどこを読んでいるのか分からなくなることもない。

3学期のある日、国語の授業で「ごんぎつね」が始まった。長男は学校から帰宅するなり「ママ~、先生が言っていることが分かるようになったで。ほんで先生の質問に答えれたんやで」とうれしそうに報告してくれた。そして「ぼく、みんなみたいにはできひんけどデイジーあったらできるんやな!」って私を見上げて満面の笑みで話したのだ。

マルチメディアデイジー図書が長男の障害受容までしてしまったようにも思えた瞬間であった。長男はいくらがんばっても上手く読めないし、内容もよく分からない。でもデイジーで読めば「分かる」ということを体験し、彼の可能性が広がったように感じた。

「ごんぎつね」以降、国語の教科書をマルチメディアデイジーで提供してもらうことも始まり、長男は大嫌いだった国語の授業が楽しくなった。授業にも積極的に参加し手を上げて発表するようになり、担任の先生からも的を射た答えができるようになったと報告を受けた。そして、いつしか長男は「国語が好き」と言うようになったのである。

情報へのアクセス

長男はデイジーに出合ってから、それまで感心が無かった本への興味も出てきた。クラスの本箱にあるハリーポッターを読みたい、アニメの原作を読みたいと言うようになった。著作権法が改正されサピエの会員になれたので、デイジー図書をダウンロードし音の読書を楽しめるようになった。しかし、マルチメディアデイジー図書はほとんど無い。本が好きになった長男は「図書館にある本全部にデイジーが付いていたらな~」と言っている。

デイジーを再生するために覚え始めたパソコンの操作だが、最近ではダウンロードも自分で行うようになった。他にもYAHOOキッズのルビを振ってくれるサービスや、テキストを音声化してくれるドキュメントトーカを利用するようになった。アクセシビリティーによっては長男にもできることが広がることを感じた。

来年高校に進学すれば、長男のデイジー教科書は無い。受験の不安もあるが、デイジー教科書が無いことの不安はさらに大きい。

現在、デイジー教科書は義務教育の教科書を中心にNPO団体やボランティアグループが製作し、日本障害者リハビリテーション協会が提供している。しかしすべての教科ではなく、提供は保障されていない。デイジー教科書は必ず手に入るものではないということである。海外では国が保障していると聞く。日本でも保障してほしいと願っている。義務教育はもちろんだが、高等教育にもデイジー教科書が保障されれば、子どもたちの可能性はもっと広がるだろうと節に思う。

(やまなかかな 保護者)