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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年8月号

ほんの森

SSK しののめ第112号(終刊号)
―特集 終刊号なんて認めない

しののめ発行所著

評者 鈴木正美

しののめ発行所
〒261-0013
千葉市美浜区打瀬1-2-3-B403佐々木方
頒価2000円(送料含む)
TEL・FAX 043-272-4100

「しののめ」という重度障害者が行っていた文芸同人誌が終刊を迎え、去る3月、終刊号発刊の記念の集まりがあった。「しののめ」は東京都の光明養護学校の卒業生が集まり、ノートの交換から始まった。終戦後すぐの昭和22年から始まったので65年になる。中心で活躍された花田春兆さんは87歳になる。

終刊の話を切り出したのは、現編集長の佐々木正子さん。「先生、もう終わりにしましょう」。第一に原稿が集まらなくなっていた。メンバーの高齢化が原因である。もう一つ、表現媒体の拡大も大きい。文芸同人誌といえば、活字の冊子形式にするのが当たり前だったが、現代では、この常識が崩れている。ブログあり、フェイスブックあり。個人の表現を社会化する方法はさまざまである。

「しののめ」は、やはり花田春兆さんの「しののめ」であったという印象が強い。世代交代ができなかったという問題もあるだろう。逆にいえば花田春兆さんという個性が「しののめ」をつくってきたと言ってよい。戦後の障害者運動を担った人の巣窟であり、文学の力が障害者運動を作ってきた。記念の集まりに出席した顔ぶれをみても、それがわかる。尖鋭な青い芝運動のリーダーとなった横田弘さんは、「しののめ」では詩人であり、弁舌たくましい宮尾修さんも詩を書いている。障害者の郵便制度を作り上げた亡き二日市安さん。

学校という所を拒否された人にとっては「しののめ」が文字を覚える教科書になった。よだれと味噌汁に染みた「しののめ」の表紙は、なんと輝いていただろう。

元厚生省更生課で課長をされていた板山賢治さんも出席していた。障害者の話をよく聞く課長さんだった。といっても交渉場面では、敵同士になる。そんな敵同士が記念の集まりでは同じテーブルに座っている。時の流れを感じる。

さて手渡された「しののめ終刊号」は250ページに及ぶ大冊である。

1945年の終戦の時の状況を描いた二日市安さんの小編は、空襲、警報のサイレンに振り回されていた生活状況が活写されている。空襲ですべて焼かれている中で、敵性語である英語のリーダーだけは抱え持ち、防空壕の中で勉強している。後年ミステリーの翻訳家になる二日市さんの姿である。

終刊号の圧巻は50ページにわたる年表である。「しののめ」の歴史と戦後日本の歴史が詳細に合わせられている。平成10年くらいから、○○氏死去という項目が急に増えている。「しののめ終刊」の序曲がこの辺から始まっている。

(すずきまさみ 元日本障害者リハビリテーション協会職員)