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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年9月号

時代を読む35

障害母子世帯の暮らしの現実から制度矛盾を正した堀木訴訟

「私は目の見えない障害者で、離婚後女手ひとつで子どもを育ててきましたが、離別母子世帯の子どもに出されるという児童扶養手当を申請したところ、親が障害福祉年金をもらっているから手当は出せないといわれました。お父さんが障害者で、お母さんが障害をもっていない世帯には、その子どもに手当が出て、その上お父さんに障害福祉年金が出されています。それなのに、私のような障害者で福祉年金をもらっている母子世帯の子どもには手当が出されない。このことがどうしても不思議で、納得がいきません。裁判を起こしたのはお金目当てではなく、私の後に続く若い障害者のお母さんの苦労を思ったからです」

これは、堀木訴訟の主人公・堀木文子さんが最高裁判所の大法廷で述べた言葉である。

児童扶養手当法には、母または養育者が公的年金を受けているときには支給を停止するという条項があり、これにより手当が受給できなかった堀木さんは、この条項は憲法に違反するとして神戸地裁に提訴したのは1970(昭和45)年であった。神戸地裁は1972年、堀木さんの訴えを全面的に認め、障害母子世帯に児童扶養手当を支給しないのは憲法十四条に違反し、無効であると判決を下した。

この判決を受けて、国会はその翌年、児童扶養手当と障害・老齢福祉年金との併給を認める法改正を行った。しかし、その一方で控訴は維持され、1975年大阪高裁は、逆転敗訴を言い渡した。堀木さんはただちに上告、最高裁の小法廷から大法廷に移行し、1982年の口頭弁論を経て、同年7月に敗訴判決が出されて、裁判としては終結した。

暮らしの現実から制度の矛盾を問い、法改正を実現した堀木訴訟は、70年代の社会保障運動のシンボルとなったが、今次の障害者自立支援法違憲訴訟にも継承されたと感じている。普通の暮らしを営むために利用する諸サービスに正札をつけて、応益負担金を徴収する自立支援法は憲法に違反すると訴えたこの裁判は、勝利的和解を得て、人権としての障害者施策に向かう礎石となった。しかし、それを一切反故(ほご)にしようとする勢力も強力であることから、障害者運動は過去の経験も汲み尽くすことが求められていると思う。

(鈴木勉 佛教大学社会福祉学部)