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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年9月号

1000字提言

動き出したみやぎ

及川智

この原稿を書き始めた7月下旬、宮城は梅雨明けした。これから1か月と少しの間、暑い日々が続く。

震災から1年5か月が過ぎ、昨年に比べれば、少しずつ震災以前のリズムに戻りつつある。被災地支援活動の実質的な拠点は、登米(南三陸)と石巻の各所となっている。

登米の拠点では、この1年近くの活動から南三陸地域で被災した障がい児・者との出会い、関わりを通して、送迎および児童デイサービスを開始し、町の社会資源として認知されている。

石巻においては、今年度「共に生きる石巻を作る連続講座」を企画実施中である。これは、今回の震災において、障がい者が犠牲となった率が高いという悲しくも直視しなければならない事実がある。そして何より、地域において障がい者が分断されている現実が浮き彫りになったのである。“障がい者が犠牲にならないまち”“共に生きるまち”を作っていくために、共育、共生を実践して来られた方を講師に招き、開催している。

さらに、これまでも続けてきた当事者によるまち歩き、最寄り駅のバリアフリー化に関する取り組みも開始する。地道な取り組みを通して「復興」へ向かう。12月初めに行う連続講座の第3回のコピーは「障がい者よ、まちへ出よう」となりそうだ。30年以上経ても必要なメッセージだ。

この間の活動を通じ、全国各地からありとあらゆる支援を賜っている。感謝してもしきれない。そうした全国的なつながりとともに、県内全域にわたって新たなつながりができた。大震災という惨禍がきっかけであるが、とても大きなものである。地域に生きるために共に復興へ歩んでいきたい

冒頭に書いたように、現在は震災以前の活動ペースに戻りつつある。自立生活センターの本分は、障がい者運動であり、自立支援である。もともとが小さいセンターであり、さまざまな課題を抱えてもいるが、地域生活を望んで訪れる人々、仲間と過ごしたいと思っている。

私はこの連載の最初の稿で「これまでの自省もしつつ、当事者自らが声を上げ、生活をつくっていく、という当事者運動の原点に立ち返り、『復興』を目指していきたい。」と書いた。その思いに変わりはない。

ゆっくりではあるが、みやぎは動き続けている。

(おいかわとも 被災地障がい者センターみやぎ)