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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年9月号

フォーラム2012

東日本大震災からの復興に障害当事者の視点を
―すべての人に優しい社会の実現に向けて

野際紗綾子

1 はじめに~東日本大震災と障害者

東日本大震災における障害のある方々の死亡率(2.06%)が全体の死亡率(1.03%)の2倍にのぼったことが、NHK「福祉ネットワーク」取材班によって発表された。また、寝たきりの高齢者が多く入居する施設では、入居者の過半数が犠牲になるところもあった。兵庫県の調査で、阪神・淡路大震災では、犠牲となった方々の5割が65歳以上の高齢者であることが判明したが、警察庁によると、東日本大震災でも、被災者の65%以上を60歳以上の高齢者が占めたという。

また命が助かった後も、困難な避難生活が続いた。身体障害者にとって、高さ60センチの台を上らなければならない仮設トイレの使用は著しく困難だった。ある避難所の小学校で、車いすの少女が、体育館前に敷かれた簀(す)の子の前で立ち往生していたことが忘れられない。避難所の張り紙は、視覚障害者に何の情報も語りかけなかった。精神障害や知的障害をもつ人が避難所から追われるケースもあったし、ある聴覚障害者が「無口な人」と思われたまま、体調の悪化を伝えることもできずに亡くなったケースもあった。なぜ、先進国であるはずの日本が、これほどまでに大きな障壁のある社会になってしまったのか。本稿では、東日本大震災の被災者支援活動におけるAAR Japan[難民を助ける会]の活動の経験と教訓から、これからの災害復興に求められることを考えたい。

2 緊急支援活動(震災3日後~)とその教訓

当会は、震災2日後に被災地入りし、多岐にわたる支援活動を実施してきた。なかでも、延べ約18万人の被災者への緊急支援物資の配布においては、被災した障害者や高齢者を重点的な支援対象としてきた。

震災直後、ガスや水道や電気が止まった中で特に喜ばれたのは、加熱不要な食料やウエットティッシュやオムツなどの衛生用品に加えて、軽油・灯油・ガソリンといった燃料であった。震災3日後に宮城県障害福祉課から「停電時に人工呼吸器が止まらないよう、3日以内に自己発電の燃料となる軽油や灯油を3,000リットル調達しなければならないのだが、その目処(めど)が立っていない」との連絡を受け、大至急手配し福祉施設に届けた。

この緊急段階においては、海外での災害支援の経験や、迅速性や柔軟性といった市民セクターの特徴を活かしながら、本来行政が担うべき社会権保障の補完的役割を果たすことを目指した。

今回の震災では、多くの被災地の行政機関が甚大な損害を被ったため、当会のような民間団体の役割がとりわけ大きかった。各県の福祉課、日本障害フォーラム(JDF)、宅老連絡会、社会福祉協議会等と連絡を取りながら、状況把握と物資配布を同時に行ったことが、今回の迅速かつ柔軟な活動に繋がったと考えている。

3 復旧支援活動(震災3か月後~)とその教訓

同様の状況は、復旧段階に移っても、形を変えて継続していった。震災3か月後からは、57の障害者・高齢者施設の修繕や機械設備の設置を通じた再建活動を行ってきた。

厚生労働省は2011年4月26日付で「東日本大震災に係る社会福祉施設等災害復旧費国庫補助の協議について」の通達を出したが、通常は支給まで1~2年かかる上、一部経費は施設負担となる等、どこまで迅速に対応できるか未知数であった。そこで、各県の福祉課やJDFと相談の上、国庫補助金の支給まで体力が持つか危ぶまれる施設を中心に修繕活動を進めた。ここでも、行政の補完的役割を果たしたと言えよう。

だが、未来永劫このままではならない。宮城県障害福祉課からの報告で「賃貸物件など国庫補助対象外であったり、補助事業手続きと復旧計画のタイミングに合わない案件については、事業者の意向も踏まえながら、民間団体による資金援助等につないでいくこととしている」(本誌2012年3月号、33頁)とあったが、当会が修繕支援を行ったのは、人道的観点から利用者の安全と健康を守るためであり、行政が難しいことをすべて肩代わりしようというものではない。本来ならば行政が対応すべきことは、行政に認識・対応していただくよう伝える必要もある。

国庫補助金に加えて、災害救助法からもこぼれ落ちる人々がいた。同法は仮設住居入居者を対象とするため、在宅避難者は対象外となるのだ。しかし、頻繁な余震でいつ停電になるか不安な状態が続いたため、在宅の重症心身障害児・者に自家発電機や足踏み式吸痰器の配布も行っている。生存に関わることでありながら、このように、制度の谷間に落ちているニーズは多いと思われる。

4 復興支援活動(震災1年後~)とこれから

被災地の雇用・経済状況に回復の兆しが見えない中で、震災1年後からは、障害のある方々の社会・経済活動参加を促進すべく、福祉作業所における仕事創出と販路拡大の支援を実施している。これは、震災前からの課題――行政による平成19年からの工賃倍増・向上計画でまだ成果が見られていないこと――が震災後、被災県で深刻化・顕在化したからである。また、各県の障害福祉基盤整備事業については、職員5人を関係機関に出向させ、ガイドラインの改善を試みる等、復興と基盤整備の後押しをしている。ただ、状況は個々で異なり、福島県の被害の大きな地域では、いまだ「復旧」「活動再開」に向けての準備を進めている段階のところもある。

緊急・復旧・復興の支援段階を経て分かったのは、災害がさまざまな形で――直接被害だけでなく「停電」という形を通しても――障害者の生命を危機にさらすこと、行政や既存の「法」では十分に対応しきれないニーズが多数存在していたことである。

次項からは、今後の復興と、すべての人々に優しい社会づくりに向けて、私たちにできることを考えてみたい。

5 私たちにできること~当事者参画と官民連携による、すべての人に優しい社会の実現

ここまでで、関連法や行政にも課題が山積していることが分かったが、立場を越えて私たちにできること、それは調整と連携ではないかと考える。

県主導の会議は、宮城県の場合、震災から2か月半後の5月末にようやく初めて開催された。結局、2011年度は3回会合が開催されたが、10団体程度の参加に限定されたうえ当事者参加もなかった。今年度は1回目の意見交換会が9月と、のんびりしたペースである。岩手県でも、今年度の障害福祉推進委員会のメンバーに障害当事者は含まれていない。福島県では、行政主導で障害関連団体が一堂に会するような会議すら開催されていない。

一方で、民間主導のJDFによる意見交換会では各県の障害当事者が多く参加し、岩手県障害者プラットフォーム会議には障害当事者の参加もあった。しかし、行政幹部の参加がなく、リアルタイムの貴重な情報が各県責任者へ届かなかった。

海外の災害支援の現場では「クラスター会合」と呼ばれる分野別調整会議が災害直後から開かれ、当事者を含め希望者は誰でも参加できるから、日本は大きく遅れをとっているといっても過言ではない。

官民連携を通じて改善すべき事項は、前述の緊急・復旧・復興の各段階で教訓として浮上した。緊急段階では、バリアだらけの避難所や、利用者が集まらない等機能しなかった福祉避難所の改善策として、誰もが使うことのできる避難所を全国に準備すべきであると考える。また、復旧段階における仮設住宅を最初からバリアフリー設計とすることと、復興段階における復興住宅をすべてユニバーサルデザイン化することを求める発言が、第37回障がい者制度改革推進会議においてなされた。これは、災害の各段階で誰もが利用できる住環境整備を求めるものだが、高齢化の進む日本において極めて妥当な提言である。加えて、災害救助法や復旧費国庫補助などを、よりニーズに応じた弾力性の高いものに見直さなければならないが、その計画・立案・準備段階から障害当事者が参画することが望ましいことは言うまでもない。

震災復興は、障害者権利条約の推進と一体で進める必要がある。それは、障害当事者の視点を社会の中核に位置づけていくことでもある。復興計画では、障害者や高齢者に配慮した社会づくりが掲げられ、政府関係者も「女性、子ども、高齢者、障害者など、多様なニーズをおさえることが重要」と発言している。だが、調整と連携を通じてそれを真に実効性のあるものにしていかない限り、この社会はいつまでたっても脆弱(ぜいじゃく)で障壁に満ちたものだろう。これからも私たち一人ひとりに課せられた役割は大きい。

(のぎわさやこ AAR Japan[難民を助ける会]東北事務所長)