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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年11月号

障害者差別禁止法に求めるもの
~聞こえ始めた「障害女性」の声~

加納恵子

エポック・メーキングな企て

障害者差別禁止法の成立は、日本の法制史においてエポックメーキングな出来事である。そのわりにメディアはもとより福祉業界においてもあまり関心が高まっているとは言い難い。この現状をどう理解すればいいのだろう。

これまでの障害者制度の関心事は、例えていうと、教育・医療・福祉などさまざまな領域でのサービス・メニューの品揃えと仕込みや配達の段取りといったサービス供給の豊富化を国のお財布事情と相談(予算折衝)して整備するプロセスがメインであった。

さて、障害者差別禁止法は、それとはまったく異質な性格の法整備である。つまり、前述の障害者関連業界に波及するだけの制度づくりではなく、むしろ今まで障害者の存在を意識せずにやってきた/やってこれた一般社会のルール変更を宣言する画期的なものである。本法は、改正障害者基本法の目的にあるように「全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会を実現する」ことの実効性を担保するもので、成熟した社会でしか実現し得ない崇高な法規範なのである。日本がようやく成熟した市民社会に到達した証としての本法は、もっと大きな拍手で歓迎されてもいいのではないか…と思うのだが、「差別禁止」といった物々しい文言が、一般の人々の生活感覚にはなじみにくく、戸惑いとともに敬遠されているようにも感じられる。

複合差別にあと一歩

ともあれ、歴史的な意味をもつ本法の、なかでも特筆すべきは、「障害に基づく差別」を「不均等待遇」と規定して、そこに「合理的配慮の不提供」を加えたことである。これまで「合理的配慮なく均等待遇されること」で、どれほどの実質的差別が無罪放免となってきたことか…。この逆説にようやく終止符が打てる。何とかこの「合理的配慮」だけは、骨抜き化しないでほしい。特に、「過度な負担が生じる場合は例外とする」という例外規定には今後も注意が必要である。先行した「総合福祉部会」の「骨格提言」は、当事者イニシアチブでグランドデザインを示した画期的な提案だったが、結果は、「漸進的改良主義」によってみごとにスルーされてしまった。同じ轍(てつ)は踏みたくない。

さて、話はここから。筆者に与えられた課題は「障害女性の視点」から本意見書をどう評価するかであるが、一言でいうと、「あと一歩」である。

障害に基づく差別の射程を「あらゆる形態の差別」としながらも、最も差別の厳しい「複合差別」概念を盛り込めなかったのは残念でならない。

差別の定義については、さまざまな議論があった中で、部会でも障害と他の特徴(人種、信条、性別、社会的身分、門地など)との結合した差別の課題を明示的に位置付けるべきだという提起があった。しかし、最終的な意見書では、国の基本的責務の中に「複合的な困難」という文言が示されたものの、明確な位置付けはなされなかった。このことは、現実に複合的な要因による厳しい差別を受けた人が救済につながりにくいままの皮肉な逆説を作り出してしまわないだろうか。

とはいえ、その複合差別のリスクが高い「障害女性」については、国の基本的責務のうち、特に留意を要する領域として、「障害女性」の課題があることが明記された。このことは高く評価したい。また、責務の具体的内容として、「実態調査を実施することや、各施策の全てに障害女性の複合的な困難を取り除くための適切な措置を取り入れること」が明記されたことも今後に期待できるものである。

障害女性のサイレント・スクリーム

この「障害女性」の規定については、部会の委員から各則に独立した一節を設けるべきであるとの提案もあり、ヒアリングでDPI女性障害者ネットワークの米津知子さんと筆者が強く要望したことでもあった。なぜなら、障害者差別禁止法に障害女性についての独立した条文を設けることで、障害男性の影に隠れて見落とされがちな、障害女性の不利益とニーズを可視化させ、不均等な待遇を改善できると考えてきたからである。障害女性に特化した条文を設けることは決して「障害女性の特別扱い」を求めているのではなく、むしろ、「複合差別と生活困難」のリスクが高い集団の差別禁止と救済・支援策の充実につながると確信しているからである。障害者人口の半分を占める障害女性の抱える複合差別問題への意識啓発は、他の複合差別問題に苦しんでいるマイノリティのそれを必ずや牽引する。

次に、意見書の第8節「家族形成」は、障害女性にも関わりが強い部分である。この節に、「障害者が子どもの数や出産の間隔について自由に責任を持ち、決定するために、個々の障害に応じた避妊や妊娠等に関する情報提供と意思確認が行われること」という障害女性のリプロダクティブヘルス&ライツ(性と生殖に関する健康と権利)についての記述がなされたことは評価したい。ただ、例示が限定的で、たとえば、母子手帳へのアクセシビリティが確保されることや、産褥期の適切なケアが受けられること等も書き込まれるべきだった。

一方、婚姻制度など既存の枠組みそのものが問題の背景になっているという認識が不足していたことも今後の課題である。

DPI女性障害者ネットワークの実態調査の回答には、たとえば「障害があったのに結婚ができたのだから、夫に感謝しもっと尽くすべきだ」や「戸籍が汚れるから入籍はだめ」、「家族に障害者はほしくない」などの経験が語られた。また、夫からの深刻なDV被害の経験も語られている。こうした経験は、婚姻制度自体が、障害女性に対して抑圧的に働くことを示している。障害女性にとって「結婚」することは勝ち取るべき権利なのか…、このダブルバインドな疎外状況は、なかなか理解してもらえない。

また性別役割分業意識は、男女共同参画時代になっても根強く、家事・子育て・介護といったケア役割の倫理規範が障害のある女性を苦しめ、自己評価を低め、無力化し、深刻なDV被害の背景を形成していく。だとすれば、「結婚」や「家族」を選ばない・選べない人たちが、そうではない人に比べて社会的不利益を被らないように、不均等待遇がないようにしなければならないはずだ。

しかしながら、この「親密圏」は、同法の対象には入らなかった。家族という密室での差別事案は確認されたが、私的な領域への公的介入は慎重であるべきという立場を尊重し、今秋、施行された障害者虐待防止法への期待にとどまったのである。

聞こえ始めた障害女性の声

ちなみに、筆者はこの差別禁止部会には、中間まとめで積み残された「障害女性の複合差別の背景と実態」のヒアリング段階(第18回、5月11日)から急きょ招集され、意見集約のクライマックスにコミットすることになった。こうした貴重な発言の機会を与えられたことは幸運であったが、率直に言うと、いわば周回遅れで議論に加わり最後までマージナルな立場に置かれたといえなくもない。

今改めて振り返ってみると、まさに「障害女性の社会的位置」を象徴しているかのようであった。そんな中途半端な接続のアングルから意見書形成過程の風景をレビューしたら面白いことに気がついた。

つまり、政策形成過程のポリティクスは、“Nothing about us, without us.”のスローガンを引くまでもなく重要である。残念なことに当部会に障害女性は参加していなかった。もちろん委員の中には熱心な「障害女性」のアドボケートが“about us”を論じてくれたが、スローガンの“with us”には至らなかったのである。

かくして、障害女性は、周回遅れのヒアリング段階から、筆者を含む2人(もう一人は『困ってる人』(2011、ポプラ社)の著者で難病女性の大野更紗さん)が、追加招集を受けた。かろうじて障害女性参加を確保できたわけだ。遅きに失した我々は、文脈もわからぬまま既定路線の変更を迫ることはできず、「複合差別」を訴える障害女性の条項化は実現しなかった。差別の定義群から「複合差別」を排除するための説明のロジックは熱心に語られたが、私たちが聞きたかったのは、最も救済すべき差別のシビアな層に光を当てるための包摂のロジックだった。

失うものなど何もない

しかしながら、現実には、障害女性を委員に入れたくても入れることができなかったと聞く。要するに「人材不足」で困っているのだと。悲しいかな、そのとおり…。そして、この事実がまさに、障害女性を教育・雇用の機会から排除し、か弱い病人役割を配当して無力化し、本来持っていた多くの才能と可能性を奪ってきた証左である。これ以上、ビクティム・ブレイミングするのはやめよう、またセルフ・ネグレクトのスパイラルから抜け出そう。

DPI女性障害者ネットワークの調査者は、次のように述べている。「女性障害者は決して弱い存在ではない。しかし、その力を教育や雇用の場で発揮する前に、その差別に抗するために費やされてしまう、力が奪われてしまっている。これを自身が生きる力として取り戻すには女性障害者の人権を高める社会的な施策が必要である」と。

今後の複合差別に立ち向かう支援のあるべき姿は、こうした当事者を「多問題/支援困難事例」という個人モデルに解消することなく、社会制度の改善や人権擁護といったアドボカシー機能を強化した社会モデルに移行していくことが急務ではないだろうか。

障害者差別禁止法が、実質的な意味で、障害女性の困難を可視化し、解決していく法律になることを切に期待したい。そのために、意見書を活かしながら、さらに、私たちがこれまでに複合差別調査などを通して出してきた障害女性の課題を、新たな法律に明確に位置付けるよう、今後も働きかけていきたい。

ちなみに、「意見書」が提出されて以降の各地の差別禁止条例づくりの取り組みが活発化してきて興味深い。しかも、これまで関心が払われなかった障害女性の声を聞く会が、長野、兵庫、京都と各地で立ち上がっている。夜明け前の暗闇の中で一条の光を見つけた思いである。

今年6月に、国際セミナーで来日したジュディ・ヒューマンに会った。彼女いわく「世界中の障害女性たちは、もっと勇気を持って主張すべきよ、だって、私たちには、失うものなど何もないのだから!」と力強くウインクを送ってくれた。

そうだ、人生をあきらめるには早すぎる。私たち障害女性は失うものなど何もないのだから、何だって挑戦できる。私たちは、支援者とともに「生きづらさ(複合差別)」に立ち向かう中で、「この社会にあわせて生きていくしかない」という文化的包摂の袋小路(J・ヤング、2008)から抜け出すラジカルな共通体験をもつことで、この障害者差別禁止法をこれからも高めてゆくことができると信じよう。

(かのうけいこ 関西大学、本誌編集同人)


【参考文献】

・DPI女性障害者ネットワーク『障害のある女性の生活困難―人生の中で出会う複合的な生きにくさとは―複合差別実態調査報告書』特定非営利活動歩人DPI日本会議、2012年

・加納恵子「またもや挫折!?―複合差別からのレッスンを生かせ―」『ノーマライゼーション障害者の福祉4月号』32巻4号、日本障害者リハビリテーション協会、2012年

・ジョック・ヤング著 木下ちがや・中村好孝・丸山真央訳『後期近代の眩暈―排除から過剰包摂へ―』青土社、2008年