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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年11月号

条例や虐待防止法の観点から

野沢和弘

千葉県で障害者差別をなくす条例が成立したのは2006年10月である。その後、北海道、岩手県、熊本県、さいたま市、八王子市へと条例制定は広がり、今も多くの自治体で条例制定へ向けた動きが見られる。千葉県の条例は差別の類型として直接的な不利益取り扱いだけでなく、合理的配慮義務に違反することを明記し、分野別に差別事例を提示した点に大きな特徴がある。解決の仕組みとしては県内各地域に計600人以上の相談員を配置し、福祉圏域ごとに広域専門指導員という県職員をおいて現場に近いところで地道な相談や仲裁を通して差別事例の解決に当たる。それでも解決できない場合には専門家らからなる調整委員会に持ち込んで調査や調停に当たり、場合によっては県知事から勧告を出したり、訴訟を支援したりして解決を図っていくとされている。

施行から5年、相談件数は年々増えており、昨年度だけでも計1000件を超える。5年間の相談実績を俯瞰して感じるのは、悪質で重大な差別と言えそうなものはあまりなく、障害理解の不足や誤解から生じる悪意のない差別のように思えるものが大多数を占めていることである。「差別禁止条例ができて千葉県はどう変わりましたか?」と質問されることはよくあるが、なにか劇的な変化が起こっていることを示すことは難しい。しかし、小さな取るに足らないように思える相談でも、障害当事者や家族にとっては地域での生活や労働に大きな影響を及ぼしていることが多い。相手に悪意がなく、差別しているとの意識がなく、善意で行なっているように思っていることでも、場合によっては障害者を傷つけ、地域生活を困難にしていることがある。

このような悪意のない差別に関しては強い罰則規定などよりも身近なところでのきめ細かい相談や仲裁が極めて重要である。障害者差別禁止法が制定され施行されるようになっても、悪意のある重大な差別事件よりも誤解や理解不足から生じる「小さな差別」への対応が量的には主流を占めるようになるに違いない。そのときに自治体単位で制定された条例と条例に基づく相談や解決の仕組みがより機能を発揮するようになるだろう。

障害者差別禁止法と自治体の差別禁止条例で何がもっとも違うのかと問われれば、国の法律では、「司法」「選挙」「国家資格」など国家機構や国レベルの制度に関わるものにまで踏み込んで差別の解消を求めることができる点にある。自治体の条例は、基本的には地方自治法の枠を超えない範囲の内容にとどめなければならないことになっており、こうした分野は条例では及ばなかったものだ。

言うまでもないことだが、すべての法律は国会でのみ作られ、国会議員の総意で内閣が組織される。障害者差別禁止法の制定が実現するかどうかも突き詰めて考えれば国会次第ということになる。国政選挙において障害者が排除されるようなことはあってはならず、また、障害者の選挙権行使に何らかの支障がある状態を改善することが何をおいても優先されなければならない理由はそこにある。司法、立法、行政の中枢機能における障害者差別の解消を促進することで、より多くの障害者に影響が及ぶ普遍的な制度改正や意識変革を図る可能性を広げることになるのだ。

個別性の高い相談に関して言えば、合理的配慮義務を法律に明記する意味は極めて大きいと思う。「悪意のない差別」「小さな差別」への対応が多くなることを述べたが、その一つの典型が合理的配慮義務違反であり、実はこうした差別の方が、解決が難しかったりする場合がある。加害者側にすれば自分の行為が差別(合理的配慮義務違反)との認識が薄く、世間一般の感覚からも差別かどうかがわかりにくいからである。

千葉県の条例では合理的配慮義務違反も差別と位置付けたが、社会全般に合理的配慮の意味が浸透しているとは言えず、障害当事者側、特に知的障害や発達障害にとっての合理的配慮とは何かという議論が十分に掘り下げられているわけではない。現状でも多数の相談が持ち込まれてはいるものの、合理的配慮義務に抵触する可能性があるのにそれを理解せずに初めからあきらめて泣き寝入りをしていたり、相談者側も理解が足りずに不十分な解決をしてしまっていたりするケースが多いのではないかと推測される。

今年10月から施行されている障害者虐待防止法との絡みで言えば、雇用の場における合理的配慮義務違反と心理的虐待の関係は特に重要ではないかと思う。にもかかわらず、雇用の場の虐待の調査や改善に当たるべき労働局の動きが鈍いのが気になる。

論を進める前に、差別と虐待との関係性について少し説明しておきたい。「差別禁止法のような包括的な法律があれば虐待防止法という個別法は不要ではないか」「差別と虐待はどこが違うのか」という質問がよく聞かれる。虐待を生む社会的構造には差別が根深く組み込まれており、さまざまな差別が折り重なって虐待という突出した権利侵害現象が生まれるという面はあるが、ふだんはわが子を愛してやまない親が突発的に激しい暴力を加えてしまう場合も虐待にはある。本来対等な関係でなければならないのに障害を理由に不平等な扱いをされることを差別だとすれば、虐待とは対等な関係の中では起きないとも言える。

本来であれば、障害者を守るべき責務や権限を持った親や施設の管理者や職員、職場の管理者や同僚などから、守られるべき障害者に対する過剰で誤った力の行使や保護の怠慢などによって傷つけることを虐待(abuse)という。児童虐待ではDVの目撃も心理的虐待とされるようになって、心理的虐待の通告件数が増えている。何をもってして虐待と定義されるのかは社会的な状況や人々の認識の変化に伴って変わっていくのであり、心理面に独特の繊細さや脆弱性のある精神障害や発達障害の人々の一般就労が進み、障害者差別禁止法が制定されると、障害者虐待防止法における雇用の場での心理的虐待がクローズアップされるようになるのではないかと思われる。

2013年春から障害者の法定雇用率が1.8%から2.0%へと引き上げられることになり、また、精神障害者も雇用義務の対象となる方向で法整備が進められている。わずか0.2ポイントの引き上げとはいえ、都市部では身体障害者の新規求職者はほとんどない状況で、今後は知的障害や精神障害、発達障害の人々の一般企業での雇用が本格的に進むであろうことを意味する点で今回の改正の意味は大きい。

現実には、知的障害や精神障害の人の雇用を積極的に行なっている企業も増えてきた。行政やマスコミから評価される企業もあるが、実態を見ると離職者が後を絶たず職場定着率が低い会社も多いのは否定できない。知的や精神障害の特性を理解せず、「ここは福祉の場ではない」などと厳しい指導や感情的な叱りつけをすることで障害のある従業員にストレスをかけ、離職につながっているケースも多い。

合理的配慮義務を果たさずに障害者にストレスをかけ、さらに厳しく叱りつけて追い詰めていく。その結果、うつ症状を訴えたり、ひきこもったりするようになったとしたら、それは心理的虐待に等しいと考えられる。障害者虐待防止法は雇用の場における虐待を調査対象として明記しており、「障害者に対する著しい暴言、著しく拒絶的な対応、不当な差別的言動、障害者に著しい心理的外傷を与える言動」は心理的虐待と定義されている。市町村の虐待防止センターに相談が寄せられた場合には、都道府県労働局が協力して監督権限を行使して調査・解決することになっている。

いくら企業側が善意で熱心に指導しているつもりでも、そうした企業内の職業訓練や人材育成の「常識」はどのくらい通用するだろうか。同法では虐待する側に「虐待している意識」は問わないのである。「賃金を払って雇用しているのだ」「賃金に見合った労働能力を発揮する義務が雇用されている障害者にはあるではないか」。そう企業の側は考えるかもしれない。しかし、労働能力を十分に発揮させるためには、障害特性に応じた合理的配慮が必要なのだ。

職場に車いす用のトイレがなく、便意を催しても近くに利用できるトイレがないとすれば、車いすの人はその職場で長時間にわたって労働することが難しいはずだ。「ここは福祉の場ではない」「賃金を払って雇用しているのに甘ったれたことを言うな」と言えるだろうか? トイレを使えないため苦しんでいる車いすの障害者にそんなことを言っていることを想像してみるといい。いくら愛情を込めて指導しているつもりでも、トイレを使えない苦しみは改善できない。身体的苦痛だけでなく精神的にも相手を傷つけ、追い詰めていくだけだ。職場内を段差がない環境にして自由に移動できることや車いす用トイレがあることなどが車いすの障害者に対する合理的配慮であるのと同様に、知的障害や精神障害、発達障害の人たちにも彼らの障害特性に応じた合理的配慮を企業は果たさなければならないのだ。

こうしたことが雇用の場や労働行政の内部で理解されていないと、合理的配慮義務違反に問われたり、合理的配慮を欠いた厳しい指導が心理的虐待に問われたりするケースが出てくるはずだ。障害者雇用に熱心な会社で知られるヤマト運輸で、過去に自閉症の従業員が自殺をしたことをめぐり損害賠償を求めて訴訟を起こされたことがある。合理的配慮義務が法律で企業に定められ、心理的虐待が立ち入り調査の対象として法律で定められるようになれば、そうした備えに無関心な企業はなおさら訴訟リスクが高まることになるのは間違いない。この訴訟は、知的障害を伴う自閉症の男性が自殺したのは勤務先だったヤマト運輸の関連会社が配慮を怠ったためとして、埼玉県越谷市に住む母親が、この会社に6500万円の損害賠償を求めたもので、最終的には関連会社側が500万円の見舞金を支払うことなどを条件に和解が成立した。和解条項には、会社側が障害についての知識や配慮事項を周知する社員教育を行うことや、障害のある社員の家族との連絡を積極的に行うことなども盛り込まれた。

障害者差別禁止法や虐待防止法が存在しなかった時期ですら、このような訴訟が起こされているのだ。和解条項にある「会社側が障害についての知識や配慮事項を周知する社員教育を行うこと」「障害のある社員の家族との連絡を積極的に行うこと」というのは合理的配慮にほかならない。

知的障害者や発達障害者に対する合理的配慮については今後議論を深めていかねばならないが、たとえば障害者雇用促進法改正を検討する厚生労働省の「労働・雇用分野における障害者権利条約への対応の在り方に関する研究会」の報告書では、以下のような記述が見られる。

「障害特性を理解するための職員への研修や啓発、障害特性に合わせた職場環境の整備、障害者からの様々な相談に応じるための体制整備も合理的配慮として対象となるのではないかとの意見があった」「精神障害者については、対人関係が問題となることが多いため、配置転換や勤務形態、勤務時間など働き方の柔軟な仕組みも対象となるのではないか。発達障害については、職場の理解といった環境整備やコミュニケーション、人間関係の調整だけではなく、精神的に安定できるスペースの確保など施設・設備面の配慮も対象となるのではないか、との意見があった」

福祉や医療などと企業がコラボレーションして実効性の高い合理的配慮を実現することも必要ではないか。人権や差別の問題だけでなく、合理的配慮を果たすことで障害者の労働能力の向上が見込まれるとすれば、企業の営利追求の理念にも沿うはずである。

(のざわかずひろ 毎日新聞論説委員)