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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年12月号

時代を読む38

「国際障害者年日本推進協議会」の誕生
―JDの原点―

“完全参加と平等”をテーマに、1981年を国際障害者年(IYDP)とすることが国連で採択され、日本国内でもこれを成功させよう!とその前年4月、団体が結束して国際障害者年日本推進協議会(推進協)が発足した。加盟団体は67(年度末117)で、これが、現在の日本障害者協議会(JD)の原点である。

障害当事者や親の会など障害関係団体の活動はすでにあったが、障害の種別や考え方の違いを越えて団体が大同団結したことは画期的なことであった。障害者施策が社会福祉の中でも低劣であった時代、IYDPを契機に、障害のある人々の、社会への完全参加と平等をめざすという大きな目標を共有しての船出であった。

「推進協」誕生の経緯

始まりは、あまり周知されていなかったIYDPに関する情報を「国際リハビリテーションニュース31号・1978/3/30」(日本障害者リハビリテーション協会(リハ協)発行:本誌発行元)から得た有志数人が初めて集まったことに遡(さかのぼ)る(1979/8/13)。その日の記録には、“先進国に比して日本の障害者施策の現状は相当遅れている。IYDPを総合的な障害者対策を立案、推進するチャンスとすべきだが、障害者運動・専門家の協力体制・行政の認識がバラバラで統一性がない。障害者や関係団体等に協力の意思はあろうが、とりまとめるリーダーや調整が必要”との趣旨が記してあり、リハ協にその調整役が期待された。1週間後、太宰博邦リハ協会長の主宰で「第1回IYDPについての有志懇談会」が開かれ(1979/8/20)、翌月には、国連IYDP事務局長のE・コスーネン氏が来日し、リハ交流セミナーでIYDPのPRや各国の取り組みが紹介された(1979/9/21-22)。

懇談会は9月から頻繁に開かれ、11月にはIYDP推進方策要綱案ができた。この中には、目的として、IYDPを実効性あるものとするため政府施策に協力し、民間諸活動を有機的関連のもとに促進する、とある。組織は幅広く、情報提供と国民へのPR、官民のパイプ役、アジア地域への活動協力などを役割とする、など今につながる源流が描かれている。

初代代表には元厚生省事務次官でリハ協会長を兼務する太宰氏が就いた。「私にはいろいろな顔があるが、これ(推進協)が本当の顔」と公言され、厚い人望と求心力により1993年まで務め、JDに引き継いだ。

(荒木薫 JD事務局長)