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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2012年12月号

列島縦断ネットワーキング【東京】

「制度の谷間を超えて~当事者のための難病政策を考えるシンポジウム~」の開催

白井誠一朗

10月4日(木)、若手の難病当事者を中心に結成された「タニマーによる、制度の谷間をなくす会」の実行委員会主催による「制度の谷間を超えて~当事者のための難病政策を考えるシンポジウム~」を参議院議員会館で開催しました。

このイベントは、これまで声を上げることができずにいた難病1)の当事者が、それぞれの抱えている疾患にかかわらず、支援を要する人すべてに必要な支援が行き届く制度の実現を目指し、みんなで考えていくための第一歩として企画をしました。

当日は平日の昼間の時間帯だったにもかかわらず、国会議員や多くのメディアの方々、障害者団体の方々や難病を抱える当事者やその家族等、総勢130人以上の人たちで会場はいっぱいとなりました。

開催に至る背景と経緯

2011年8月に障がい者制度改革推進会議の下に設置された総合福祉部会がまとめた「骨格提言」では、法律の対象とする障害者の定義を改正障害者基本法における障害者の定義と同様にし、「制度の谷間」を生まない包括的な規定にすることが提言されていました。しかし、その「骨格提言」を受けて実際に成立した障害者総合支援法(2013年4月施行予定)では、新たに難病等が制度の対象として追加されることになりましたが、その具体的な難病等の範囲については、「政令で定める」とされています。

私たちは、この障害者総合支援法の成立前後の時期から、「政令で定める」難病が、もしも一つ一つの疾患名を列挙して決められてしまうとすれば、政令の中に名前のない難病は対象外とされ、「制度の谷間」が残されたままとなってしまうのではないか、と危機感を募らせていました。

そこで、もともと知り合いであった数名の難病当事者と障害者福祉に造詣の深い研究者等を中心に、まずは難病政策の歴史や現状、難病当事者が抱える生活上の困難とは何か、ということをメンバー間で共有するための勉強会を開くことにしました。

ところが、健康な人よりも体力的にしんどい難病当事者は、日々の生活をこなしていくことすら困難で、日程の調整や実際に集まること自体が難しい状況にありました。そのため、実際に最初の勉強会が開催できたのは2012年の7月になってからでした。その後、月に1度程度のペースで勉強会を開き、「制度の谷間」をなくして一人ひとりが必要とする支援を受けられるようにするためにはどうすればよいのか、ということについても話し合いをもちました。

その中で、当面の課題である障害者総合支援法における難病の範囲について、「制度の谷間」が生じないようにするためにも、まずは難病の当事者が日々の生活の中でどんなことに困っているのか、そして、どのような支援を必要としているのかということについて、実際に声を上げていかなければいけないのではないか、と考えるに至りました。そして8月下旬、残暑の厳しい時季に急遽(きょ)、シンポジウムを開くことが決まりました。

しかし、シンポジウムまでの準備期間は1か月強しかありませんでした。しかも、メンバーのほとんどは体力的に制限のある難病の当事者です。限られた体力の中で、それぞれに役割分担をしながら準備を進めていく過程は、難病当事者が抱える困難さをあらためて思い知らされる機会でもあったように思います。それでも、多くの方々のサポートもあり、どうにかシンポジウム当日を迎えることができました。

シンポジウム概要

総合進行を東川悦子(ひがしかわえつこ)氏(日本脳外傷友の会理事長)、シンポジウム司会を茨木尚子(いばらきなおこ)氏(明治学院大学教授)に依頼し、シンポジストとして筆者(社会福祉士)と青木志帆(あおきしほ)氏(弁護士)、篠原三恵子(しのはらみえこ)氏(NPO法人筋痛性脳脊髄炎の会理事長)、大野更紗(おおのさらさ)氏(作家)の4人が登壇しました。

まず、弁護士の青木氏からは自身の難病である下垂体機能低下症とそれに伴って生じる障害について説明がされました。その中で視野が通常の3分の1程度であるにもかかわらず、障害判定では対象外とされてしまったというエピソードが紹介され、それが「制度の谷間」の観点からとても印象的でした。また、この間の障害者制度改革の流れについて解説をした上で、本来「制度の谷間」をなくすという方向性で検討されてきたものが、実際には依然として「制度の谷間」が残されたままとなってしまうのではないかとの問題提起がありました。

それを受け、筆者からは自己紹介をしつつ、大学院時代の研究成果から、多様な症状を抱える難病者に共通する特徴的な障害として「体力的な制限」が挙げられることを述べました。そして、難病をとりまく制度では、難病と言っても病名によって支援対象となる病気とそうでない病気がある上に、障害者制度上の認定基準に合わないことで支援対象となりにくい問題があることを指摘しました。その上で、病気や障害を抱えながら「暮らすことの困難さ」に着目して、障害の名前や病気の名前の違いにかかわらず支援を必要とする人が、その支援を受けられるようにすることが「制度の谷間」をなくすという観点から重要だと述べました。

続いて篠原氏は、病気を発症してから患者会の立ち上げに至るまでの経緯について話をされました。その上で、自身の患者会でとりまとめたアンケートをもとに、筋痛性脳脊髄炎(慢性疲労症候群)の患者から寄せられた多くの悲痛な声が紹介されました。その中でも特に、「親が亡くなった時が自分も死ぬ時かなと思うこともある」という患者の声は、病名にかかわらず治療困難な疾患を抱える者すべてに共通する生きづらさを象徴しているように思いました。また、現在進められている難病対策の見直しの中で希少要件の観点から患者が30万人とされる筋痛性脳脊髄炎など患者数の多い難病は、支援対象から外されてしまうのではないかという問題提起もありました。

最後に、作家の大野氏は自身の著書である『困ってるひと』にも描かれていた自身の体験談を交えながら、「今どういう人がなにで困っているのか、そのことを出発点として考えていくことが重要だ」と述べました。そして、まとめとして「今は、困っている人たちが制度に合わせないといけないが、そうではなくて、その人に合わせて、制度や社会政策が支援できる」といったことをみんなで考えていくことが必要だという提起がされました。

フロアからは「制度の谷間」にある人たちに情報がしっかり届き、共有されることが大事であるといった難病当事者の方による指摘もあり、とても重要な視点であると感じました。

アピール文

最後に呼びかけ人の一人である大野氏によるアピール文の読み上げがあり、満場一致で採択されました。このアピール文については、当日の配布資料やYouTubeによるシンポジストの発言の模様などと一緒にWEB上で閲覧することが可能となっています(URL:http://mecfsj.wordpress.com/2012/10/19/)。

今後の展開

今回のシンポジウムは、差し迫った課題について声を上げなくては!というその一念から、若手の難病の当事者を中心に極めて短期間で開催したもので、かなり突発的なものであったと言えます。この原稿執筆時点においても、障害者総合支援法における難病の範囲がどのようになるか不透明な状況にあり、難病対策委員会などの審議会の傍聴を通じて動向をチェックしていますが、どのような形であれ、「制度の谷間」をなくすために声を上げていくことは継続していきたいと考えています。

また、本来的には「制度の谷間」はなにも難病に限ったものではなく、慢性疾患や軽度の知的障害、弱視、難聴、高次脳機能障害などもそれぞれに谷間の問題を抱えていると思いますので、まさに社会モデルの観点から、障害種別を超えて「制度の谷間」について取り組んでいくことを考えていく必要もあると思っています。

(しらいせいいちろう 社会福祉士)


1)ここでいう「難病」は、シンポジウムでも確認したように医療費の助成対象となる特定の疾患などを指すものではなく、一般的に治療困難な病気を指すものとして使用しています。