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「ノーマライゼーション 障害者の福祉」 2013年11月号

時代を読む49

福祉のまちづくり半世紀(2) 移動権とまちづくり

米国では、黒人を差別する社会に対して、公民権運動1)が展開されていた。移動権の米国の最初の動きは、公民権法による「人種分離法」(セパレート・バット・イコール)で顕在化したバス・ボイコット運動と考えられる。バス・ボイコットは1955年12月にアラバマ州モントゴメリーで、黒人女性が公営バスの「白人専用及び優先座席」に座ったことに対して、白人の運転手が白人客に席を譲るよう命じたが、女性はこれを拒否したため、「人種分離法」違反で逮捕され投獄、後にモンゴメリー市役所内の州簡易裁判所で罰金刑を宣告される事件が起きた。この事件に抗議して、キング牧師らが1年にわたるバス・ボイコットを呼びかける運動を展開した。その後の、合衆国最高裁判所が「バス車内における人種分離(=白人専用及び優先座席)」を違憲とする判決を出された。

その後、1964年に公民権法で黒人を差別してはならない対象に入った。障害者の移動に関しては、1973年のリハビリテーション法504項において『合衆国において資格のある障害者個人が単に障害があるからという理由だけによって、連邦政府の財源援助を受けているいかなる計画、あるいは事業のもとで参加を閉め出されたり給付を拒否されたり差別を受けることがあってはならない。』と移動権に関わるバス・鉄道などの公共交通の具体的な内容を決めている。

1990年のADA(障害を持つアメリカ国民法)においては、公共交通に加えてパラトランジット(一定の資格条件に合致した移動困難者に供給されるリフト等の整備されたドアツードアサービス)を含んで移動を保障することとなった。ADAパラトランジットの運行の具体的ルールは、バスや鉄道を利用できない移動困難者に対して、バス路線や鉄道沿線1200メートル以内にパラトランジットサービスを提供しなければならないことが規定された。

わが国の交通に関する移動権のスタートラインは、1981年の運輸政策審議会の交通弱者対策からである。その後1983年の公共交通のガイドラインが作られ、2000年の交通バリアフリー法とそのガイドラインにつながっていった。そして、わが国の本格的な移動権の議論は民主党政権で廃案になった交通基本法である。そして、2006年に国連総会で採択された障害者権利条約(移動の妥当な費用、移動の補助具・支援、移動に関する研修)の流れが障害者基本法と相まって障害者差別解消法が2013年6月に成立し、施行が2016年4月からである。この法律の制定が、どこまで移動権に影響を及ぼすかはこれからのつくりにかかっている。

(秋山哲男(あきやまてつお) 日本福祉のまちづくり学会・会長)


【参考文献】

1)ja.wikipedia.org/wiki/アフリカ系アメリカ人公民権運動